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第六章 第三幕

 太陽が白々と草原を照らし始めた頃、ジラザは厩舎の前へトラックを回した。後ろの荷台には備品と共に、ルティカとバラクアが乗り込んでいる。忘れ物が無い事を確認し終えた華瑠が、助手席へと身体を滑らせる。

「シショー、準備OKヨ」

「うっし。おーいお前ら! 出発するぞ!」

 運転席から飛んでくるジラザの声に対し、ルティカは了解のサインの代わりに、サイドミラーに映るようにひらひらと手を振った。

 それを見届けたジラザは、トラックに差し込んだキーを回す。ブルルルン、と勇ましいエンジン音を辺りに響かせ、トラックは緩やかに走り出した。

 セオクク厩舎は、ルーテジドの郊外に位置する、『ユンツ』と言う片田舎の町にその居を構えている。まずはそこから約20分程の距離に存在する、ルーテジドの首都『リュッツ』を目指す。

 ルーテジドには、大陸上に位置する四つの国の首都を一本の道路で繋いだ国道が存在する。その為国道に乗りさえすれば、後は一本道である。リュッツから約二時間程トラックに揺られれば、あっという間に今回の目的地である、フィロルの首都、『フィオーナ』へと到着する。

 トラックの荷台の上で、バラクアに身体を凭れ掛けながら、ルティカは自動的に流れ去っていく空と雲をぼんやりと眺めていた。

 雲の流れは緩く、風は戦いでいる程度にしか吹いていない。

 このままの状態が続くようなら、今日のレースは無風とまではいかないだろうが、自然風の影響は少ないかもしれない。風を読む事に長けているルティカにとっては、あまり好ましいコンディションでは無かった。

 ルティカは荷台の上で立ち上がり、自分の人差し指を軽く口に含み、改めて風向きと風量を確認してみた。無論そんな事をせずとも、風の強さも風向きもほぼ感覚的に理解はしているのだが、どうしても確認せずにはいられないと言う気持ちの方が強かった。

「ん~、やっぱ風が弱いな~。レースの時間までにもっと強くなってくれればいいんだけど……」

「今日のレースは、上手く人口風に乗れるかどうかの勝負になるかもしれんな」

 独り言にも近いルティカのぼやきを、バラクアが拾った。

「ん~、やっぱそうなっちゃうかもしんないわよね~」

 難しい顔のまま、ルティカは再度荷台の上に腰を落ち着けた。すぐ横にあるバラクアの巨体に、再び身体を凭れ掛ける。

 足を畳み身体を丸めている為、普段よりも幾分かは小さくなってはいるが、それでもバラクアの身体は、トラックの荷台の上を大きく占拠していた。

 鴻鵠はレースや競技以外での飛行が制限されている。その為車での移動はよく見かけるのだが、大抵が鴻鵠専用のトレーラーを使用するのが一般的になって来ており、ジラザのように、普通のトラックの荷台に鴻鵠を乗せて運ぶ昔ながらのスタイルは、現在ではかなり珍しい。

 金銭的な問題もあるのかもしれない。だがバラクアもルティカも、レース前に自然風をふんだんに感じられるこの移動方法が、嫌いでは無かった。

「装置の場所やリングの場所は、いつも以上にデータを頭に放り込んでるから心配ないわ。ただ……」

「ただ、なんだ?」

「やっぱりさぁ、共通情報じゃない、レースの瞬間になってみないとどうなるか分からない自然風を読めるって言うのが、私の強みなわけじゃない。そのアドバンテージが無いかもしれないってのは、やっぱりちょっと厳しいかもな~って思ったのよ……」

 眉間に皺を寄せながらそう呟くルティカに、バラクアは関心したような声を出した。

「なぁ、ルティカ」

「何よ?」

「お前、随分成長したな」

「……は?」

 その言葉の意図が理解出来ずに、ルティカは口を開いたまま固まった。眉間の皺が更に濃く刻まれる。

「何それ、馬鹿にしてるの?」

「いや、馬鹿になどしていない。本当にそう思ったんだ。以前までのお前なら、風が吹こうが吹くまいが私達の勝ちは揺るがないわ、なんて根拠の無い大口を叩いて笑っていただけだったのに、冷静に状況を見られるようになったんだな」

 バラクアからの慣れない褒め言葉に、ルティカは思わずたじろいだ。困惑した顔が、徐々に紅潮していく。

「ちょっと……、何よ、それ……。今日は、絶対に勝たなきゃいけない試合なんだから、そりゃ、私だって慎重にもなるわよ! 何よ、やっぱり馬鹿にしてるんじゃないの?」

 珍しく慌てふためくルティカの態度に、今度はバラクアの方が僅かに面食らった。

「お前もしかして、照れてるのか?」

「て、照れてなんかないわよ!」

 ルティカは荷台の上でやにわに立ち上がり、バラクアに向けて叫んだ。そして暫くしてから、その行動自体が冷静を欠いている事に気が付いたのか、おもむろに座り込むと、意識的にバラクアから目線を外し、流れ去っていく景色を眺め始めた。

 そうしてそっぽを向いて黙ってしまった相棒の後姿を注視していると、耳まですっかり赤くなっているのに気が付いた。

 ――こいつもしかして、あんだけ根拠の無い自信を振りかざしておいて、いざ褒められると弱いのか?

