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本の虫と魔女。時々のっぺらぼう。おばけのガラス瓶を添えて。

 明かりとりのための天窓からは、青空が差し込んでいる。

 部屋の隅に、鍵爪のような金具のついた棒があり、エリカはいつもそれを器用に使って天窓を閉める。そうすると、棚が迷路のように立ち並ぶ室内は、ずいぶんと閉塞感を増す。

 天井近くから階段が伸び、下まで降りている。この部屋は、地上に顔を半ば出すような形の地下室だ。

 エリカはすっかりカーテンも閉め、暗くなった部屋に灯りを灯す。鈴型の花の形をした照明が、天井から垂れ下がっている。

 ここは、管理局の施設が仕えないまだ年季の浅い管理局職員や、本の一族の学生など、有志に貸し出している一室だった。

 外から見れば小さなアパートメントで、ヨーロッパ形式の建物のデザインは、この街ではちょっと珍しい。ここ地下一階の真上、地上一階の部屋は、エリカと、そして同居人の少年の居住スペースとなっていた。

 この世界の固有の文化は、アジアに似た伝統意匠が多く使われている。それは建物にも同様で、立派なものだと瓦が縁起物の獣の形をしていたり、窓の格子が見るも鮮やかな色に塗られ、幾何学的な模様を模しているものである。


 エリカがこの部屋を借りることになった経緯には、それこそ紆余曲折あるのだけれど、きっかけといえば、前に借りていた部屋には住めなくなったことだ。


 エリカは魔女であるからして、よく本を読む。

 薬草学、魔法学、錬金術、呪術、占星術、神話学、グリモワール……etc。正確に読み解くには、あらゆる文化圏の言語も年代別に学ばなければならない。言語にも、流行り廃りがあるのである。だから辞書の数だけでも膨大な量となる。

 しかし彼女の同居人、ニルという本の一族の少年は、彼女を上回る読書家だ。

 本の虫極まれりといった感じで、彼の実家では日に読む読書量を賄えず、わざわざ本の読めるところへ奉公へ出せるよう便宜した――――という冗談のような本当の話がある。

 ニルは管理局地下にある、膨大な物語のデータを整理をする仕事をしているのだ。

 蓄えられた書籍や文書、ビデオ、絵画など、それらをひたすら、毎日、永遠と、エレベーターの一番奥深くの地下室で、読んで読み解いて読み砕いてとにかく読みまくって、正しく分類していく……という、気の狂いそうな仕事である。実際に退職理由で二番目に多いのが、精神を病んでいく場合だったりする。

 よわいは数えで十七歳。

 そんなニル少年は、自宅へ帰りついてもまた別の読書をしているので、人呼んで『文字狂いのニル』との異名がある。


 エリカの持つ書籍は、大判の者がとても多い。ただ単に凶器になりそうなボリュームのものから、装丁に仕込まれた銀板や、水銀の入った小瓶、鉛で出来た秤ワンセットなどの(エリカ曰く)付録つき書籍もいくつかある。

 特に辞書類は、手元に所有していつでも使えるようにしておきたいものだ。そしてそういうのものは、ページ数は六十五ページなんてことには収まらない。

 ニルは自分の性癖を自覚しているので、あまり手元に置かないようにしていた。

 借りるか、ある程度になれば纏めて売る。それでも、どうしても手元で繰り返し読みたいものというのは出てきてしまう。

 ふっと「ああ、あのシーンが……」というようなお気に入りの一冊は、出来ることなら枕元にでも置いておきたいもの。

 ニルが突然死するとしたら、寝ている間に本に埋まって圧死か窒息死であろう。


 エリカとニルの前に借りていた自宅は、二階建て長屋の二階南端の二部屋だった。

 ある日突然に、その時はやってくる。休日だったのが幸いであったのかもしれない。

 状況説明は、一言で足りる。




 本の重さで床が抜けた。





 そんな小説よりも奇なりとばかりの事態に、ニルとエリカは奔走することになる。

 管理人には怒髪天で怒られ、下の階の苦学生までも住まいを移ることとなってしまった。品行優勢なニルですら、ふだんは温和な上司にチクッと言われてしまったし、エリカは研究の機材が一部パアになって買い直さなくてはならない。


 金が無ければつても無い。若さだけは有り余る。なんてったって十三歳と十七歳である……そんな二人に手を差し伸べたのは、管理局の受付嬢その2こと、山羊足のクリスタベルであった。

「彼氏がそういう仕事してるんだよね」と快く紹介されたのは、ひょろりとした猫背の、にこやかな青年である。ボランティア活動が趣味だという彼は、未来ある若者に、格安で部屋を貸すような奇特な人物を知っていた。

 件の可哀そうな巻き込まれ苦学生が隣人として収まったのは、泣きっ面に蜂からの勿怪の幸い。袖振る縁もなんとやら、というやつだ。



 さてこの地下室は、蔵書の本棚と、三分の四ほどを区切ってエリカの作業場となっている。

 普段は住民二人以外は踏み入れないそこに、階段を下りてくる者があった。

 エリカは振り返らず、迷わず自分の作業場の机の上にある丸い瓶を抱えた。バレーボールほどもあるその瓶は、中に乳白色をした煙が溜まってふわふわと揺れている。


「どうぞ。これの中に“います”から」

「ご協力感謝いたします。うぐっ……」


 進み出た“彼”は、エリカの腕から瓶を受け取り、思わぬ重さにわずかによろめいた。顔には白い陶器の面。

 面があらわすのは、管理局の行政機関、第一部隊。この人物が、そこの所属だということだ。


 昼に巻き込まれた傷害事件の犯人の一人、藍色の髪の男。“小さな銀河”に飲み込まれた男が行き着いた先こそ、この瓶の中である。

 “おばけのガラス瓶”。

 それが、この瓶に付けられた名前だった。


 “おばけのガラス瓶”は、対象を気体として収納しておく道具だ。ニルは『全自動の魔封波つき電気ジャー』などと言っていたが、エリカには元ネタがさっぱり分からない。

 対して“小さな銀河”は、瓶が割れると発動する魔導転送装置である。行き先は登録制、エリカはこれを実験のために“おばけのガラス瓶”に設定して、たまたまポケットに入れて持ち歩いていた。


 エリカはえっちらおっちら階段をやっと上った先の玄関で、右手を差し出す。

「はい、では、こちらの“おばけのガラス瓶”お代は五百になります」

「えっ」

 今にも帰ろうとしていた第一部隊のお面職員は、のっぺらぼうの白い顔にタラリと汗を流した。ニルはなるべく、お面の奥と目を合わせないようにする。


 エリカは言う。

「これ、一度開けちゃうともう使えないんですよ。試作品なので、それなりにお金もかかってますし……」

 エリカはさもお金に困る哀れな娘の顔で、少し涙を浮かべてうつむく。

 可哀そうな職員は、肩を落として「経費で落ちるかなあ」と呟いていた。どうやら使いっ走りにされるほどの地位らしい。


「………ちょっとこれを、持っていてもらってもいいですか。財布を出したいので」

「あ、はいはい」

 ニルが手を出す前に、目の前のエリカが俊敏な動きで瓶を受け取った。細腕からは考えられないほど、安定感のある受け取り方である。


(……僕の相棒は図太いもんだ)

 賢明なニルは、口には出さなかった。



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