牢屋に入ろうや
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件の学生牢とやらは学院の地下にあり、薄暗くジメジメしていて不快な作りだった。灯りもロウソクのみで頼りない。もっとも、悪人の為の牢屋なので豪華にしてやる必要は無いのだが。
(でも見た目はシンプルすぎて逆に不安だ。レンガ張りの壁に鍵の付いた鉄格子……これくらい、魔法に長けた人なら壊せてしまいそうだけど……?)
レンガ壁の方は壊したところでここは地下なので大した意味はなく、そこまで堅牢にする必要はないのだろう。
しかし鉄格子はどう見ても前世のドラマ等で見かけるようなごく普通の鉄格子である。炎の魔法で溶かされてもおかしくないし、それどころか怪力の人になら素手で曲げられてしまうかもしれない。ここはそういう世界である。
(牢屋の中は……簡素なベッドとトイレが一つずつ。よって一人用だと思うけど牢屋自体はそこそこの広さがある……身体の大きな種族の人を入れる可能性も考慮してるんだろうか)
しかし逆に身体の小さな種族の人は鉄格子の隙間から抜け出せそうだし、他にも魔法が使えればどうにかしてすり抜けたり出来るんじゃないか、とミサキには思えた。
(そんな作りの牢屋が4つ、と。学生用って言うくらいだし、形だけなのかな……)
「――ほら、時間ですよ。教室に戻ってください」
納得のいかない顔をしているミサキに背後から声をかけたのはボッツではなく教頭だった。話を聞くとボッツはさっきの女の子を捕まえてそのまま一緒に教室に向かったらしい。
「「遅刻するなよ」との事でしたよ。牢屋に入ってて遅刻しましたというのも理由としてはなかなか面白いかもしれませんけどね」
「……わかりました、ありがとうございます」
「何か腑に落ちていない顔ですね。そもそも何故学生牢なんか見たがったのですか?」
「それはただの好奇心です」
「ふむ。知識欲という意味では好奇心は大切です。それは評価しますよ」
そこから妙ちきりんな行動を起こしさえしなければ教師的には歓迎なのだ。昨日もミサキに若干振り回されている教頭であるが、彼はまだ希望を捨ててはいなかった。ミサキが常識を知って落ち着いてくれる、という希望を。
もっとも、残念ながら当のミサキにはそもそも妙ちきりんである自覚が全く無いのでその希望はそう遠くない未来に打ち砕かれる事になるのだが。
しかしミサキ自身は割と素直に教頭を尊敬していたりもする。筋の通った教師として、自分の疑問に答えをくれる存在として。
「……いくつか質問してもいいですか?」
「学生牢についてですか? 私にわかる範囲でなら」
その返答を受け、ミサキはさっきの懸念――牢屋の作りが一見危ういくらいにシンプルである事を問う。
「そうですね……学生牢といえど手を抜いて作られているわけではありません。少なくとも魔法については対策されています」
「どうやってですか?」
「そもそもこの場所はマナが少ないのです。マナが薄い、マナ濃度が低いとも言いますね」
「……それは感覚としてわかるんですか?」
「魔法に長けている者ならわかりますよ。レベルが高いか適性が高いか、昔から魔法に慣れ親しんでいた種族なら」
「種族……教頭先生はエルフですか?」
怒涛の質問ラッシュだが、教頭は嫌な顔ひとつせず答え続ける。出来た大人である。
「ええ、そうです。耳が尖っていて魔法に長け、弓を得意とする事で有名なエルフです」
前世で読んだ本では耳の尖っていないエルフも結構居たし、そもそも姿形が妖精だったりもしたが、この世界でのエルフは教頭の言うようなタイプなのだろうとクラスでの自己紹介を経てミサキは推測していた。
余談だがハーフエルフはほとんど耳が尖っていない。ミサキがリオネーラを人間だと思い込んでいたのはそういう意味でも無理もない事だったりする。
「話を戻しますが、ここのマナ濃度が低いのはこの特殊なレンガの所為です。このレンガは俗に『マナ・イーター』と呼ばれる生物の一種で、空気中のマナだけを吸い取って溜め込む性質を持ちます」
「え、生き物なんですか、これ」
「目に見える生命活動をしているとは言えませんが特定条件下での反応はしているので……まぁここは議論が分かれている所なのですが」
「……なるほど」
前世でもウイルスを生物に含むか否かで議論になると見聞きした記憶があった。それと似た話のようだ。……このレンガがウイルスと同類と考えると気持ち悪いものに囲まれている事になるけれど。
(あと名前がどう聞いても「まな板」だけど……西洋文化圏ではまな板は使わないんだったっけ?)
その疑問に答える者はいないが、呼称が定着しているという事はその名前に疑問を持つ者はいないという事――まな板は使われないという事、だろう。
ミサキは脱線した思考を現実に引き戻し、引き続き教頭の言葉に耳を傾ける。
「それでもマナ濃度は低くなるだけであってゼロにはなかなかなりません。よって魔法の扱いに長けた者であればまだ使えます。威力は落ちますがね。このように……ファイヤーボール」
教頭が手の平を広げると、そこに火の玉が浮かび上がる。ファイヤーボールをホールドした状態だ。
「……ですが」
そう言った瞬間、弾けるような音と共にファイヤーボールは掻き消えた。掻き消されたのだ、何かに。
「この通り、ここで発動した魔法はすぐに打ち消されます」
「……今、何が起こったんですか?」
「『反魔法』……魔法を打ち消す魔法が仕込まれているんです。この格子の中に。詳しい説明は時間が無いので省きますが、ここでは魔法が効果を発揮しないという事です。わかりましたか?」
ミサキは無言で頷いた。魔法に長けるエルフである教頭の使った魔法が目の前で打ち消されたのだ、疑いようのない事実として頷く他ない。
「そしてこの格子は見た目より頑丈ですのでそう簡単には破られません。隙間をすり抜けようにも、妖精族に代表される極端に身体の小さい種族のほとんどは筋肉ではなくマナや魔法で身体を動かしています。つまりマナ濃度が低く魔法の使えないこの場では逃げ出す事はまず不可能という訳ですね」
教室で隣の席や前の方にいた、不自然に小さく、しかし元気に動き回る妖精族の女の子達を思い出す。
確かに筋力だけで動いているにしては身体のサイズと不釣合いな速さだったし、だからといって背中の薄い昆虫のような綺麗な羽根にその身体を支えられるほどの力があるようにも見えない。だが、魔法的な補助がかかっているとすれば説明がつくのだ。
この世界では何事も見た目で判断してはいけないんだと改めてミサキは胸に刻む。人だけでなく、目の前の牢屋のような『モノ』も含めて。
「……さて、納得してもらえたなら早く教室へ向かって欲しいものですね」
「はい、ありがとうございました。……間に合うかな……」
「廊下は走ってはいけませんよ」
それはこっちの世界でも共通なんだな、と意外なところで懐かしさを覚えた。