図書館で泡を噴いてはいけません
◆
「……教頭先生?」
クエスト受付カウンターにいたのは、今日やたら会う気がする教頭その人だった。
「……来たのですか、ミサキさん。急いで受ける必要は無いと言ったはずですが?」
「……ですが、取り立てに行くと教頭先生自身があの時――」
「危機意識を持たせる為だけの冗談に決まっているでしょう、私もそこまで暇ではありません。……ですが、まぁ、無理のない範囲で手伝っていただけるのなら歓迎です」
教頭はそう言いながらミサキに付き添う二人を見遣り。三人で一緒のクエストを受けるのなら心配ないだろう、と納得し「番号を」と三人に問う。
三人は少しだけ相談していたが、すぐにリオネーラが一歩前に出た。
「23番でお願いします」
「23番……図書館の整理ですか。先客が一人いるのでこれで丁度四人、定員ですね」
クエストには依頼主からの要望により上限人数が定められている場合もある。金銭的な事情だったり、監督できる人数の限界だったり等様々な理由で。
基本的には早い者勝ちだが、複数人で受けた結果運悪く定員を越えてしまったら席の奪い合いになる。今回は運が良かったと言えるだろう。
「ではディアン先生が図書館にいるのでそこで話を聞いてください。あと一人も既に向かっているはずです」
「わかりました、ありがとうございます」
「あと一人、誰でしょうね?」
「……まあ、クラスメイトなのは間違いないけど」
「そりゃそうだろうけどさ」
……等々、暢気な会話をしながら歩く三人の背中を教頭は静かに見送った。
◆
先に言っておくと教頭に非はない。
彼はミサキ達の教室で授業をした事がなく、生徒達の関係をそこまで深く知っている訳ではないからだ。
生徒の抱える事情なら立場上知ってはいるものの、生徒同士の関係となると逆に立場上なかなか把握できないのだ、その目で確認しない限りは。
更に言うならこの件に関してはそこまで表立って問題となった訳でもなかった。ボッツでさえもまるで気にしていなかった。
とある生徒がミサキをやたら恐れていたとしても、「まぁよくある事か」としか思われなかったのだ。
よって、そんな二人がカチ合う事を止めなかった教頭にも非はないのだ。
「ぴいいいぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!!!」
「「「「う、うるさっ……」」」」
図書館にてミサキの姿を認めた途端、性別のわかりにくい子――エミュリトスの前の席の子――は悲鳴を上げた。
「こ、こんなに恐れられるなんて何をやらかしたんですか、ミサキさん」
「……何もやらかしてません、ディアン先生」
ディアンも言うまでもなくミサキを恐れている側なのだが、それ以上に恐れている生徒がここにいる以上は立場上率先してミサキを問い質さないといけない。辛い立場である。
「やだやだやだこっち来ないでえええええぇぇぇ!!」
「大丈夫、行かないから……」
「ぴぃぃぃぃ!!!」
まるで聞く耳を持たない――というか聞こえていないようだ。どうしよう、とミサキも困惑するが、それ以上に困っているのは依頼主でもあるディアンである。
「……こんなに恐れられていては仕事になりませんよ。どうしたものか……」
仕事にならないどころかもはや騒音公害だ。ついでに当人の喉も心配になる。本人の為にも周囲の人の為にも早急に何とかしなくてはならない。
問題はその方法だが……
「………」
まぁ、解決策はある。対人コミュニケーション以外では頭の回るミサキだ、その解決策も既に頭に浮かんでいる。
あの子は自分を恐れているのだから、自分がこの仕事を辞退すればいいのだ、と。先に受けたのはあの子のようだし、自分が身を引くのが正解だろうと。
ついでに言うならディアンに恐れられている自覚もあるので一石二鳥だ、という考えもなかったとは言えない。随分と後ろ向きな一石二鳥だけど。
(……依頼を取り下げられるかも、とは思ってたけど……私の方から身を引く事になるとは……)
予想外の事態なのでこちらの方がダメージが大きいと言える。クビにさせられる前に依願退職した、みたいなカタチになっているので尚更である。
しかしいつも通り表情には出ないし、それが最適解だと言うなら素直に受け入れるのもまたミサキという少女なのだ。
「……私が辞退します。お騒がせしました、ディアン先生」
「なっ、ダメよミサキ、あなた何も悪い事してないじゃない」
「そうですよ! なんでセンパイが!」
険しい表情でミサキを引き止める友人二人とは対称的に、ディアンは一瞬だけホッとした表情を浮かべたが……すぐにその考えを振り払うかのように頭を振る。
それが一番丸く収まる方法だし自分としても助かるとわかっているのだが、教師としては何も悪い事をしていない生徒を一方的に邪魔者扱いするような行いなんて出来ない……という葛藤からだ。
運のいいことに生徒はそれぞれの事情に手一杯で、そんなディアンの葛藤に気づく者はいなかった。
「……リオネーラ、ここにいる誰も、悪い事はしていない。誰も何も悪くない」
「……それは……そうだけど……」
