本という名の鈍器
「さ、さて、本の貸し出し方法ですけど! えーとですね、まずこちらで『貸し出し券』を作ってもらって、それと本を持ってきてもらえれば後はこちらでこうやって――」
(これは……ブラウン方式か)
一通り説明を聞いてシステムは理解したものの、残念な事に今はまだ一人一冊しか貸し出せないとの事だった。今年創立されたこの学校はいろいろ手探り状態なのである。
というわけで大切な一冊を選びにミサキは書架へと足を運ぶ。が、仕事を始める時にも本の量にあれだけ圧倒されたのだ、そう簡単に一冊に絞る事は出来そうにない。
「……リオネーラ、オススメの本はない?」
困った時のリオネーラ頼り。
「え、ええっ? それはミサキがどんな本を読みたいかによるわよ……」
「……リオネーラのオススメなら何でもいいけど」
「プレッシャー与えてくれるわねぇ……わかった、次までにいくつか見繕っておくから今日のところは他の人に聞いてくれる?」
「ごめん、そういうつもりじゃなかったんだけど……でもありがとう。じゃあエミュリトスさんは何かない? 好きな本とか、適当に思いついた本でいいから」
「うーん、わたしは滅多に本は読まないので……」
「そう……レン君は?」
「ひゃいっ!? な、何!?」
仲間外れはミサキの好むところではない。公平に話題を振る。ちゃんと距離は保って。
「……本。貴方もあまり読まない?」
「あっ、う、ううん、ぼくはどちらかといえば読む方だと思うよ。知識量ではリオネーラさんや賢王様には到底及ばないけど、読書は好きだから」
「良かった。それなら――」
「で、でも、ぼく如きが好む本をミサキ様が読むなんて想像できないので、力にはなれないと思います!」
「……様付けも敬語もいらないから」
「は、はひっ! ありがとうございます!」
「………」
思いっきり自分を卑下しつつ精神的にも物理的にも距離を取られ、ミサキはちょっとショックだった。
そんなにさっきの自分は怖かったのだろうか。せっかく最初は向こうから歩み寄ってくれたのに、さっきの自分の行いでそれが全て水の泡になってしまったのだろうか。
それは……どうにも悔しい。なら、今度はこちらから歩み寄ろう。ミサキはそう決意し、一歩踏み出す。
「……レン君、本探しの相談に乗って欲しい」
「ええっ!? だ、だからぼく如きが読む本は――」
「『相談』だから。私が今日読む本を一緒に考えて欲しいだけ」
「そ、そんな責任重大な……!」
「……いずれここの本は全部読むつもりだから、責任なんて考えなくていい。順番が変わるだけ」
あえてミサキは言い切った。実際に読めるかどうかはわからなくとも読むつもりはあるので躊躇わず言い切った。
少なくともミサキの中では嘘でも口からでまかせでもない。その事が伝わったらしく、目を白黒させていたレンは恐る恐るではあるが頷く。
「き、期待には沿えないと思うけど……ど、どんな本を読みたいの?」
「……この世界の事がよくわかる本、かな。子供が親から習う一般常識や世界の基礎知識といった感じの事が載ってる本がいい」
「け、結構漠然と幅広いね……」
かなり危うい例え方をしたが、先程何でもいいと言った結果リオネーラを困らせてしまったので今回はそうせざるを得なかったのだ。
それにリオネーラの時の軽い会話とは違い今回は歩み寄る目的もある真剣な『相談』である。細かく伝えて誠意を見せるべきだ、とミサキは考えた。
(……親から習う……? ミサキはずいぶん世間知らずだとは思っていたけど……まさか親が……?)
