精霊賢者と小さな銀河、新星の瞳見つめる先
※※※※
「う~ん………」
ハック・ダックはがりがり頭を掻いて呻いた。
「仕方ねえな……俺はこっちは苦手なんだが……」
蜘蛛の巣のように広がる石畳の中心で、ハック・ダックは唐突にしゃがみこんだ。地面にはめこまれてる白い煉瓦を手のひらで押す。
がちゃん
景色が回った。
周囲の青空が反転し、太陽が巡る。青空は白く霞んで目を焼くほどに眩しい夕焼けになり、先導する月が星を引き連れて暗幕を下ろす。
いつしか下では、コンクリートが白いリノニウムの道に、草原が水槽に変わっていた。
煉瓦があった場所には、床からせり上がった円柱型のテーブルがある。
「す、すげえ……」
「ここには二つの名前がある。さっきのは“挑戦の丘”。こっちは“瞑想の泉”。ま、景色以外は大きな違いは無いんだが、こっちのモードにだけある機能があってな」
ハック・ダックは、テーブルのパネルに指を滑らせた。
軽い耳鳴りのような音と共に、青白い不鮮明な像が、テーブルの上に現れる。
「力あるものよ……」
水面に映る影のようにゆらめくそれは、やがて白いローブをたなびかせる人物の姿を取った。
「隠されしその誉れ、その手に授け……――――なんじゃあ。むさっくるしいのぅ」
それは老爺だ。
「ケッ! 男ならよそでやらんか」
ローブの裾をパタパタさせながら、仙人のような老人は、初っ端から不機嫌そうに唾を吐いた。ハック・ダックの顔も嫌そうに歪む。
「ハック・ダックよ。貴様、今更このワシを頼るのか? 」
「俺じゃなくて、こっちの検査なんだよ」
「んンン? ……なんじゃい。そっちも男か。ア~ア~最近の新人は男ばっかりじゃあ。さすがのワシもやる気失くすわい。四年前のエリカちゃんは可愛かったなア~今ごろはもっと可愛く育っとるんじゃろうなァ~」
「……見ての通り、こいつがこの“瞑想の泉”モードに付属してる人工知能“泉の精霊賢者”だ」
憮然として、ハック・ダックは親指で老爺を指した。
「幾年月、ワシはたくさんの若者の隠された力を暴き、見送ってきた……ワシ人工知能だから、検査の時にしか口もきけんし出られんのよ。憐れに思うてくれんかのう? ああ~毎日が寂しくてたまらん! よよよ……」
老爺はローブで顔を覆う。仙人はハック・ダックを意味ありげに、ちらっとローブの隙間から見つめた。
「……おぬし、憐れなワシに手土産に写真のひとつでもありゃあせんのか? 」
「てめえ、菓子折り持ってきても食えねえだろうがよ」
「そっちの賢そうな坊ちゃんは? 」
「ないっすね。……すいません」
「なんじゃあ! 気の利かん餓鬼ばっか来よってからに! ハック・ダック! 貴様、エリカちゃんの先生なんじゃろ! 知っとるんじゃぞ! 」
「ここから出られないくせになんで知ってるんだよ! 気持ち悪いな! 」
「ワシには電子の世界にたくさんの女友達がおるんじゃ! 綺麗どころの揃ったハーレムじゃぞ! 羨ましかろう! 」
賢者は曲がった腰を持ち上げて、薄い胸を張る。
「な、なんなんすか……このお爺さん……」
「だから、“泉の精霊賢者”っていう人工知能。ここの機能は全部こいつが掌握していてな、フルパワーで全ての機能を使うには、こいつがいないと駄目なんだよ。……開発者が変人なせいで、データのくせに色気づいた性格していやがって」
「おい! 聞こえとるぞ! 」
「チッ地獄耳め……」
忌々しげにハック・ダックは顔を顰めた。
ハック・ダックは気を取り直して精霊賢者に向き直る。
「爺さん、今日はこいつの能力検査なんだ。爺さんなら分かるだろう? さくっと始めちゃくれねえか」
「こんどエリカちゃん連れちこい」
「……分かった分かった」
「はあ、仕方ないのぉ」
賢者は首をポキポキまわし、杖にすがって立ち上がる。
「坊主、こっちこい。ハック・ダックは下がっとれ。そう、向こうの壁が邪魔にならんでええのぉ。坊主はもっとこっちじゃ。中心に立てい。……そう、そこじゃ」
晴光はちょうど、賢者を背にするように立った。正面より向こうには、ハック・ダックが注視して立っている。
「では、始めるぞい」
※※※※
男は二人。管理局の制服を着た藍色の髪の男と、筋骨隆々と体格のいい“尖り耳”の男である。
