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少女と少年と乱闘予告

 ※※※※



 細い針が自分の腕に吸い込まれていくのを、彼女はジッと見ていた。管に赤い水が溜まっていく。

 これが自分の中に流れているのか、と思うと、なんだか現実感に乏しい光景だった。

「はい、おしまい。お疲れ様でした」

「ありがとうございます」

 年配の女医の手が、慣れた手つきでファンの注射痕に絆創膏を貼りつける。

「変な子ねぇ。ふつう、自分の注射なんて目を逸らすものなのに」

「あ……ごめんなさい。癖なんです」

 ファンは顔を赤くして口を結ぶ。

「ふふふ。いいのよ。まったく平気って人もたまーにいるから。でも、貴方みたいに若い女の子がそうなのは珍しいなって思っただけ」


(あっ……)

 女医の眼に、わずかの憐憫が掠める。この女医は知っているのだ。自分が、二年前の事件の被害者だという事。

 それはそうだろう、と思い直す。何せ、この注射はあの恩人の少年のためのものだからだ。

 晴光がファンを連れて逃げ出したあと、生家は火にかかり半焼となった。両親を手に掛けたのはアン・エイビーだと分かったが、同居していた従兄は行方不明。

 両親の縁戚はすでに無いのと同じようなものだったので、ファンは本当に一人きりになってしまった。

 それでも、この“管理局”のある街にいることが出来ているのは、管理局が手厚い被害者たちの保護に乗り出したからだ。


 たくさんの被害が出た。どこかの建物に爆発物があったらしく、ただでさえ壊滅状態だったところの火事で多くの遺体が焼けてしまった。街を燻した熱のせいか、あの日の雪は雨に変わり、火は二日と経てずに消火された。

 幸いにも、管理局のある西の丘までは火は届かなかったが……。


 地獄の二日間。ファンはその二日間を、よく覚えていない。保護された彼女は他の軽傷の被害者と共に、管理局の一室で丸まっていたからだ。


 街には本の一族の、約半分ともいえる人口が存在した。

 この未曾有の事態を起こしたのは、裏切ったとはいえ管理局の職員アン・エイビーだったから、管理局は被害者に手厚い保護と保障を約束する。


 もちろんファンは、自身は軽傷とはいえ孤児になってしまったわけだから、同じような孤児たちと管理局が支援する孤児院に入った。

 孤児院といっても、外見的には民家と変わりはない。いくつかの普通の家に三人から多くて五人ほどずつ、生活を共にするのである。

 幸いにもファンがお世話になったのは子供がとうに独立した老女とその嫁のいる一家で、一緒に入った孤児は五つと七つの兄妹だった。

 一家にはまだ一人ファンより三つ四つ上の孫息子がいたけれど、すでに奉公に出て家にはいない。特に軋轢もいじめも無く、その一家はよくしてくれ、十にもなれば、知人の宿を手伝うことで給金も与えてくれた。

 食事や諸々の生活費はファンの懐から出さなくてもいいのだから、幸せすぎる待遇だと思う。


 十一の春に、貯めた給金で受験して医学を学ぶ学校に入った。入学金や学費は、半分を一家が出してくれた。残り半分は、奨学金として出世払いだ。寮に入る彼女を涙ながらに送り出してくれた家族には、感謝してもしきれない。


 二年の時を超え、寮の自分の部屋に現れた“男の子”。

 なぜ彼がそこに現れたのか、という疑問には心あたりがある。

(あの時、わたしの血を飲ませたから……)


 まったく自覚はないけれど“本の一族”の血は、異世界人にとって万能の薬なのだという。

 “血を啜れば万能薬、飲み干せば不老の薬、はらわたまで食らえば不死の妙薬”と謂われているのだそうだ。

 千年ほど昔、本の一族はその血のせいで数を減らし、一時は百人を切ったのだという。

 同じ一族同士だと効かないものだから、実際に試した者はほとんどいないだろう。もちろん、ファンを除いては。



 しゅう 晴光せいこうというあの少年は、今ごろ検査漬けの日々だという。管理局に所属する異世界人が最初に必ずするという検査は、その過酷さで知られている。くわえて彼は特殊だから、もっと酷いだろうとお喋りな年配の女医は言った。


