第5話 初陣
機械的な目覚まし音が連続して鳴り続けている。
眠りの邪魔をする音を消すために自然と腕が伸びるがなかなか届かない。そもそも壁に埋め込まれたデジタル時計のボタンを押さなければ止まらないから手探りで簡単にはできない。
時間がかかるほどだんだん音量とスピードが上がっていく。
仕方なく上体を起こして目覚ましを切った。時間を見ると7時を回っていた。
昨日の夕飯を小雪と外で済ませてから早めに本部の寮部屋に戻ってきたのだが、日課にしている日記に書くことが多すぎて結局寝る時間が少なくなってしまった。ノート6ページ分は書いただろう。
悠斗が日記を始めたのは本意ではない。記憶喪失を起こしたことがあるために医師から勧められてやっている。また記憶喪失が起きた時のセラピーに使えるのだという。
カーテンを開けると擬似太陽の光が容赦なく部屋になだれ込んできた。どうやら外界は晴天らしい。壁で覆われた都市内部は気候など関係ないが。
まだ残る眠気を振り払い身支度を整える。
今日は配属された第16部隊に初任務が下される日だ。寝坊は許されない。
星の撃ち手《ミーティア》の黒い戦闘服を着て愛武器の黒刀を腰にぶら提げる。右足には3年前から使っていたという護身用の拳銃をホルスターに入れて括りつけておく。あとはバッジを胸に付けて身支度完了だ。
朝食をとるために食堂を兼ねている待機場所の4階に向かった。
すでに多くの人が席を占領していた。
眠たげな人や疲れ切った顔をしている人など様々だ。楽しげな会話も聞こえれば愚痴も聞こえてきたりする。中には悠斗を見てひそひそ話をする人もいた。
お盆に皿を載せてバイキングの中の料理を取っていく。いくらとってもタダだから多めに盛っておく。肉類が多いのは自然とそうなったからだ。意識的にそうなったわけじゃない。悠斗はそう思っている。
山の様に盛った朝食を持ちながら空席を探していると小雪が腕を振りながら呼んでいるのが見えた。
小雪も今来たらしくお盆の上には手付かずの朝食が並べられていた。悠斗とは比べ物にならないほどバランスのとれた献立だ。
「おはよう、ってまた朝から多いね」
小雪がてんこ盛りにされた悠斗のお盆の上を少し驚いた顔で見ていた。
「朝食べないと一日もたないからな」
「だからってそんな肉ばっかりだと栄養のバランスが偏っちゃうよ」
「バランスが偏ると何か問題あるのか?」
「それは病気になったり元気がなくなったりしたりするよ」
いつもは控えめな小雪だがこういうところはしっかりしているところがある。
暇があるときには料理を手作りして食べさせてくれることもある。家事全般をこなすことができる女性らしい少女だ。
「でも今までこうしてきて病気にも元気がなくなったりもしてないから平気なんじゃないか?」
「いつそうなるかわからないよ」
意地でも小雪が食い下がる。こうなると何を言っても聞いてくれない。
「今度から気を付けるよ」
「そう言っていつも直さないくせに……」
小雪が悠斗を睨みながら頬を膨らませて聞こえないくらいの声で呟く。
悠斗は聞こえないふりをして朝食に取りかかる。
小雪も諦めたように溜息をして朝食に口を付け始めた。
食事中はやはり口数が減る。口に食べ物を入れているときはお喋り禁止と小雪に叩きこまれたから自然と会話は減ってしまうのだ。そもそも話題を悠斗は持っていない。悠斗から話すのは知らないことがあった時が多い。今は何よりも山に盛った朝食をかきこむのに夢中になっている。
食事の量の差があるにも関わらず悠斗と小雪は同じタイミングで食べ終わった。
そこにちょうど文香と峡哉が来た。満面の笑みと不貞腐れた表情をしている真反対の組み合わせだ。
「おっはよう!我が部下たちよ」
「「おはようございます」」
朝からテンションが高い隊長だった。それに対して副隊長は挨拶どころか顔すらまともに向けてくれない。昨日と至って変わっていないが
文香が妙に気分を高揚させているのは性格だけではないだろう。
「さあ今日は第16部隊の初任務の日だよ。ついに来ました新たな一歩!興奮で眠れなかったよ」
