場面転じて、中年男と山嵐
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管理局の広々としたロビーは、混乱でごった返していた。
けが人、その手当をする者、すでに物言わぬ者――――男は隙間から体を押し出すようにして足早に扉をくぐり、外に出る。
自動ドアの向こうに喧騒が遠ざかる。冷たい外気に、深く息をついた。
また雪が降り出していた。
「何が起こったってんだ……」
男は百五十センチの小男であるが、その容貌はけして小さくて可愛らいとはいえない。ぎょろぎょろと曇天を苛立たしげに睨み付け、頭髪の薄い頭を掻き、男……ミゲルは苛々と唾を吐く。
「管理局は安全なんじゃあなかったのかよ」
ミゲルは懐から煙草を取り出し咥えると、またチッと舌打ちし、唇の煙草を箱に戻した。
「ちょっと休んで来たらどうですか」なんて徹夜三日目に突入しそうなミゲルに気を使った同僚は言ったが、今は悠長に一服している気にはなれなかった。
ここは『管理局』の本の国支部。
正確には、『異世界管理組織 実働部隊 物語管理局 本の国支部』であるが、誰もがこの組織のこの部署を、ただ『管理局』と呼ぶ。
『支部』といったって、ここは管理局にとって本拠地と言ってなんら変わりない。
局員のほとんどはこの地に住まいを持っているし、あらゆる重要施設も、この地―――この世界に存在している。
この世界の原住民は、『本の一族』。
本の一族は、管理局にサポート人材の提供をする代わり、『保護対象』となった民族だ。人口は約八百万を数える。
それに加え、管理局に所属する職員は、約三万六百人。
うち二万二百人が、非戦闘員で保護対象にあたる職員。
残りの一万四百人余りが実動員……訓練を受け、実際に“異世界”に行くことが出来て、自分の身は自分で守ることができるヤツラである。
ここは、管理局が守る本の国。
千年、その守りは破られていないとされる。それがまさに今日、破られていた。
空にいくつも立ち上る煙を見ていると、いても立ってもいられなくなってミゲルは膝を打って門を出た。街道にはいまだ、管理局に避難を求める列が途切れない。
「チッ……一人あたま何人守れってんだ」
「マッ、順当に考えて、部隊長格ともなれば百万単位っくらいすかね」
「マジかよ……偉くなるのやめよっかな」
後ろからついてきた同僚に、ミゲルは振り返らず天を仰いだ。
「つうかよォ、ミゲルさん。アンタ、こんど隊長になるって人が、なんで現場に出て行こうとしてんすか。前線に行くような能力なんざあ持っていないくせに」
「ばかやろう、休めっつったのはてめえだろうが。俺はなぁ、あんな陰気で煩いとこじゃあ煙草も美味くねえってんで出てきたんだよ」
「馬鹿だねェ、あんた。あっちはもっと陰気で辛気臭ぇとこだろうによォ……」
トトトと軽い足音がミゲルを追い抜き、目の前に手のひらが立ちふさがった。
たたらを踏んで、ミゲルは自分よりもさらに小さな体を見下ろす。
「あたしが用心棒してやりますよ」
「いらねえよ。どうせ侵入者は五人だっていうじゃねえか。よっぽど運が悪くなけりゃあ会わねえさ」
「あんたが運ナシなのは、あたしがよぉーっく知ってるぜ」
ひひひ、歯を見せて笑って、少女は指を突きつけた。前歯ばかりが大きくて不格好な歯並びだ。
「本当はビビッてんでしょ? 素直になりましょうよォ。今ならこのダニアさんが、部隊長を全力でお守りしますぜ」
「まだ部隊長じゃねえっての……好きにしろよ」
大きなため息を吐いたミゲルに、上機嫌のダニアは肩を並べて歩き出した。
管理局には多くの異形の形を成した異世界人が所属しているが、小人の血を引くというダニアは、その中でも弱者に捉えられがちな外見をしている。一見して、彼女が数ある戦闘員の中でも実力者の一人だとは考えられない。
どこからどう見ても、ただの小娘である。それも、とびきり小生意気な素行の悪い糞餓鬼だ。
「こっちが地元の人が使う近道なんですよ」と、ダニアは先立って街道を外れると、無邪気にあぜ道を指さした。
なるほど、確かに田畑のあぜを突っ切れば、回り道をして街道を行くよりも早いだろう。なんだか私有地の匂いがぷんぷんするけれど。