尖り耳とは、耳の上部分が葉のように鋭尖頭型になっているのが特徴の“ヒト”のことだ。一部の小人や精霊にも表れる特徴の一つで、“ヒト”の形をした者に限定してそう称する。
まあ、俗にいう“エルフ耳”である。
エリカは懐から、一本の小瓶を取り出した。
濃い紫の色をしたガラスに入れられた小瓶は、一見して香水のように見える。
「なあにそれ」
ニルが尋ねる。
「この前作った新作」
エリカはニンマリと口角を釣り上げた。反対にニルの口角と眉は情けなく下がっていく。「そ、それって……“あの”……」
青くなるニルは、目を皿のようにしてその小さな小瓶を凝視した。濃い紫色の中に、星のまたたきのように淡く光る黒い霞のようなものが見える。
『小さな銀河』と名付けたその小瓶を、エリカは蓋を取ると手早く群衆の中心に投げ入れた。
瓶は弧を描いて、頭の群れをヒューンと飛び越していく。
果たして瓶は、藍色の髪の男の足元で割れた。
いち早く反応した尖り耳の男の方は、素早く後ずさった。藍色の男の方は、少女を片手に吊り下げたまま、濁った眼を緩慢に足元へと動かしただけだ。
直系五センチ、高さは十五センチ余りの小瓶から、もくもくと濃厚な黒い煙が湧きあがる。一瞬にして男の胸の高さまで膨れ上がった。
きらきらと淡く小さな星々が、星雲の中を泳いでいる。黒は星の集まりによって色を変え、紺や青にも流れる水のように色を変えて瞬く。
小瓶に詰められた“小さな銀河”。
魔女は言う。
『草木に生命があるのは知っているでしょう? そしてそれを食べる生命がいて、さらにそれを糧にする生命がいる……魔法の原理は、そういう生命の力を少し借りることで成されるの』
『生命は生命から生まれるわ。だから魔術学からしてみれば、生命が育まれる土壌たる星に生命が宿っていないわけがないのよ。そして生命には、大なり小なり“意思”が宿る』
『つまり、星は生きている』
―――――星と目が合う。
ファンの腕を釣り上げていた腕は、強張るようにして力が抜けた。男の何倍もの背丈に膨れた“小さな銀河”は、男の眼を魅了して離さない。
その一瞬、星雲は大きく震えて豊満な女の姿を取った。赤い星を瞳にはめ込んだ女は、泳ぐように男の身体に纏わりつくや、婀娜な笑みを浮かべて男を腕の中にしまいこんだ。
※※※※
そこは屋根の上。
大通り、街でも名高い商店の瓦屋根。腹ばいになったその人物は、スコープ越しに乱闘を見つめていた。
(今日は風が強い……)
彼は邪魔そうにたなびく覆面を直すと、再び下に視線を落とす。
「おーおー、やってるねぇ。鮮やかなお手並みってもんだ」
覆面の隣に立った男は、同じく顔を隠している。男の面は、ごつごつした赤ら顔が、歯をむき出しに笑っている。面の後ろ頭では、男の長い黒髪が尾を引いていた。
「おい、いけるか? 」
「……いけます」
「さすがさすが! 期待の新星といわれるだけがある」
「………」
(そんなこと、誰が言ってるんだか)
覆面はため息ともとれる長い息を吐いて、引き金に手をかけた。
輝くように淡い、青い瞳が、射抜くように前を向く。
その先にいるのは、黒髪の魔女。
※※※※
「な、なんだ……? 」
尖り耳の男がつぶやく。
雲は晴れた。現われた光景に、キャーッと群衆から悲鳴があがった。ざわざわと動揺した人ごみが蠢きだす。
ファンは地面に尻もちをついたまま、紅色の眼を瞬いて、今まで自分が立っていた空間を凝視する。
「き、消えた……? おい誰だ! あいつをどこに――――」
言葉は最後まで紡がれない。中心に躍り出た“本”の少年はウサギのように跳ねて、片足を男の首に叩き込んだからだ。
「【“‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐”】【“‐‐‐”】……」
エリカは群集の後ろで、声無く呪文を唱える。糸を手繰るように片手が動き、“輝く何か”を内包した泡のような空気の粒が、彼女の体のまわりで幾重もの円陣を組んだ。
足が刻むのは短いステップ。
ニルの蹴りで地面を見ていた男の首が、砂鉄が磁石に引かれるように群衆の向こうへ曲がる。
「――――教官に比べたら、あなたなんて遅くてたまらないわ」
男の緑の瞳がぐるりと廻る。鈴の鳴るような声と共に目前に迫った少女の瞳は、あの星雲に似た、星の粒が瞬く紺だった。