文香がえへへ、と笑いながら眠気を払って気合いを入れるように頬を叩く。
「まだ拓ちゃんは来てないんだね」
「もしかしたらまだ寝てるかもしれませんね」
「訓練生の時も朝起きるの遅かったからね」
昨日の入隊試験にも時間ぎりぎりに来た拓也は余裕を持って行動するということを滅多にしない。それでも時間に遅れたことはないから不思議である。
「まだ時間もあるし先に任務のことを話しとこうかな」
「俺は外に出てるぞ」
「逃げるな!」
峡哉が背を向けて逃げるように歩こうとすると文香が襟を掴んで無理矢理に悠斗の隣の椅子に座らせた。迷惑そうな顔をしながらもそれ以上逃げる素振りは見せなかった。
文香は満足したように小雪の隣に座った。
「さて今日の任務なんだけど都市外周の哨戒任務よ。衛星の映像から周辺に小型フォーブの群れが来ているって情報が入ったの」
「あ、もしかして3日前から来ているっていうフォーブですか?」
小雪が思い出したように口をはさんだ。
「そうそう。よく知ってるね」
「入隊試験のときに見たんです」
衛星の映像からあらゆる情報を解析するのが小雪の入隊試験の内容だった。その時に見つかったのが文香の言うフォーブの群れらしく、悠斗と拓也が入隊試験で討伐対象となったフォーブはその群れから逸れた一部だという。
小雪によるとフォーブの群れの数は100体を越えていて、主と思われる大型のフォーブを中心にして小型のフォーブが囲んでいるらしい。群れは都市を中心に円を描くように移動していて、動き方や状態から都市にそのまま攻めてくるということはないらしいのだが、一部のフォーブが逸れて接近する可能性もあるから放ってはおけないというわけだ。
それに希望都市「京」は移住してくる人が多いために居住区を拡大している工事をしている。本来の都市の壁の外に居住区を拡大させているために、仮設につくった壁も頑丈とは言えないから少数のフォーブが来てしまえば被害が出る可能性がある。
被害の可能性があるのなら事前に予防しておくのが悠斗たちの役目のひとつだ。
「それなら話が早いね。フォーブの群れの近くまで接近して都市に来ないように監視するのが主な任務よ」
「特に動きがなければ監視するだけということですか?」
「基本的にはそうだよ。無意味に攻撃を仕掛けたら被害が出ずに済むものもそうじゃなくなっちゃうかもしれないからね」
「もし異変が起きた場合は?」
「状況を見る。もし私たちに気付いたなら都市から離れるように撤退。都市の方向に動き出したら誘き寄せる。指示は私が出すから聞き逃さないようにね」
「「わかりました」」
悠斗と小雪は声を揃えて大きく頷く。
そんなやり取りの中、峡哉は眠っているように目を閉じていた。それを見た文香はどこか不満気な様子だったが叩き起こすことはしないようだ。これでもマシな方なのだろう。
集合場所はここにしているからあとは拓也を待つだけだ。
結果はわかっていたことだが当然のごとく集合時間24秒前に拓也は姿を現した。これでも拓也にしては早い方だ。入隊試験の時は集合時間の16秒前に現れた。
一通り任務の内容を拓也に説明して一行は任務に向かうために地下の駐車場に下りて行った。
今回の任務は都市の外になる。荒野や死地などいろいろな名前で呼ばれているが、通称は外界と呼ばれている。
都市と外界をつなぐのは分厚いゲートだ。都市には計8個のゲートが備えられている。
そのうちの東のゲートに悠斗たちは向かうのだ。
そこまで行くのに専用の輸送車を使う。運転手付きで目的地まで運んでくれる。
この輸送車だけでなくほとんどの機械類の原動力は微量の電気と祖力体だ。そのために自己発電機を付ける機械は多い。ちょっとした発電ができれば祖力体が補ってくれる。しかし祖力体は制御しなければちょっとした外力で暴発してしまう可能性があるためにナノマシンの投与は必ずされている。
朝からハイテンションな文香が言葉でいじって拓也が苦悩しながら目的に向かう時間はあっという間だった。
悠斗が入隊試験と同じ時に来たEゲートだ。大型のトラックが2台で並走して通れるぐらいの大きさだ。