「大丈夫ですよぉ! 今日はみんな休みですもん」
「やっぱり見つかったらヤバいんじゃねぇかよ! 」
「そンときゃァ、こう……あたしの色気でですねェ―――」
ミゲルはダニアを上から下まで見た。頭の上でポンポン揺れる銀髪に、くりくりした碧の眼や、そばかすの浮く鼻は愛嬌がある。そしてむき出しの褐色の肌、特に脂肪の少ない胴のあたりを凝視した。
「……へそでは誘惑はできねえんじゃねえか? 」
「ちょっと! んでバストを通り過ぎたんですか!? 」
「俺の地元じゃあ、そりゃバストとは言わねえ。押しても叩いてもびくともしねえのは立派な胸板だ」
軽口を叩きあいながらの道中であったが、二人の足はけっしてのんびりとしているわけではない。
田畑と街路とを区切る白い壁、あの向こうでは、歩を進める市民の列があるのだ。
「侵入者が五人ってェのは、どんなやつらなんでしょうかねェ」
「さて、敵は五人どころじゃあねえって話だがな」
「そうなんですか? 」
「まあ、考えてもみろや。たった五人で、この管理局に乗り込んできて何が出来る? そりゃあ管理局の結界は強力だぜ。だって千年守り抜いた城壁だからな。第三の情報管理部の話じゃあ、どうやら裏切り者がいるってェ話が確定的だな」
「“五人の侵入者”は、かく乱のために招き入れた囮っつーことですか」
「そりゃあ、管理局にも昔っから裏切るやつは出てきたさ。この土地の水が合わねえってのは、どうしてもあるだろうよ。腕に覚えがあるのなら、そうやって逃げるように管理局を離れたやつは、仕方ねえと思う……敵として相対するのも、そいつの覚悟のうちだろうってな。……でも今回のは、そういうんじゃあ無いんだろうな」
「違うってのは……これが“個人”じゃあなくて、“組織”だからですか? 」
「そうだな。個人が複数固まって、チーム……徒党を組んでってのはあった。でもそれはしょせん横に広がって、『おてて繋いでみんなで逃げましょう』っつー連中だ。でも今回のは、どうやら上がいて、下がいる……ピラミッド型に、黒幕とその部下、さらに下の利用されるやつ―――何かの目的をもって人を傷つけるやつらがいる」
「どうして管理局にそんな恨みを……」
「いや、恨みを買うってことはやってることがやってることだけに、そりゃあ多いだろうが……これは違う気がするんだよ」
ミゲルは声を低くして、顔をしかめた。浅黒い顔に、白い眼球ばかりが目立つ強面だ。三白眼に浮かぶ小さい黒い瞳が、殺伐とした光を宿した。
「恨みじゃないってんなら、何だっていうんです? こんなひどいこと、恨み以外で……」
「……だから、“何かの目的をもって”だよ。なんだかよぉ、臭いんだよなァ……『裏切り者がいる』って聞いた時からよォ。その『裏切り者』が黒幕だとしたら、なんかこう、違うんだよ。やり方に怒りや恨みやらを俺は感じねえんだ。周到に準備をして、無感情に事を運んでるっつうか……」
「………」
「そうだな……“もし俺が裏切りものだとしたら”って考えたんだよ。もし俺が管理局に恨みを持ってだぞ? 足抜けする前に、一発ドカンと仕返ししてやろうと思ったら……現地人の“本の一族”じゃあなくて、管理局本体を狙うだろう? でもあいつらは“一族”を狙ったんだ。……それはなんでだ? 管理局は、“本の一族”を守らなきゃならねえ。そういう条約があるからな。彼らを狙って、“管理局”はどうなった? 見ての通りの混乱だ。管理局のホールを見たか? わりかし手の空いたやつが多かったろ? 現地はもっと混乱しているだろうに……対応に追われて、現状の把握が追い付いていないのさ。裏切り者の目的がこの混乱だとしたら、気持ち悪いったら無ェ。虫唾が走る。 “目的のために関係無い人を傷つける”。俺がそーいうのが、いっっ―――ちばん嫌いだね! 」
ミゲルは吐き捨てる。
「そンなら、急がなにゃなりませんね」
ダリアはいつになく真剣な顔を作って、ミゲルの背中を両手で押した。
「急ぎましょ。もうすぐ昇進する大切な身です。隊長になったら給金でヒラに御馳走してくださいよ」
「ふん。馬鹿にしてんのか? 俺だって訓練を受けた管理局の隊員だぜ。自分の身くらい守らァな」
