06・犬の心配(アルファ)
「不敬罪になるかな」
「……」
「アルファ、聞いてる?」
「ハイ、聞いてますよ。あんなの事故ですよ、事故」
ずっと観察していた対象が振り返ってきたので、笑顔で質問に答える。
「ていうかさ、君はいつから居たの?」
「キキ様がよろけて落ちそうになった場面を見付けたんです。落ちたら飛び降りてオレがクッションになりぐちゃりと潰れようと構えてました!」
「助け方が可笑しい」
元暗殺対象のジルゼル王子とキキ様が唇を重ねてしまう場面を見る前に、飛び出すべきだったと後悔してるところ。
オレを犬にした理由を途中から聞こえてきたけどね。
新しい主であるキキ様は、全然気付いていないな。あの王子がわざと顔を下げて唇が重なるようにしたこと。
事故じゃなく、王子の故意。
ま、それに顔を赤らめてないところを見ると、心は奪われていないみたいだ。
「キキ様は一味も二味も違いますよねぇ」
「それ、誉めてんの?」
誉めてる誉めてる。
白竜から飛び乗ってきたかと思えば躊躇なく蹴り落とされた時は、なんなんだこのバカ女は!って思ったけど。
剣技はなかなかで、女なのに足を上げて蹴ってきて殴ってきてまた蹴ってきて、最後には踏み潰されて───惚れちゃった。
女に殴られたことも蹴られたこともなかったオレが、負けたんだ。
剣を首に突き付けて見下ろす姿に、もうゾクゾクした。
降参したら、満足そうに笑った顔は少女らしくて、それで完全に落ちた。
この人のコキ使われたい!
なぶられたい!
踏まれたい!
足蹴にしてほしい!
と思ったから犬にしてほしいと頼むことにしたら、ダメ元だったけど見事ご主人様ゲット!これ運命だね!
「……今、悪寒が…」
「大丈夫ですか?夜風に当たりすぎたんですよ、風邪引いたのでは?」
「それは困る。明日、君と同行することになったから」
エルダーとかいう侍女が張り切りすぎて露出の高いドレスを着させたせいだな。オレには貸す服がないので早く帰るよう急かすと、意外なことを言われて目を丸めた。
「えっ…?キキ様が一緒に、スクドアレン国に来るんですか?」
「…なによ、喜ぶかと思ったのに不満なの?」
「イイエ!嬉しいです!嬉しい!」
詳しく聞いてみれば、ジルゼル王子が提案したらしい。
やっぱりか。
オレ一人だと身の安全は保証できないと仄めかして、脅迫紛いに同行させるよう話したに違いない。
まぁ…主であるキキ様は、バンハート国王に気に入られてるから一緒に来れば、確かにオレの命は生かされる可能性が高いはず。
キキ様がオレを死なない方法を取ることは嬉しいが、あの王子はそれを利用した。
オレも利用したけど。オレはオレの命を利用したわけで、アイツは勝手にオレの命を利用した。
超ムカつく。
あの王子。百パーセント、キキ様を狙ってる。
「そう言えば、ロナウドがジルゼル王子は悪魔だって言っていたような」
「悪魔?」
「あの悪魔王子め…とよく憎らしそうに言ってました」
本人は微塵も狙われていることに気付いた様子がない。すぐ他人を信用しちゃうタイプかな。
ジルゼル王子の本性を話そうとして踏みとどまる。
…全部聞いたら一緒に来ないだろうな。
物静かな雰囲気で真面目な美男子は仮面で、実体は冷酷な悪魔。
数多の令嬢を弄ぶ女たらしで、甘く囁いては簡単に切り捨てていく悪い男だ。
前の雇い主が忠誠を誓う、現在の王妃はジルゼル王子の継母。二人の関係は至極最悪。いがみ合っているのだ。
継母が長男を推しているが、ジルゼル王子は長男を慕うフリをして蹴落とそうと暗躍をしているとか。
完璧な王子の顔をしているが、中身は悪魔。
絶対に信用してはいけない相手。
「なんで悪魔?」
「さぁ?」
首を傾げるキキ様にとぼけておく。
全部話したら警戒して来なくなる。絶対にジルゼル王子はキキ様をターゲットとして見て、自分の城に招いて何か企んでいるに違いないが、オレも自分の命が欲しい。
キキ様のそばにいたいから、来てほしいんだ。