周りでは居住区の建設が急ピッチで行われている。人も多いのだが一際目につくのは作業用のロボットだ。
種類が豊富でどれが何に使われるか悠斗にはわからなかった。
輸送車の運転手は「がんばれよ」と言って引き返して行った。
「さあ、いよいよ初任務だよ。みんな気合いを入れてね」
文香が引き締めた顔で激励する。
悠斗と拓也と小雪にとっては入隊してからの本当の初任務だ。自然と顔が引き締まる。
横目で峡哉の様子を見てみると誰よりも険しい顔つきで、まるで獲物を狩るかのような目つきをしていた。流石に任務となれば距離を置くように逃げることはしないということだろう。
装備の点検をして不具合がないかを確かめる。
悠斗は黒刀の刀身に異常がないか、銃の残弾数と不具合がないかを細かく点検する。
あとは黒いヘルメットを装着して準備は完了だ。
『BブロックEゲート開放準備完了。これよりゲートを開放します』
ゲートの管理システムがゲート開放の合図を告げる。
ゲートが徐々に開いていく。同時にゲートの開いた部分に膜みたいなものが張られ外の景色がぼやけて見える。外界と都市の大気とを遮断するための高濃度の空気層がつくられているのだ。
全開にはならず、人が通れる程度に開いた所で止まった。
一列に隊列を整え、先頭に文香、2番目に悠斗、3番目に小雪、4番目に拓也、そして最後に峡哉が続く。
そのままの状態でゲートの外へと歩を進めていく。
文香に続いて悠斗も外に出ると不快感が一気に込み上げてきた。それは悠斗だけではなく文香もあとに続いた小雪たちも同様だ。顔に余裕がなくなっているのだ。
外界は祖力体が大気中に充満している世界だ。祖力体を体内に含んで耐性がある異能者といえど、膨大なエネルギー量を持つ祖力体に触れれば気分も落ち着かなくなる。
専用の戦闘服を着ているためにほとんどの祖力体を遮断してはいるが、都市の正常な空気と比べれば 常に圧力をかけられているような感覚だ。
悠斗たちが出たのを確認しシステムがゲートの閉鎖を告げた。
ここからが任務だ。
外界では何が起こるか分からない。
突然の自然災害は充分に考えられる。それだけ祖力体が自然に影響を及ぼしている証拠だ。バランスが崩壊した外界はまさに荒野や死地の名前にふさわしい。
それでも都市周辺は祖力体の密度が低く、木々がそこかしこに生えていて比較的安全地帯ということを示している。
自然災害の次に気をつけないといけないのはフォーブの存在だ。
祖力体の影響によって形から生態まで変化してしまい、この厳しい環境に適応しつつも苛酷な世界を 生きている。獰猛で力も強く数も多い。
そんなフォーブの群れが今回の目標だ。
「全員警戒態勢。隊列を維持してターゲットに接近するよ」
「了解」
「了解しました」
「了解っす」
「……」
「……峡ちゃん」
「……了解」
ヘルメットに備え付けられている無線でやり取りができる。
全員の返答を確認して文香が前方に視線を向ける。
直線距離でターゲットに接近していく。
悠斗は文香のあとに付いて行きながら周りを警戒する。
まだ木が少ないから見通しがいいが、このまま行くと森に入っていくことになる。
視界が遮られる森の中では更に警戒して進む必要があるだろう。
少し後ろの様子を見てみると小雪は緊張しながらキョロキョロして周りを見渡していた。拓也は至って緊張している様子はなく、むしろ緊張しなさ過ぎているように見えた。
峡哉は後退りしながら後方を警戒していた。進むペースがわかっているのか付かず離れずだ。
初部隊の初任務にしては順調な滑り出しだろうと悠斗が思っていると拓也と峡哉の背中がぶつかった。
峡哉が拓也の方に睨むような目線に向けた。緊張が走る。
「おっと、すんません」
「……」
峡哉は拓也が軽く謝ることに何も言わないで後方に視線を戻すが、
「……気を抜くな」
しばらくして後方を見据えたままぽつりと言った。
まさか返事が来るとは思っていなかった拓也は少し驚いた表情を見せたが忠告通り周りの警戒することに意識を向けた。態度はさっきと変っていないが。