「あなたの血が、彼にどう作用しているのかは分からないけれどね。でも彼の様子からして、悪く作用しているようには思えないわね。二年前のあなたはよく決断したわ」



「ふう……」

(やっぱり、ここに来るのは緊張する)

 ファンは石畳を歩きながら、肩の力を抜いた。

(……今ごろ、あの人も中にいるのかな)

 陽光に反射する窓を見あげてみても、中の様子は見えない。ただ、ガラスに映る曇り空があるだけだ。

 明日からはまた学校が始まることになる。あの少年も、検査が終わって身の振り先がある程度決まって来れば、あの宿を出て下宿を探すのだろう。

 命を助けられ、助けて……そんな関係の彼に会うことも、これから何度あるのだろう。漠然と、やがて途切れるだろう縁なのだろうと思う。


 一歩門を出ると、そこからは見慣れた街並みだ。この国で、一番広くて賑わう大通り。

(お土産でも買って帰ろうかな。ちび達にはお菓子でも……)

 軒を連ねる店に目移りしていると、どすんと何かに弾かれた。

「――――ごっ、ごめんなさい! 」

 ファンは飛び上がって頭を下げる。ぶつかったのは、暗い藍の髪をした男だ。

 顔色が蒼白で、瞳がなんだか濁っている。肌には黄疸のようなものが浮いていて、垢じみた服が汚らしい。

 色彩が濃いので本の一族かとも思ったが、よく見れば顔立ちの彫りは深く、瞳の色が赤茶で髪色とちぐはぐ、緑の制服を着ている。管理局の異世界人だ。


 爪の伸びた骨ばった手が、地鳴りのような唸り声をあげて、ファンの右の腕を掴みあげた。

「ひっ――――」



 ※※※※



 こつ、こつ、こつ……。

 煉瓦の花壇の淵に座り、石畳を叩く。

 “淑女”と他称される彼女が履くのは6㎝のパンプス。かかとを規則的に揺らすのは、彼女は上機嫌のあかしである。

 エリカは淑女らしからぬ大口を開けて、はむりと目の前の肉入りの饅頭に齧り付く。「別にお姫様じゃあないんだから」とは、彼女の談だ。


 管理局の門の内でも、多くの屋台が出ている。狙いは管理局の職員である異世界人や、勤めの本の一族である。

 場所と数に限られるこの激戦区では、三か月以上も店を出していると、「当たり」として余所に店を移してもある程度の客が入る。箔をつけるため、わざわざ莫大な資金を立て、限定して出す店もあるほどだ。

 客の方も「当たり」を詮議するのを娯楽として、日替わりで楽しむ者もいるのである。


 エリカはこの街に住んでもうすぐ四年になる。候補生の中では一番の古株で、一番年下だ。

 彼女は普段、あまりこういった屋台には手を出さない。特に味の好みにうるさいわけではないのだ。ただ毎日違う屋台の、違う味の食事をするというのは、不健康な気がしてならない。

 そして何より、家に帰れば食べなれた料理がある、というのが大きい。


 遅めの昼食を頬張りながら、エリカは隣で同じく口をいっぱいにする少年をちらりと窺った。

「うん、よかった。あたりだ」

 少年は嬉しそうに言って、二口、三口と口に運ぶ。量の多い茶色の髪を一本の太い三つ編みにして背中に垂らす少年は、黄色の瞳をして、瞳の色に併せた着物を着ている。色鮮やかな色彩を持つ“本の一族”の中でも、平凡な色彩と凡庸な顔立ちを持つ。帯代わりに玉のついた黒い帯紐を代用しているのが、特徴らしい特徴である。