強いて言うならこんな外見でこの世界に転生してしまった自分の運が悪いのだ。人は誰一人悪くない。
「その上で私が抜けるのが一番早くて確実なら、私は抜ける。それが皆の為になるなら」
「そんなの……ダメですよセンパイ。少なくともその選択はわたしとリオネーラさんの為にはなりません」
「そこは……今度何かで埋め合わせするから」
そう言われると辛いが、ここはわかってもらうしかない……とミサキは考えていた。しかし、そこにディアンが割って入る。
「……いえ、やっぱりダメです。教師として、いえ、依頼主として、人手の減る方法を選ぶわけにはいきませんので」
「先生……」
「ミサキさんとレン君には距離を取って作業してもらいます。近づかれなければいいんですよね、レン君?」
レンと呼ばれた性別のよくわからない子は、しかし意外にもしっかりと頷いた。いつの間にか怯えの色が表情から少し消えている。
「……はい。いえ、むしろ少しくらいなら大丈夫……かも、とも、思います……」
「……どうしたのよ急に? さっきまであんなにミサキに怯えていたのに」
リオネーラが訝しむ。そりゃそうだ、マンドラゴラよろしく大声で悲鳴を上げ続けていたさっきまでとはまるで別人のような前向きな反応なのだから。
当人――レンもそれは当然の疑問だとわかってはいるらしく頭をフル回転させて正直に説明を始める。
「えっと、その、王様の言葉に――あっ、ぼく達の種族の王様、賢王って呼ばれてる人のことなんですけど――あっ、いや、厳密に人って呼べるかはわかんないけど――」
「あー、うん、わかってるから大丈夫よ。続けて」
理由を説明しようとしてるのはわかるのだがなかなか話が進まない。
どうやらレンは気弱で臆病で、しかし慎重で丁寧で、故に会話が取っ散らかってしまうタイプのようだ。ミサキとは違った方向でコミュニケーションに苦労してそうである。
もっとも、今回の話題でこれだけ修正を重ねたのは彼の種族がちょっと変わった種族だからというのも大きいのだが。
「えっと、ぼく達不定形族の賢王の言葉にこういうのがあって。「皆の為に動ける一人を、我々は皆で守らなければならない」ってのが」
「ふむふむ」
(……前の世界で言うところの「一人は皆の為に、皆は一人の為に」みたいなものかな)
「……えっ、あなた、不定形族なんですか!?」
「あ、うん、そうだよ」
自己紹介の時に遅刻して不在だったエミュリトスだけが驚いているが、そう、彼は不定形族という珍しい種族である。
細かい説明は後回しにしてざっくり言うと、この世界では一部の知恵を持った不定形の生物――主にスライムのような生き物――が人語を解し、人の型を模倣し、ひとつの種族として生活を営んでいるのだ。
ちなみに臆病なのは不定形族の中のスライム種全体に言える特徴だったりする。つまり彼はスライム種である。ぷるぷる。
「はぁ~、見たの初めてですよわたし……ホントにわたし達とまるで変わらない見た目なんですねぇ」
「あはは、よく言われるね。いや、よくって言うほど自分から正体を明かす事もないんだけど、明かすとよく言われるね。賢王様もそういった反応は常に想定しておけって言ってて――」
「あー、あの、それで、要するにその賢王様の言葉をミサキが体現してたから大丈夫かもって思えるようになった、ってコトでいいのね?」
脱線しかかった話を元に戻そうとリオネーラが割って入る。面倒見の良さはこんなところでも健在らしい。
「あっ、はい、そうです、ごめんね、話すとついつい長くなっちゃって……」
「いや、今のは話の腰を折っちゃったわたしのせいでもありますし……ごめんなさい」
話が長くなるというのとは何か微妙に違う気もするが説明が難しいので誰もツッコまなかった。
「別に気にしてないからいいわよ。それよりも……どれくらい大丈夫になってるのか試してみるわよ、ミサキ」
「えっ――っ、とっ」
リオネーラからちょっと強めに背中を押され、レンの前に飛び出しつつギリギリ踏ん張るミサキ。そして、
「ひぃゃぁげぁっぶふぇ」
大声を上げかけて寸前で変な声と共に泡を吹いて倒れるレン――をギリギリ支えるリオネーラ。
「言うほど大丈夫じゃなさそうね……」
「ぶくぶく」
「ディアン先生、回復をお願いします。あとやっぱりこの二人はあまり近づけない方向で」
「はい、そうですね……」
「まったくもー、センパイのどこがそんなに怖いんですかねぇ。こんなに素晴らしい人なのに」
「………」
「………」
ミサキは何も言わず、初対面で悲鳴を上げて逃げてくれやがった子をただ見つめる。
「…………」
「…………」
「……………」
「……あの、センパイ、あの」
「………………」
「………ごめんなさい」
「……いいよ、根に持ったりしてないから」
「それは根に持ってる人が言うセリフじゃありません……?」
(見つめるだけで相手の心を折る……魔眼か何かかしら)
もちろん冗談ではあるが、ミサキの深く澱んだ底知れぬ黒の瞳に見つめられたら自分でも早々に目を逸らしてしまうだろうな、とはリオネーラも本気で思っている。
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