05・月光の唇(ジルゼル)
月光の照らされるその横顔を見つめた。
艶やかに光を跳ね返す漆黒の黒髪で、包み込んだ微笑みは優しげで儚げ。
静かにオレの質問に答える声は、凛としていて落ち着きある響きでオレの耳に届く。
ダークブラウンの瞳がオレに向けられた。
見つめていたら、気まずそうに顔を逸らして立ち上がる。
何か避けるように、お辞儀をして去ろうとする彼女を引き留める上手い口実を考えた。
すると、彼女の視線は何処か他所へと向けられて固まる。
視線を追おうとした矢先、横から少し強い風が吹き彼女はよろめき足を踏み外した。
咄嗟に腕を伸ばして受け止めれば、彼女を抱き締めるような形になる。
彼女が腕の中で苦笑する気配がした。彼女が落ちるところを助けたのは、これで三回目だ。
そんなこと、どうでもよかった。
密着したこの体勢ならば、きっと。
顔を下げれば彼女の髪から、花の香りする。それを堪能している最中、彼女を顔を上げた。
予測は的中して、彼女の唇がオレの唇に触れる。
柔らかな感触がほんの僅かな時間だけ、重なっていた。彼女に合わせて驚いたフリをして目を丸める。
───直ぐに彼女は身を引いて離れた。
「ごめんなさい…」
苦笑をして謝罪をする彼女は、微塵も取り乱していない。
これもだめか、と落胆しつつも「こちらこそ…」と言葉を濁しておく。
気まずい空気の中、彼女から動くのを待った。
次はどうする?
「キキ様」
「あ、アルファ。ではジルゼル王子、おやすみなさい」
いつの間にか廊下にアルファがいた。彼を見ると直ぐ様屈んで挨拶をすると彼女はオレから離れてしまう。
今のは事故として処理されたようだ。
去り際にアルファが何か言いたげに一瞥してきたが、彼女の後ろについていった。
アルファと名乗る暗殺者につけられた傷を無意味に撫でるように手を胸に置く。
気分転換にナビルに乗り、一人で空中散歩をしていたところに襲われた。無我夢中で追手から逃げ回っていたら、バンハート国の城に不時着をした。
悪いことにバンハートの国王と王妃の前で。
誤解される前に事情を話そうと、降り立ったとほぼ同時。
彼女───キキは、オレの目の前に現れた。
結い上げた漆黒の髪。淡い赤色の宝石は花をモチーフにしたピアスと赤を基調としたドレスを靡かせ、揺るぎない意志を宿したダークブラウンの瞳でオレを見据えて剣先を向けたあの時、衝撃を覚えた。
素早く国王を庇った行動から、着飾った女騎士かと初め思った。オレの追手を敵と判断するや否や、彼女は上空でも戦った。
その姿は、とても美しく見えた。
臆することなく、軽やかな剣さばきであっという間に暗殺者を捩じ伏せたのだ。
一体誰なのか、知りたかった。
友好国であるバンハート国にこんな凄腕の女騎士がいるなら、耳にしているはずなのにそんな噂は一切ない。
問えば驚きの回答が来た。
ただの異世界の住人だという。
騎士ではなく、国王達に娘のように溺愛された客人。
声を上げて笑いそうになった。異世界の住人はこんなにも面白い人種だったのだろうか?
興味が湧いた。
「しかし鮮やかだった…臆せず空中で戦う姿、見惚れるほど美しかった」
微笑んでみせたが、キキの反応は薄い。
大抵の女性は恍惚した表情になるというのに、変わった反応はなかった。
もう一度微笑んでみたが、彼女はオレよりもナビルに興味があるらしくオレの後ろにいたナビルに目を向ける。
「ナビル。ありがとう」
ナビルにはオレに向けた笑顔よりも、穏やかで美しい微笑を向けた。
異世界にはドラゴンが存在しないと聞いていたから、ドラゴンに興味を示すのは無理もない。
だが、ナビルを振り返って驚いた。
まるでキキに応えるように、ナビルは目を細めたのだ。
気のせいかと思ったが、違った。ナビルだけじゃないアルファのドラゴンも、キキの言葉に応えている。
初対面の人間の言葉に従うことなどない。
ナビルは、クラウンドの血を継ぐ王族にしか従わない高貴な白竜だ。
そのナビルが応えた異世界の娘。
ドラゴンだけではなく、人間の目からも彼女は魅力的だった。
バンハート国王と王妃はキキを溺愛し、暗殺者のアルファはキキに惚れたという。
命令に忠実に従い失敗すれば自ら命を絶つよう作り出された存在が、命令に従うどころか雇い主を裏切りキキの犬に成り下がった。
キキにはその価値があるとアルファの目に映ったのだろう。
異世界の住人と知るや否や、彼女が同情するように暗殺者の成り立ちを話し脅迫紛いに迫り、キキに頷かせた。
不快になりつつも、アルファをダシに使えばキキを我が国に連れていける方法を思い付いたので行動に出る。
アルファに斬られた胸。大した怪我ではないが、限界なフリをして膝をつく。
駆け寄ったキキに弱々しく微笑んで見せてみたが、思惑通りには行かなかった。
オレに付き添うことなく、キキは庭園の掃除を始めてしまう。上手く行かない人だ。
キキと二人で話す時間を手に入れようとしたが、仕方がない。アルファの身を案じるキキに同行するよう、国王に直接提案することにした。
キキが気になっている態度を示せば、喜んで同行の許可を頂いた。
夕食時にキキに話せば彼女も頷いてくれたが、あくまでアルファのためらしくいくら微笑んでも大した反応を示さない。
キキの気を引こうと最小限のことをしてみたが、腰に腕を回そうとも抱き締めようとも心が揺らいだ様子は見られなかった。
オレと唇が触れても、取り乱すことも顔を紅潮することもしない。
これでも女性に好まれる顔だと自覚していたのに、自信喪失しそうだ。
オレが出会ってきたどの女性とも違う。オレの外見では靡かない女性、なんだか新鮮だ。
微笑んでも好意を持たれていると勘違いしない女、か。
では好意があると、全面に出してみよう。どんな反応をするのだろうか。
「……素敵な女性だよな」
ナビルの頭に手を置いて声を掛けるが、反応はない。寝てしまったようだ。
これほど何かを欲するなんて、初めてかもしれない。なに不自由なく育ち、欲しがらなくとも手の中に全て在った。
キキはオレの手にない。
彼女を手に入れたい。
まるで毒のように禍々しい感情が胸の中で渦巻くのを感じたが、笑みが溢れる。
まるで野原に一輪でも咲き誇る凛々しく美しい顔が、紅潮する様が見たい。
嗚呼、手に入れたい。
彼女の唇が触れた唇に触れて、オレは呟いた。
「─────欲しい」
ジルゼルは腹黒王子。
その王子にロックオンされたことに気付かない希姫。
お相手は、一応ジルゼルです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。