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湯煙にて仮説

14/8・22 ハック・ダックの説明を加筆。


 ハック・ダックは大きなため息を吐いた。


「まったく……帰り道くらい覚えておけ」

「すんません……」



 昨日は半分頭がどこかへ行っていたし、今朝も夢中で飛び出したものだから、晴光は道中の景色すら曖昧であった。ついでに昨日から何も食べていない。

 見かねたハック・ダックは、軒を連ねる露天の一つで餅菓子を奢ってくれた。厚紙の上に乗せられた、串に付いていないみたらし団子に似たそれは、タレよりも団子自体の甘みの方が強い。タレはむしろあっさりとしていて、醤油の味こそしないけれど軽食には十分な味だった。

 道にはどこに行っても、たくさんの露店が並んでいる。多くは食べ物の屋台で、器を持っていくと割引されるらしく、子供がボウルのような大皿を持ってお使いに来ている姿も見えた。


「お祭りでもあるんですか? 」

「いや、ここはいつもこんなもんだ。家で作るとなると、火を使うからな。店で買う方が安上がりっていう家も多いんだよ」

 晴光からしてみれば、自炊の方がよっぽど節約になるのではないかと思う。晴光は毎日弁当を持たされていたし、父が出先で弁当を買って帰ると、母親がよくぶつぶつ言っていたから。

(……思い出すんじゃなかった)

 母は今ごろ、どうしているのだろうか。




 宿の入り口には女性が一人立っていた。緑の髪をした恰幅の良い壮年の女性で、晴光とハック・ダックを見るや目を丸くして大きな声で叫ぶ。

「あらあ! やっと帰ってきた! 飛び出してったっきり帰ってこないから、何かあったんだろうかって心配していたんですよぉ! 」

「す、すいませ……ぐえっ」捲し立てるように彼女は言って、晴光の背中を布団の埃でも落とすような勢いで叩く。

 昨日のことはよく覚えていないが、そうか。この宿の女将さんらしい。

 そういえば昨日挨拶させられたような気がする。

 ハック・ダックが腰を折り、低い場所にある女将の視線に合わせて言った。

 顔色の悪い男前に、少し女将の頬が赤くなる。

「すまんかったな。手間かけて」

「まったく! 子供を連れ出す時はちゃんと一言あるのが大人ってもんでしょう! ずっと坊ちゃんを待ってる子がいたんですよ! ああもう、こんなに汚して……」

「待ってた子? 」


 その時、扉がおもむろに開き、おずおずと少女が顔を出した。半分だけ見えた顔は、晴光を確認すると慌てたように引っ込んでしまったが、桃色の髪をおさげにした彼女である。

「よかった……」

 扉越しに、つぶやきが聞こえる。

「ご、ごめん」あまりに心底ほっとしたように彼女が呟くものだから、ついつい謝ってしまった。

「この子ったら、朝一番に来たんですよ。それで部屋に呼びに行ったらいないんですもの。たいそう心配してねぇ」

 女将は、訳知り顔で頷いている。そんな女将に、ハック・ダックは辟易顔で相槌を打っていた。


「さあ、感動の再会は終わり! 中に入って! お風呂が沸いてますからね。あなたもほら! 」


 今度はハック・ダックの背中を、女将はバンと叩いた。さすがの巨体はびくともしないが、顔はおおいに焦っている。

「い、いや、俺は……」

「遠慮しないの! 」女将は手慣れた様子で、ぐいぐい全員を扉の向こうに追い込んでしまった。

 宿の入り口には小さなカウンターがあり、小さな鉢に朝顔に似た赤い花が咲いている。

 わだかまって立つ晴光らを見渡し、ハック・ダックは諦めたような溜息をついた。


「じゃあわたし、宿舎に戻りますね」

 唐突に、少女がちょこんと頭を下げた。

「宿舎って? 」

「その……わたし、寮にお世話になってるんです。もうすぐ門限ですから、今日は失礼します」

「でも、もう少し……」

 口を開きかけた晴光を、女将が大声で遮る。「あらダメよ! 」

「ファンちゃん、今日くらい小母さんのところで食べてきなさい。うちの人も楽しみにしているのよ。ねえ、アンタ! 」

 カウンターの向こうから、初老の男が笑顔で親指を立てている。その片手には受話器が握られていた。

「ホラ! もう寮母さんにはあの人が連絡しちゃったわ。まずはお風呂に入ってきて、夕食にしましょう」



 言葉こそ『しましょう』であったが、その実は有無を言わさぬ連行であった。

 気付けば着替えを持ってあれよあれよと脱衣所に放り込まれ、びしゃんと背後で戸が閉まる。

「………」

 晴光とハック・ダックの視線が合う。ハック・ダックの溜息を合図に、二人は黙々と服を脱ぎだした。





(ちょっと母さんに似てるかも)

