総合評価2ポイント
学校から帰宅してすぐに、パソコンを立ち上げてとあるサイトのページを開く。
それは「物書きになろう」という会員制サイトだ。登録する会員は、自らが執筆した随筆や小説をアップロードし、公開することで感想やポイント制の評価をもらい切磋琢磨する。インターネット上にはいくつか同じような「小説家志望」が集うサイトがあるが、その中でこの「物書きになろう」は、会員数が圧倒的に多く、また実際にプロデビューの実績も豊富という最大手の登竜門というわけで、非常に勝手が良い。
授業中の暇な時間を見つけては、ノートの端に妄言や心の蟠りなんかを綴る癖が高じて、遂には小説執筆に興味をもった私は、以来書き続けてきた。しかし、誰に読ませたいという思いも無いからモチベーションが保てるはずもなく、未完で消えていく作品たちを生み出す度に罪悪感さえ募ってしまい、何か良い手はないかと探して辿り着いたのがこのサイトだったというわけだ。
ログインして、昨日アップした小説の個別ページを開く。感想、評価を確認するが、何もない。
小さくため息を付いて、画面から眼を離した。
それまで、誰に見せることがなかったにしろ書き続けてきたのだから、最低限の構成力には自負があるし、内容だって面白いと思えるものしか書いてない。
百人が読んだのなら、一人くらいは面白いと思ってくれる人がいても良い。つまらないと思ったって、評価してくれる人がいても良い。大体にして、おざなりな感想でも良いから反応が欲しくて登録したサイトなのだから、兎にも角にも反応が欲しかった。せめて評価のポイントだけでも欲しいのだ。しかし、それがない。
アクセス解析をクリックする。アップしてからの三時間は毎時十人程の来客者がいたが、それ以降は三、四人と大幅に減り、一日も経たない内に誰も来なくなってしまった。それでいて、来客者の全員がこの小説を評価していない。
またしてもため息が出てしまう。
ちょっとだけ反省する。本当に反応が欲しいのなら、会って話せる友達に渡して、感想を聞き出せば良かったのだ。そうではなくて、単なる好奇心だけを携えながら、匿名性の森に逃げ込んでおいて、自分を見てくれないと嘆くことが間違いなのだ。
自身、自分のそんな姿をきっと「哀れだ」と言うだろう。
もう一度だけ、個別ページを開いた。すると、先程までゼロだった評価ポイントが、2点になっていた。それは、一番低い点数を付けられたことを意味する。
最低点なのに、私の心は跳ねた。やった、やったと踊りたくなる。
誰かは分からないが、私の作品に向き合い、評価してくれたのだ。「評価しない」がゼロ点ならば、この点は天と地ほどの差を持つ2点だ。
浮かれた気持ちを整えて、もう一度画面を見つめた。声に出さずに、ありがとうございますと唱える。
どんなに少なくったって構わない。また2点をもらうために頑張ろう。そう思いながら、私は書きかけのテキストに向き合った。
お読み頂きありがとうございました。