そのやり取りを聞いていた文香は少し笑っているように見えた。
そのまま一行は森の中に突入していった。
入り始めは鮮やかな緑色をしていた葉は奥に進むにつれ黄色に変わり赤色に変わり、やがて枯葉となって寂しい風景を思わせる森になっていった。視界が開けてくる。
どれくらい歩いたのかはわからなくなっていたが都市からは相当な距離があるはずだ。
視界の妨げになる木が少なくなり、開けた場所に出そうなところで悠斗は気配を感じ取った。
同時に文香が右手を上げて部隊の進行を制した。指示に従い悠斗たちは立ち止まる。後ろを向いている峡哉もまるで背中に目があるかのように一緒に動きを止めていた。身を低くして見つからないようにする。
「ターゲット発見。雪ちゃん、フォーブの総数の計測をお願い」
「了解しました」
小雪が文香の隣に並び前方に群がっているフォーブを数え始める。
虎のような容姿をした小型のフォーブが多いのだが、大型のフォーブは見当たらない。
「うわ、間近で見るとすっげえ多く見えるな」
拓也が小声で呟きながら目を丸くしていた。
「小型のフォーブは助け合って身を守る種類が多いわ。集団で連携して敵を倒すのが得意だから囲まれないように注意しないと」
「計測完了しました」
拓也と文香が少し話している間に小雪は計測を終わらせた。
「さすが雪ちゃん。聞いたとおりの能力だね」
「そんな……これしか取り柄がありませんから」
恐縮したように小雪が縮こまる。
「それでどれくらいいる?」
「小型フォーブは前方に見えているので84体。大型フォーブがここにいないので少し離れたところにまだ少しいるかと思います」
「大型フォーブが見えないのはちょっと困ったな」
文香は少し思案してから指示を出した。
「部隊を二つに分けるよ。悠ちゃんは私と。拓ちゃんと雪ちゃんは峡ちゃんと行動して」
「え、まじっすか」
あからさまに嫌な顔を見せたのは拓也だ。小雪も緊張をしているのだろうかほんの少し顔が強張っている。それだけ峡哉の印象がよくなかったということだ。
その峡哉はというと文香が指示を出している間も周りを警戒するように背を向けていた。
「戦力配分を均等に割りたいからね。私と峡ちゃんは隊長と副隊長だから別れた方がいいし、悠ちゃんたちはこのぐらいかなと思ったから。それでいいよね、峡ちゃん」
「それでいい」
「何かあったら各自報告すること。合流ポイントはここにしよう」
文香は近くの木に薙刀を使ってバツに切り傷を付けて目印にした。
「目標は大型フォーブの発見。無事を祈るよ」
「了解」
「了解しました」
「了解ーっす」
「……了解。新人、来い」
峡哉が小雪と拓也を引き連れて移動を開始した。
そのあとにしぶしぶ拓也が付いていく。
小雪は少し不安そうに悠斗の方に振り返った。
「悠斗……」
よく見ると若干小雪の体が震えているように見える。小雪にとっては初めて本物のフォーブを相手にした実践になるのだ。怖いという気持ちがあるのだろう。
悠斗にその怖さというものがどんなものかわからないが、よくない感情なんだろうということは察することができる。
だから小雪を安心させられる言葉を送るべきだろう。
「小雪なら大丈夫だ。またあとで会おう」
それが悠斗の言える精一杯の言葉だった。
それでも小雪の顔に笑みが零れた。
「うん。またあとでね」
小雪はそう言って先に行っている峡哉と拓也を追いかけて行った。
「隅に置けないねぇ、少年よ」
横から文香がにやにやした顔で面白がっていた。
「なんのことですか?」
「別になにもないよ?」
悠斗にはなんのことかさっぱりわからなかった。
「今はそんなことより、大型フォーブを探しましょ」
そう言って文香は峡哉と真反対の方へと歩き出した。
悠斗もそのあとに付いていく。
フォーブの群れはまだ穏やかだ。
しかしここは祖力体が充満して不安定な空間。
なんにしても油断はできない状況だ。
読んでいただきありがとうございます。
一か月ぶりの更新となりました。
今後も更新速度は今回のように遅くなるかもしれませんが、続きもどうぞ読んでいただければと思います。