 ふくよかな体型で、かかあ殿下。大口を開けてアハハと笑う。食事に誰かを引きづり込むのが何よりも好き。

(……ああもう、だめだ)晴光は顔に熱いお湯をかけて、眉間まで沈んだ。泣きそうになる。

 母親が恋しいなんて、もうそんな年じゃあないのに。ふっと頭に浮かんでは、急に涙が零れそうになる。

(なるべく思い出さないようにしてたのになぁ)

「……この国では、温泉がよく湧く」

 湯船に足だけを浸けながら、おもむろにハック・ダックが言った。物思いに耽っていた晴光は、はっと顔をあげる。

「だから湯船に浸かる文化があるんだが、どうも俺はこの“お湯に浸かる”っていうのが苦手でな。必ずと言っていいほど上せるんだよな……こうしてるだけでも湯気で茹で上がりそうだ」

「ぜんっぜん顔色変わってませんけど」

「うるせえ。言うようになったじゃねえか。あいつらの真似だけはすンなよ。あいつらは稀に見る問題児ばっかだ。……ああいや、こんな話をしたいんじゃねえんだ」

 もごもごとハック・ダックは口籠る。

 徐々に晴光にも分かるようになってきた。彼はあまり、言葉を使うのが上手くない。きっとそれを自覚して、彼なりに言葉を組み立てているのだろう。


「……昨日いろいろ説明したがな、お前の境遇は、実はもう少し複雑だ」

「………」

 晴光は黙って、湯船の中からハック・ダックを見上げた。

「まず、倒れたお前に処置を施したまでは良かった。俺たち異世界人には“適応度”というものがある。生まれ育った世界と違う環境で、どれだけ適応できるかの数値だ。例えば……水の中でどれだけ息を止められるか、ってなもんだ。眼を閉じて、息を止めて水が入らないようにする……それが出来るかどうか、みたいな感じだな」

 ハック。ダックは晴光のために、分かりやすく噛み砕いて説明する。

「この土地にとってイレギュラーであるお前には、“適応度”が存在しない。……つまり、水の中で息が止められなかった。そうなると溺れて死んじまうだろう? だから俺たちは、まず応急処置として呼吸器をおまえに取りつけて、水の中でも息が出来るような手術をした。難しく言うのなら、“適応度”の数値ゼロをイチにするための処置を、お前に施した」

 それはハック・ダック自身にも、候補生の二人の口からも、教えられたことだった。


「本当なら、こんなこと起こるはずがないんだ。いいか、周晴光。おまえはあの日、処置のあと消えていなくなった」

 ハック・ダックの脳の片隅が、思考に沈む。

 そう、あの日。混乱の中で、さらなる混乱が投げ込まれた。共犯が疑われる少年の消滅。混乱という火は燃え上がり、情報と憶測の境が曖昧になる。混乱は恐怖を呼び込んで、さらに大きく膨れ上がって飲み込んでいく―――――。

 火の粉は、単独行動を取ったとして問題になったハック・ダック自身にも飛んだし、部下をなくして消沈するミゲルにも飛んだ。お互いに、それらの火傷の痕は、今でも響いている。

 この街にいたほとんどの人間が、一度は重箱の隅をつつくような言いがかりをつけられただろう。うやむやに漬け込まれた汚職や詐欺が重ねて起こり、それらの半分以上は、いまだに清算が取れていないという。

(いや、それはこいつには関係がないことだ)


 たくさんの変化があった。津波のように飲み込んで、かっさらっていった。波が引いた後、誰もが呆然と立ち尽くす。

(……こいつはあの頃の俺たちの気持ちを、たった今、体で感じている)

 ならば、いち早く立ち直った自分たちが支えてやるのが筋だろう。


「……ここは、あの事件があってから、ゆうに三年たってるんだ」



 ※※※※


「は?消えた? 」

「そそそそそうなんです! 」

 ハック・ダックは怪訝に相手を見返した。相手の男は技術部門の第三部隊の男……自分よりずっと地位が上にあるハック・ダックを前にしても、この現象の方にいたく興奮している様子で、肩は小刻みに震えている。

「け、けけ計測していた直前の数値は、かか完全に適応度低下による融解現象が起きていました。し、しかし処置を終え、その数値も“レベル2”まで、あ、ああ安定して上昇していたのです。そっ、それがですね、急に融解現象が始まりましてな。けれども数値はなおも上昇を続けておりましたのでビックリ! い、いやあ、気付けばベットはもぬけの殻で……」

「敵の方に行ったってのか? 」

「そ、それはありませんな。だって場所は我々の研究室ですぜ。ろ、ろろ、漏洩阻止のための設備は万全、そこだけは胸を張れます。なんてったってエネルギーをバカ喰うシールドなもんで、未発表なんですからね! 」

