イレギュラーたちの事情
「俺はハック・ダック。お前みてーなやつらを守らにゃならん立場にいる人間だ」
「おれみたいなやつ? 」
「そう。“異世界から来ちまった人間”だよ」
「……いせかい? 」
「そう、ここはお前の生まれた世界から見て“異なる世界軸”つまり異世界だ。本とかでよくあるのは、色んな世界と世界がごろっと固まって繋がっているっていう三千大千世界パターンと、布みてえに少しずつ違う世界がタテとヨコに編まれていて、似た顔の奴らが別の人生送ってるっていうパラレルワールドだとかの四次元世界パターンだな。……って、そんな変な顔すんなよ」
自分がどんな顔をしているのか、晴光には分からなかった。いや、しかし確かに納得するしかないところでもある。でなければ説明できないことが多すぎた。
「ここは“本の国”と呼ばれている世界だ。原住民はそこにいるファンと同じ“本の一族”と呼ばれる民族でな、お前の故郷で云うアジア文化に似たものを持っている。見た目はちっこいが、独自の医学が発展した頭のいい種族だ。俺たちはこいつらの世界の隅っこを借りて、ある組織を形成している。ま、そのへん詳しくはこれに書いてある」
ハック・ダックは、おもむろに小冊子を投げてよこした。表紙には“Leading organization”とある。表紙を軽くめくっただけでアルファベットが踊り、チカチカする。
「こ、これ英語? お、おれ、日本から出たこと無いただの中学生なんで英語読めないんすけど……」
「ああン? ……っかしーな。お前の世界で一番普及している文字で用意したんだが……悪かったな。今度また読めるやつを用意する。さて、まず、世界はいくつもある。これは理解したか? 」
「なんとか」
「うむ。ここには大きく分けて、二つの文化を持つ奴らがいる。ひとつが、さっき言った“本の一族”。もう一つが俺たち。“管理局”。そして“管理局”は異世界人で構成された組織なんだ。一つの世界じゃない。いろんな世界から、お前みたいに“流された”異世界人が集まって、同じ境遇のやつらを保護したり、それぞれの世界の技術や文化を発展させて生活に役立てたりしている」
「はあ……難しいことやってるんすねぇ」
「チンプンカンプンってツラだな。……まあいい。このへんは後からでも嫌でも分かることだからな。大事なのはこれからだ。お前の現状と、これからの話な」
ハック・ダックはフウと息をついた。
「お前が“本の国”に来たときのことを覚えてるか? 」
晴光はじっくりと頷いた
「いつか分かることだろうから説明しておくぞ。この世界にはな、管理局が張った結界があるんだ。お前はその“結界”を突破してこの世界に入った。うえに、だ。お前はそのセキュリティに登録されてない。そんで、管理局は一時的な混乱に陥った」
「えっ、それは、もしかして」
「まぁまぁ、変な顔すんな。俺が言いたいのはな、この世界に直接“流される”ってことはままあることじゃあないんだ。というか、ありえない。結界があるからな。でだな、お前も見たろう? あの街の状況。お前がここに着いたと同時にテロが起こった。犯人は同じ管理局の職員……仲間の裏切りだった。お前は囮に使われたんだ。誰が見たって確実に被害者だよ」
「それにしたって……おれがここに来たせいで、あんなふうに……」
「言いたか無いがな、お前じゃなかったら他が使われてたってだけだ。誰でも良かったのが、たまたまお前だった。誰かに責任があるのなら、それは俺たち管理局の方だよ」
「でも……」
「人が良いな。もっと罵っても構わないんだがね」
「……しかし本題はこれからだ」低く言われた言葉に、晴光の心臓が嫌な音を立てた。
「………」
口を噤んだ晴光を前に、ハック・ダックはおもむろに立ち上がって言った。
「……何か飲み物を取ってこよう」
左足を引きずりながら出ていく背中を見送って、晴光は詰めていた息を吐いた。
「……大丈夫ですか? 」
「……頭パンクしそうだけどな。あれ…… 」
ふと、晴光は動きを止める。
「……なんで言葉が通じてるんだ? 」
なぜ今の今まで気が付かなかったのだろう。至極当たり前の疑問に、ファンは丸い目を瞬く。
「管理局って、本当にいろんなところに行くんです。だから、言葉が通じるようになる道具があるんじゃないかしら」
「へぇ、便利だなぁ。勉強しなくていいじゃん。あ、そういえばさっきのハック・ダックさん、左足を怪我でもしてるのか? 」
「ええ。もう怪我は治っているそうなんですけれど、一年前の任務で後遺症が残っちゃったんだって聞きました」