「いーえ! ミゲルさんが守るのは、自分ではなく市民の命です! そしてあたしはそんなミゲルさんを守る! どーんと任せてくださいな! 」
「脳筋め……」
言いながらも、ミゲルは唇の端を曲げた。それは多くの人が『ほくそ笑む』やら『にやつく』と称するような笑顔だったが、ダリアは薄く耳を染めて、大きく頬を膨らませた。
ミゲルは戦場とは縁が深いが、自分が戦う方面においてはダリアとは比べるまでも無くからきしである。むしろ戦場に足しげく通った過去があるからこそ、今ではあれが恐ろしくてたまらない。
ミゲルの中では過去の記憶が蓄積され、恐怖と一緒に凝り固まって別の何かに変化している。それらは確かにミゲルの活動源でもあるけれども、しかし負の遺産である。
ミゲルはいつのまにか、血が怖くなっていた。暴力を間近で見ると、玉のような汗が浮かんで何も考える気がしなくなる。同時に思春期の癇癪に似た、あちこちにぶつけたくなるような怒りが湧いてくる。
男は一度は仕舞った煙草を取り出し、苛立たしげに噛みしめた。少しでも冷静になるために。
“現場”を踏んだミゲルとダリアを出迎えたのは、死屍累々としか言いようがない光景であった。民家はどれも戸が暴かれ、むっと血膿の臭気が立ち込めている。じっと目を凝らして見渡しても、生きている『本』をミゲルは見つけられなかった。
ミゲルはふと、足元に転がる瓦礫を手に取った。それは家屋の窓枠であったもので、乾いた材木はつるりとした断面をしている。それがあったのだろう民家は、少し離れたところにあった。
「うわっ! なんだこれ! 」
ダリアが悲鳴を上げる。民家はばらばらに解体されているのだ。
玄関から四方の壁も、戸も家具も全て、線を引いたようにまっすぐ、いっぺんに。
「どうやったら、こんなふうに輪切りにできるんだか……」
災害現場の中心には、荒事担当の第四部隊の連中がいた。顔ぶれは下っ端から中堅どころといったところか。
「おやまぁ、次期第三部隊長さんがコブ付きで何の御用で? 」
恐らくは指揮を任されているのだろう男が、ミゲルに寄ってくるなりこう言った。『コブ』と言われたダリアが背後で文字通り角を出しているが、男はミゲルだけを見下ろして嫌味っぽく笑っている。
「ちっとまぁ、手伝いにな。生存者は? 」
「あんたにゃ出来るこたァ一個もありゃしませんよ。邪魔になりますんで」
「動けねえ怪我人がまだいるだろう? どこだ」
ミゲルは鋭い視線を逸らさない。
この背丈は見下されてばかりだ。体格のわりには老けた顔をしているものだから、自分でも嫌になる。その上、目つきは最悪ときている。
しかしコンプレックスも、こういう時は使えるのだ。確かに、この角の立った目つきは人を刺激するが、それは繕った面の皮を剥すのにちょうど良い。
ミゲルがこうして五秒もガンを飛ばせば、そいつの本性が見えるというもの。
……さて目の前の男は、何秒で“剥ける”か。
「う――――うるせえなぁ! 」
やけに早口に、男は言葉を振り下ろした。
「戦えねえ腰抜けは引っ込んでな! 邪魔だって言ってんのがわからねえのかよ! 」
「じゃあこン中に! 災害現場での救護経験があるやつが何人いるってんだ! ――――いいか? “戦場”じゃねえ、“災害”の場だ。相手はてめぇら兵士じゃなねえ一般人。女や、ガキや、年よりの世話だ。―――――どうだ出来んのか? いるってぇのか!? 」
「それは――――」
「使えるから来てんだ! 生存者を増やしたきゃア俺を使え! 脳筋の馬鹿野郎共がよ! 」
男はしばし黙り込み、やがて溜息と共に粛々として頷いた。
「仕方ねえ……おい、そこの……そうそう、お前だよお前。連れてって差し上げろ」
男は瓦礫をいくつも肩に乗せていた隊員の一人を呼び止め、顎をしゃくる。見上げるほどだというのに三等身しかない体に、短い足と引きずるほど大きな腕を持つ男であった。首のない丸い体に過剰なほどの筋肉の鎧を纏っている、文字通りの筋肉達磨だった。
「……あい了解しました」
男は作業の手を止め、意外に礼儀正しい仕草でミゲルたちを先導した。「こちらへどうぞ。もう大半はテントへ避難しましたんで。そちらへご案内いたします」
旧題「汚れた毛並みも悪くないでしょ」