「胸を張るな経費泥棒。経理にチクるぞ……ったく、じゃあ何が起きたってんだ。見解は出てるんだろう」

「ヤダなあ。出るワケ無いじゃあないですか! こんなオカルト現象に! 出たのは、か・せ・つ・だ・け! 」

 きゃぴっと謎の奇声をあげながら、研究員は眼鏡のフレームを押し上げる。左手で白衣の裾を持って内股になり、眼鏡に添えた右手の小指は立っているが、彼は可愛い童女ではなく、紛れもなく男である。それも、青白い顔に無精ヒゲの小汚い中年男だ。

 無性に腹が立って、ハック・ダックは男の広い額をわし掴んだ。

「じゃあその仮説ってのを講釈垂れてくれないかねェ研究員クン。俺ァ、てめえらの新しいボスとお友達なんがね……」


 ※※※※


 そう、まだハック・ダックの右足も健常な頃。それから二年後の任務でハック・ダックは利き足を壊し、前線から退いた。

 今では、第五部隊で新人担当の教官の身の上だ。


「……なんとなく、そのへん気付いてました」

 晴光は、明確に『どこで』とは答えられない。例えば街並みのおもかげ。例えばハック・ダックの変化や、足の後遺症の話。あの桃色の髪の彼女が、自分が助けたあの小さな女の子ではないかという直観。

 確実になったのは、今のハック・ダックの言葉で間違いない。


「でも、おれはなんで……そんなことに? 」

「わからん。今まで普通の人間が異世界に来てバタバタ死んでいくのは見たが、まさかこんなこと聞いたことが無い。お前が消えて・・・から学者がさんざん頭をひねったが、仮説が一つ出ただけだった」

「仮説」

「なんでも、お前は融解しかけたのが再びの凝固に成功した。一度ギリギリのところで踏みとどまったわけだな。棺桶の中に足を突っ込んでいた、と。……“黄泉がえりのパターン”を知っているか? ……知らんな? いやいや、ツラ見りゃ分かる。

 あのな、一度死んだやつは冥府のものを食うと地上に戻れなくなるんだ。死人の国のものを食った体は地上のものじゃあ無くなるんだな。

 “黄泉がえりのパターン”では、ようするに異界のものを食って、その世界に“適応”しちまうんだ。だからもう、もとの世界へ帰ったところで“変化”した肉体は“適応”できない……帰れないってのはそういうことだな。

 で、お前は“薬”を飲んで体を治し、この世界に踏みとどまった。この世界に一時的とはいえ、“適応”したわけだ……で、俺たちが“適応処置”をした。……これで本格的に“適応”する準備が体に整った。だからお前は、俺たちの目の前から、消えた“ように見えた”……」


「……消えたように“見えた”? 」


「そう。仮説はこうだ。『お前はこの世界に“適応”するために、時間をかけて身体を作り直している”』」


 ポカンと晴光は口を開ける。「じゃあこの体は……おれがもともと持っていた身体じゃあないってことっすか? 」

 ハック・ダックは深く考え込む顔をして、重々しく言った。

「それはわからん。たぶん材料はお前の母親の腹で出来た身体だろうが、作りが変わっている可能性が高い。こう……同じブロックで、別の作品を組み立てる感じだな。例えば臓器が増えていたり、逆に減っていたり……」

「ゲッ! そっ、そういうことがありえるんですか!? 」

「極端な話だがな。ありえんことはない。……何か違和感は無いか? 」


 晴光の心臓が、ドキリとおかしな方向に跳ねた。


「な、なな、無いっすよお! めっちゃ健康っすよ! 」

「……その健康体ってのがおかしいんだよなあ。だって三年だぞ? 三年も飲まず食わずだぞ? お前、最後にメシ食ったのはいつだよって話だ。だからまぁ、明日にでも検査してもらうんだがな。ハハハ……」

「けんさあ!? 初耳ですけど! ハハハって! 」

「学者らがなぁ、どこから聞いたのか……お前の身体を調べたくて調べたくてタマランと俺に直談判してきやがってなア。まあ身体検査は最初は誰でもやるからな。ちょっとそれを、詳しく、ネチッこく、ツッコまれるってぇだけだ。お前のためだ。仕方ねえよな」

「へ、変なクスリとか、つっ、使われませんよねぇ!!? 」

「わからん」

「即答!? 」

「俺はそのへん門外漢だからな。がはは、はは、は……」

 ……ふと、ぐんにゃりとハック・ダックの背中が曲がった。

 前かがみのまま、ハック・ダックはゆっくりと頭から湯船に落ちる。巨漢がお湯の中に滑り落ちると、板を割ったような大きな音と、しぶきが舞った。


「ギャー!! ハック・ダックさーんッ!!! 」



旧題「Rё∀⏋」

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