「たまには外食しないとねぇ」

「……私、家で食べたかったわ」

「まぁ、そう言わずに。たまに休みが重なったんだから、作り置きのおかずじゃあ味気ないじゃないか」


 妹にでもするように、少年はエリカの頭を小突く。エリカは少々むくれたが、ゆらゆら石畳を打つ音は止まっていない。


「ねえ、ニル」

「なんだい? 」

「こんど新人が入ってきそうよ。今日あたりで検査が終わるんじゃないかしら」

「まだ検査段階なのに、管理局の実動員研修生に入るってどうして分かるんだい? 」

 ニルは饅頭を包む紙をむしりつつ、なんともなしに疑問を口にした。エリカが口を開くと同時に、また一口頬張る。

「勘よ。ただの」

 その一言に、ニルはもぐもぐとエリカの顔を見つめる。たっぷり味わってから嚥下したニルは、首を傾げた。

「でもエリカのそれは、ただの勘じゃあないだろう? “魔女の勘”ってやつだ。当たるに決まってる」

 エリカは何が癪に触ったのか、今度こそぷくっと膨れて立ち上がった。


「そんなこと無いわ」

「うーん。でも僕の経験則からして、ほぼ百発百中なんだけどなあ……もぐもぐ」

「もう! 」

 ニルの饅頭で膨れた頬を、エリカは摘まむ。

「ふひははひょびれひゃうひょ」

「あんたは私を甘やかしすぎよ」

「ひょふはほほひゃいひょ。ひゃべひぇはいひゃらひょっほははひへ」

 ニコニコと笑うニルの頬から、エリカは不服そうに手を離した。


「もう夏が近いね。土の匂いが強いや」

「……そうね」

「たぶんね、エリカの事を一番知ってるのは僕だと思うんだよ。エリカが頑張ってることを知ってるのもね」

 また、エリカはプクリと頬を膨らませた。

「………」

「あ~……今日の御夕飯は何にしようかなあ。昼が遅かったから、あっさりしたのがいいよね? 」

「ランチ食べながら夜の献立を聞かないで」

「僕はね、エリカ。僕のごはんを毎日美味しく食べてくれる人に、厳しくできる生物じゃあないんだよ」

 困り顔でニルは頭を掻いた。

「知ってるわよ……ああもう、面倒臭い! 私にこんな面倒臭いこと言わせるのはあんただけよ! 分かっているの! 」

「うん。知ってる知ってる」

「ニル、あんたって本当に……」

 エリカは呆れ果てて額に手を当てた。


 その時。

 まばらに往来していた人々の流れが、ざわざわと変化した。波打つように漂ってくる空気の変化に、エリカは胡乱げに顔をあげる。

「……門の方ね」

「そうだね。何かあったのかな? 」


 エリカが門の方に向かったのは気まぐれだ。そうすると、必然ニルが後を付いてくる。

 街の大通りメインストリートの終着に位置する門を出ると、黒山の(というには色鮮やかな)人だかりが出来ていた。

 悲鳴と叫び声。しかしこれだけの人間が静観やじうましているというからには、被害は広範囲に及ぶものではないだろうとエリカは判断した。せいぜいが喧嘩か、悪くても刃物でも振り回している程度だろう。

 エリカはニルの肩を叩く。「……野次馬するの? 」

 少しの不本意を滲ませて、ニルはエリカを見つめた。やがて、溜息をついてエリカの前に膝をつく。

 エリカはニルの肩に手を乗せ、腕をいっぱいに伸ばした。足は後ろ手に回したニルの手の平の上に乗せる。矮躯の少年は、しかし危なげなく少女を背に乗せて立ち上がった。


「見える? 」

「男が二人。管理局の制服着てるわ。やっぱりただの喧嘩ね……ん、あれは……」

 エリカは淡々と、見たままを伝えていく。

「……本の女の子が絡まれてるようね。まだ子供だわ……色恋沙汰ってふうでもないわね。……あれ、あの子どこかで見たような」

「どんな子? エリカが知ってるなら、僕も知ってるかもね」

「桃色の髪……そうだわ。あの子、ニルの家に引き取られた子じゃないかしら」


 口を閉じるより前には、エリカはするするとニルの背を降りて彼に向き直っていた。

「ニル、助けるの? 」

「うん。うちのばあちゃんと母さんがお世話になってる子だしね」

「お世話してる、じゃなくて? 」

「世話をする人がいないと駄目な人たちなんだよ」

「……ああ、なるほど」エリカは心底納得したという顔をした。「あんたを見ていたら分かるわね」


 エリカは人の群れを一歩後ろに下がって眺めた。

「……さて」

 ――――どう前に出るか。


 ニルが、おずおずと尋ねてくる。

「一緒にやってくれるの? 」



 エリカはニヤリとする。

「いまさらね」



ぷくっ

挿絵(By みてみん)


旧題「Stand up to the fight!」

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