「一年前……? あれ、でもあの時は……」
あの女の前に立ったハック・ダックは、確かに駆けてはいなかっただろうか。
「待たせたな」
手ずから渡されたコップは、つるつるしたプラスチックのような材質だった。中身は透明感のある濃い茶色で、お茶のように見える。
ハック・ダックは腰かけながらさっそく口をつけているが、晴光はコップを持ったまま、てのひらで温めるだけにつとめた。
「管理局が見つけた、“世界の法則”というものがいくつかある。その一つに、“筋書きの法則”というものがあるんだ。世界は筋書きに沿って動いている。どんな人間のどんな些細なことも、その“筋書き”に沿っているんだ。俺たち異世界人は、その“筋書き”に最初から名前が無い。だから世界を移動“させられる”ことになる。異物として排除されるんだ」
「“排除される”? それは誰に」
「世界そのもの、かな。自然の防衛本能だ。だから俺たちは、ようするに生まれた最初っから運命が決まってたわけだが、お前は違う」
「……じゃあ、おれは帰れるんすね! 」
晴光は音を立てて立ち上がった。そして見渡したハック・ダックとファンの表情に、笑顔が引きつる。
「……逆だ。それは出来なくなった」
「……できない? 」
「……ちょっと難しい話になるぞ。世界にはな、それぞれの環境がある。例えば人間は深海で丸裸では生きられないし、深海魚は陸には上がれないだろう。でも俺たち生粋の異世界人は個人差はあるにしろ、適応能力っちゅーもんが備わっている。例を挙げると、ウイルス感染にやたら強かったり、極端なやつだと肺呼吸からエラ呼吸に変身したりすることが出来るやつもいる。星より多い世界の中で、どうして共通してこんな性質があるのかってのは分かってない……さっき言ったろ? “お前は違う”って」
晴光は乾いた口に、一気にコップの中身を流し込んだ。声も笑えるほど掠れている。「それが……どうして、おれが帰れないなんてことになるんすか」
「倒れたろう。あの時。あれはショック反応だ。ここの環境に耐えられなくて体の細胞が融解を起こしかけて……ようするに、勝手にばらばらになりかけてた。出血が多くて、動かすのにも危険が伴った。そこで、とある薬を使ってお前の身体を保護したまま移送して、“適合処置”というものをした。これは適応能力の低い異世界人に、能力向上させるための手術だ」
「じゃ、じゃあ……! 本当におれを帰れなくしたのは、あんたらってことじゃあないですか! 」
「そうなるな。でも命が助かるにはそうするしかなかった」
「そんなの……」
顔を手で覆う。視界にも心にも、濃い影が差しこんでいた。急に締め切ったカーテンが息苦しく感じる。
「お前はもう、俺たちとおんなじだ。管理局は出来るサポートをしてくれる。俺も個人的に相談に乗ろう。ここじゃあ助け合って生きていくことが推奨されてるんだ」
※※※※
気付けば、ベットの上に寝転んでいた。また知らない場所だ、と晴光はぼんやりと思った。
木で出来た家具や、窓から透ける陽光。窓の外はこの角度からは見えない。
“異世界”というよりは“異国”だ。ちょっと文化が違うだけ。本当は、地続きの別の場所なのかもしれない。
そんな考えは、窓から外を見れば裏切られる。
月は二つ。
この御時勢に、電気が通っている気配の無い街並み。
なんだかよくわからないものが浮かぶ空。
……そう、最初に“異界の街並み”と思ったのは自分だったじゃあないか。
※※※※
街道を走る。逃げていたあのときのように。
ただし一人きり。ちっとも寒くはないし、気分が最悪なのは一緒だけれど、なんだか頭がふわふわしている。
走るとくそ暑いのに、背中の裏側はずっと冷たいままだ。昨日からずっとそう。
人に何度も道を尋ね、晴光は駆けた。
扉を開けた先にいたハック・ダックは、目を丸くした後に眉を寄せる。
「どうした。というか……どうやってここまで来たんだ。まだ金も渡してなかったろう」
ぜいぜいと喘ぎながら、晴光はハック・ダックの前に立った。
「あの、おれ、おれ……その、一晩考えたんです。お願いがあります! 」
「……なんでも言え」
「ここが異世界だってこと、おれに証明してください! はっきり違う世界だって、教えてほしいんです。お……お願いします!!! 」
Leading organization=導く組織
お世話になったのはグーグル翻訳先生。ありがとう。
晴光はあほだけどいいやつです
旧題「ここにいる訳など誰も知らない」