オレがずっとそばにいればいいのだから、とりあえずほんの少しだけ疑惑を持たせておくだけにしておく。
ジルゼル王子の本性は、事が済んだら話せばいいや。
「貴様!今まで何処にいた!?」
ズカズカと廊下の向こうからキキ様の専属騎士であるマウストとかいう奴が来た。鬼の形相だ。
「見失ってたの?」
「すみません!キキ様!」
「キキ様を探してたらはぐれただけですよー」
本当はキキ様の情報を得ようと聞き込みするために撒いたんだけどね。
聞き込み最中にたまたまキキ様を見付けた。
怒るマウストをキキ様は宥めている。
異世界の住人。四週間前に城に現れ、庭園で王妃と出会い気に入られて養子にするとまで話が進んだそうだ。王族は養子を迎えることができないが、隠し子だと公表する気だったとか。
王族の娘として教育されたが、キキ様は未だに反対しているらしい。
本日、ジルゼル王子に異世界の住人だと明かしたから実子だと明かす目論みは消えた。けど夕食も一緒に摂る様子からして、まだお姫様待遇は続くと推測される。
海鮮は好きらしいが、生は嫌うらしい。本日の夕食に出された焼き魚にタレをかけた料理が特に喜ばれるとか。嫌いな野菜はないらしく、ケーキよりも果物を好む。
色は暖色系をよく選ぶ傾向がある。
見た目クールな印象を持つが、話せば気さくで馴染むのが早かったそうだ。
客人として滞在していることが気に入らないらしく、働くことを希望しているとか。それでも国王と王妃に逆らえず、教育を受けていたそうだ。
息抜きと称して剣を持ち騎士相手に立ち向かうが、お姫様であるキキ様に剣を振るうことが躊躇しているのを良いことに一方的に向かってくるらしい。
流石です、キキ様。
日に日に剣の腕前が上がり、騎士を叩きのめすほどまでになったようだ。
オレも叩きのめされたい。
短時間じゃあこれぐらいしか調べられなかった。
「アルファ」
「ハイ!」
キキ様の部屋に戻ると呼ばれたので返事する。
「この部屋のソファーで寝る?それとも客室?」
面食らう質問に固まっていれば、マウストが代わりに応えた。
「何を言うんです!客室に決まっているでしょう!キキ様!」
正論。寝室とは違うとはいえ、寝室は直ぐ隣。実質、部屋に二人きりになることとなる。
男女が、というかお姫様同然のキキ様の部屋に寝泊まるのは問題がある。
「マウストさん。アルファはあたしの犬です。騎士であるマウストさんが寝泊まるのは問題がありますが、アルファは犬ですので大丈夫」
…こじつけだ。
「寝ている間もあたしを身近で守るには、それが最適でしょう?」
護衛のことを持ち出されては反論がでない。この城には女騎士はいないらしい。侍女がキキ様を守れるわけがないし、だからと言って騎士がずっとついていることも出来ない。
下僕であるオレは騎士じゃないし、それなりに強いし、オレはキキ様を守ると誓っている。
オレを警戒しているマウストは睨み付けてきたが、キキ様が軽く宥めた。
キキ様を寝間着に着替えさせたのか、侍女のエルダーが出ていくと静かになる。
隣の寝室に、キキ様がいないのではないかと疑うくらい、静か。
ソファーに横たわったまま、見慣れない天井を見る。
こんな豪華な部屋に寝るなんて初めてだな…。
今までネズミが出るような部屋に寝てたからなぁ。
落ち着かね。てかキキ様本当にいる?
「…キキ様ー」
試しに呼んでみた。
「なに?寝れないの?」
予想外にあっさり返事が聞こえて、身体を震え上がる。うおーびっくり。
「あ、いえ…そのぉ…」
「なに?」
まじで居るんだ。
信用して隣で寝ちゃうんだ。
今日会ったばかりなのに、すげーなぁ。やっぱり一味も二味も違う人だ。
「……あの、おやすみなさい。キキ様」
「うん、おやすみ。アルファ」
ドキドキと高鳴る鼓動が歯痒い。
…眠れねぇ。
基本、キキになら何されてもいいと思うほどゾッコンなアルファ。決して明るくない過去を持っているのに、シリアスにならない謎。
キキの悪寒の原因は、ジルゼルとアルファです。