 相棒の意外な弱点を知り、バラクアは心の奥底で密かにほくそ笑んだ。それと同時に、何だかとても小気味良い心持になった。


 華やかなフィオーナのビル街を通り抜け、ジラザのトラックは無事に競技場へと到着した。

 いざ戦場に降り立ってみると、競技場やその周辺から、何だかいつもよりも強い熱気が漂っているように感じられた。勿論、先日の世界戦の盛り上がりとは比べ物にならないが、それでも心なしか、普段のC級レースよりも観客の数も多い気がするし、言葉には表せない、空気中に漂う圧の様なものを、ルティカは肌で感じていた。

 トラックは競技場内を進み、地下にある関係者専用駐車場で止まった。

 荷台から飛び降りたルティカは、バラクアが降りられるように、荷台の後ろから簡易式のタラップを降ろした。そこから、運転席のジラザに尋ねる。

「おっちゃん、何か今日、いつもより人多くない?」

「そりゃあ、C級フレイク杯っていやぁ、年度終わりの、昇格を賭けた最後のレースだからなぁ。ここで勝って上にいけるような粘り強い鴻鵠は、ランクが上がってからも強ぇって話だ。だから、まぁ他のC級レースよりも人気があるんだろうよ」

 口髭に手をやりながら、事も無げな態度のジラザの言葉が、ルティカの中に重たく入ってくる。

 いつもよりも強い存在感を放つ、空気に潜む重圧。

 その重圧の正体は、ルティカも良く理解していた。

 今日は、ただレースをしに来たのでは無い。レースで、勝ちに来たのだ。

 勝たなければいけない理由があると言う事は、負けられない理由があると言う事なのだ。それは即ち、普段のレースにおいて、自分がどれだけ甘えた態度でレースに挑んで来たのかを突きつける物でもあった。いつも傍らにありながらその存在に頓着して来なかった、緊張感と焦燥感。それらが今更ながらにルティカの肺腑を駆け巡り、呼吸を浅くさせ、身体と思考を縛りつけてくる。

 そんなルティカの頭を、車から降りて来たジラザは、無遠慮にグリグリと押しつけた。

「いだだだだ! おっちゃん! 痛い痛い痛い痛い!」

 先日の夜間飛行を咎められた際の、お仕置き拳骨で発生した治りかけの瘤が、ジラザの豪腕に撫で付けられる。頭の天辺から起こる激痛にルティカは身悶えした。

 ルティカが充分痛がったのを確認したジラザは、ゆっくりと頭から手を離した。そしてその手を肩に回し、グイっとルティカの身体を手前に引き寄せると、耳打ちをするような距離で囁いた。

「なぁルティカ、深~く息を吸って聞くんだ。今更どうこう考えたってどうにもなんねぇんだよ。お前にはな、立派な父ちゃんがいて、心強い相棒もいて、俺や華瑠みてぇな信頼出来る調教師達もいるじゃねぇか。もうここまで来ちまったんだから、何も考えねぇで、がむしゃらにぶつかって来い。分かったな?」

 低く、真剣なジラザの表情に、ルティカは思わず頷いた。

「うっし。じゃ華瑠。後は頼んだぞ」

「ハイ! シショー、任されたヨ!」

「え? おっちゃん、どっか行っちゃうの?」

「あぁ、ちょっと野暮用があってな。心配すんな、お前らのレースはちゃんと見ててやるからよ」

 そう笑うと、ジラザは後ろ手に手を振りながら競技場の奥へと消えて行った。

「ルティカ、俺達も移動しよう」

 名残惜しそうにジラザの背中を眺めるルティカの頭上から、バラクアの声が降ってくる。バラクアに続き、華瑠が手元の案内表を見ながら明るい声を出した。

「私達の控え室はこっちヨ! 私に付いて来るネ」

 華瑠を先頭にして、三人は控え室へと向かった。トンネルのような駐車場を抜け、エレベーターで更に地下へと降りる。そのまま華瑠の案内に従った先に、『鴻鵠バラクア・鴻鵠士エレリド=ルティカ 控え室』と書かれたドアがあった。

「ここヨ!」

 華瑠が控え室に入ろうとする前に、ルティカが声をかけた。

「ねぇ、華瑠。その案内表、他の選手の控え室も書いてあったりするの?」

「そうヨ、全部書いてあるヨ」

「お願い、それ、ちょっと見せてくんない?」

 ルティカは華瑠から案内表を受け取ると、手早く一つの名前を見つけ、その位置を確認した。

「二人ともごめん、控え室で待ってて。私、ちょっと行ってくるわ」

 華瑠とバラクアに一方的に告げ、ルティカは脱兎の如く地下の廊下を走り出した。

 蛍光灯の明かりの為か、入り組んだ地下の通路が無機質な迷路のように感じられる。時折地図を広げ、現在位置と照らし合わせながら、ルティカは走り続け、やがて一つのドアの前で立ち止まった。