こうやってリオネーラのような聡い人にうっすらと悟られるリスクがあろうと、誠意を見せるべきだ、と。
「うーん、一般常識………あっ、そういえば賢王様が前に話してたんだけど、昔、自我を得て最初にやった事が知識の収集のための読書らしいんだよね、ヒトと共に暮らす為の基礎知識の。あ、昔って言ってもそこまで極端に昔じゃないんだよ、本のある時代だからね」
「へぇ……それで、その時に読んだ本は?」
この世界に生まれ落ちて間もないミサキと、この世界で自我を得て間もなかった頃の不定形族の賢王。状況は似ていると言える。
非常に参考になる予感がする。ミサキはどんな答えが返ってくるのか楽しみにしていた。
「百科事典だって」
「百科事典」
いや、まぁ、理屈はわかる。わかるのだが、ちょっと最初からアクセル全開すぎではないだろうかそれは。
「……それで、賢王さんは百科事典を読んだ甲斐あって賢王と呼ばれるほどに……?」
「それだけじゃなかったみたいだけどね。あくまで百科事典で知識の下地を作った上で、次は専門書を読んだり実際に体験してみたりして知識を付けていったんだって」
「ふむ、なるほど……」
百科事典だけの力ではなく積み重ねの力だったようだ。そう言われると効果があるような気がしてくる。
実際理屈としてはアリだろうし、効果があるような気もしてきたし、そして何よりこちらから尋ねたのだ、この提案には乗ってもいい気がしてきた。
別に急ぎという訳でもないのだし、仮に回り道になったとしても無駄足でさえなければ構わない。無駄な時間を過ごすつもりはないが、健康な今、極端に生き急ぐ必要はない。何事も経験、というノリで良い筈だ。
先程自分で言った通り、いずれはここの本を全て読むつもりなのだから。
(それに、生きる為に最低限必要な事は授業で学べばいいし……なんとかなる、か)
賢王がどのくらい賢いのかはわからないが、そう呼ばれる程には賢いのだろう。そんなひとの学び方を追体験してみるのは得られる物が多そうでミサキにとって結構魅力的だった。結局これが一番の理由と言える。
「……ありがとう、試してみる」
「ほ、本当に? 言っておいて何だけど、百科事典の中身はかなりの量じゃ……いや、ミサキさんが途中で投げ出す人だと思ってるわけじゃないけど、でも」
「……心配しなくても、駄目だったら私の判断で止めるから大丈夫。貴方が気にする事はない」
「そ、そう? ならいいけど……」
自分がやると決めたならば、止めると決めるのも自分。ミサキにとっては当然の事を言ったまでなのだが、責任の所在を明らかにしてくれるその言葉(二度目だが)にレンは安堵した。
その一方で、一連の流れが面白くないのはこの子である。
(バッサリ言い切るセンパイはかっこいいんだけど、なーんかわたしの時と似たような流れを感じるなぁ……レン君、惚れちゃうんじゃ……?)
二回も泡を吹かされた相手にたったこれだけの出来事で惚れるわけがないのだが、エミュリトスは本気で警戒していた。
まぁ実際レンの中でミサキの評価は上がってはいるのだが、流石に惚れはしない。マイナスのドン底だった好感度が少し上を向いてきた程度である。
っていうかそもそも不定形族は今のところ同族以外を恋愛対象には見ていなかったりするのだが、彼女はそれを知らない。あまり有名な話でもないし仕方のない事ではある。
(……探りは入れておこう。怪しかったら釘を刺す――のは後々ギクシャクしそうだからやめておくにしても、わたしが優先される権利を持ってる事は主張しておかないと!)
性格の悪さを自覚しているエミュリトスだが、いたずらに敵を増やすような愚行には走らない程度の常識も備えてはいるのでどうにも半端に平和的になってしまうのであった。
なお、百科事典を借りると決めたミサキの方はというと、
「ミサキ、これなんか一冊に纏まってて良さそうよ? はい」
「……待ってリオネーラ。片手で軽々と渡そうとしてくれてるけどそれ多分かなり重いやつ」
「あっ、あはは、ゴメン、ついうっかり……あたしが持って行こうか?」
「ううん、そこまでしてもらうのは悪いから……出来る限り頑張る」
ガチ立方体サイズの百科事典を前に気合を入れているところだった。
コ○ケカタログか、電撃○王か、月刊少年鈍器か……鈍器本と聞いて何をイメージするかで世代が特定できそうな気がしないでもない