『鴻鵠レベ・鴻鵠士ベルキウツ=ベート 控え室』

 高鳴る心臓を一度右手で抑え、ルティカはそのドアを二度ノックする。少しして、開いたドアの向こうからベートが顔を覗かせた。

 ルティカの顔を見るなり、一瞬怯むような顔をしたベートだったが、すぐにいつもの不遜な表情に戻る。

「何だよ、この間の事を謝りにでも来たのか?」

 挑発的な言葉に、途端に燃え上がりそうになった心に必死で水をかけた。そして、深く息を吸って、ゆっくりと吐き、ルティカは真っ直ぐにベートの目に向けて、ずっとぶつけてやりたかった言葉を放った。

「今日はね、あんたをぶっ潰しに来たの」

 ベートの顔が瞬時に強張り、怪訝そうに眉根が寄った。だがルティカは、直ぐに言葉を繋げる。

「勘違いしないでね。ぶっ潰すって言っても、別にぶん殴りに来たとかじゃないわよ。私はね、今日のレースで、あんたに勝つって言ってんの。でも、どうせあんたは、私なんかに負ける訳無いって、思ってるんでしょ?」

 ベートは暫しの逡巡の後、僅かに唇を歪めて、冷たく言い放った。

「当たり前だ、負ける訳が無いだろ」

 ルティカは両の拳をギュッと握りしめ、強い感情が溢れるあまり、零れ落ちてしまいそうな涙を必死で堪え、巣から落ちてしまった雛を戻すような繊細さで、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「じゃあ、約束して……。私らが、あんたを倒して、今日のレースで優勝したら、この間の事を訂正して……。エレリド=ガイゼルは、アレツさんと同じように、偉大な鴻鵠士だって事を認めなさい……」

 最後は、消え入りそうな程に掠れてしまったが、それでも最後まで言えた自分を誉めてあげたかった。

「……まぁ、どうせ負けないから、別に何でもいいけど」

 ルティカの強い想いに気圧されたのか、ベートはそう絞り出したが、その瞳には、すぐに鈍い光が宿った。

「でも、もし僕に勝てなかったらどうするつもりだ? 一方的な賭け程下らないものは無い」

 ベートはそう言って、下卑た笑いを浮かべた。それに対しルティカは、まるでそよ風が吹いた様に爽やかに、そして、笑顔を見せた。

「その時は、私は鴻鵠士を辞めるわ」

 その言葉と覚悟に、思わずベートの目が見開いた。

 ルティカは、笑顔のまま続ける。

「その時は、きっぱりすっぱりこの世界から足を洗って、お花屋さんとかケーキ屋さんとかの、危なく無くて、女の子らしい仕事をするわ。私が弱い鴻鵠士だってことで、大好きな父さんが侮辱され続けるよりはよっぽどいいもの。だけどね、ベート……。まず無いとは思うけども、万が一にあんたが、レベさんに絆されたりとか、私に情けをかけようとか軟弱な事を思って、今日のレースで手加減しようなんて言うふざけたこと考えたら……」

 握りしめたままの右手の拳を持ち上げながら、ルティカは笑顔を解いて、真剣な表情で叫んだ。

「あんたのその高慢ちきな鼻っ柱を、真っ正面から殴り倒してやるんだから!」

 地下の通路に、ルティカの決意が響き渡った。

「それじゃあ、約束だからね」

 ルティカは最後にそう付け加えると、呆然とするベートを置き去りにし、全速力でその場を後にした。そのまま逃げ帰るように自分の楽屋へと戻ると、急いで中へと飛びこみ、勢いよくドアを閉めた。

「ルーちゃん、どうしたノ?」

 いきなり飛び込んできたルティカに、華瑠は驚きの声を返す。

 だが華瑠の言葉に反応出来ずに、ルティカはドアを閉めるなりその場にへたり込んでしまった。

 心臓はバクバクと高鳴り、息は荒く、手足は震えて、頭は上手く働かない。

 そんなルティカの様子を見て、華瑠は心配そうに水を一杯差し出してきた。彼女はそれに口をつけると、一気呵成に飲み干た。そして大きく息を吐いてから、心配そうに自分を見つめる二人に向けて、バツの悪い笑顔を見せた。

「華瑠……。バラクア……。私さ、宣戦布告して来ちゃった」

 まるで悪戯が見つかった子供のように、照れと後悔と高揚感に包まれながら、そのまま床に寝転んで、堪え切れずに笑い続けた。一頻り笑った後に、徐に身体を起こして、自虐的な笑みを浮かべ、小さく呟いた。

「ハァ……。うっし、言ってやったぞ、コンチクショウ……」

 瞳の奥には、決意の炎が揺らぎながら灯っていた。

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