しぇいも!-忘
ファソンに恥ずかしい様を見せたその日もまた、夢を見た。
小さな私が、誰かと夜空を見上げていた。場所は実家の私の部屋のバルコニー。子どもの部屋にしては大きく張り出たそのバルコニーで、私は彼と一緒に星を数えていた。
「お星さまきれい」
私が無邪気にそう言って笑うと、頭1つ私より大きいその人は、「そうですね」と頭を撫でてくれた。
「だけどもう寝る時間ですよシエン」
頭を撫でていた手を頬に寄せ、彼は私に部屋の中に戻るように促す。だが私はバルコニーの縁にぎゅっとつかまり、イヤイヤ、と首を横に振る。
「まだねむくないもの」
久しぶりにこんな遅い時間まで起きていた私は、まだ寝たくないと駄々をこねる。そんな私に、彼は困ったように笑った。
「――も、もう寝てしまったのに?」
もう1人、先ほどまで居たであろう人物の名前をあげ、彼は問う。
「おじちゃんだからだよ!」
彼の要求を突っぱね、容赦ない言葉を言い放つ幼子に、彼は「あははっ」と笑いを零した。
「それなら俺もそこそこおじちゃんですから、そろそろ眠いかなぁ」
彼の言葉に私は頬をぷぅっと膨らませる。そんな私を見かねて、彼は膝を折り私に視線を合わせた。
「大丈夫ですよ、夢の中でまた一緒に遊べるから。約束します」
彼は小指を立てて、「ね」とほほ笑んだ。
「夢の中?」
「前に言ったでしょう、俺はユメミだって」
ユメミという言葉に、私は彼の仕事を思い出す。そして少し考え込み、渋々左手を差し出し指切りを交わした。
「うん、シエンは良い子ですね。大丈夫、ユメミの力は絶対だから。君が――の先に行かない限り、会いに行きますよ」
そう言って彼は私の手を引き、一緒に室内へと戻った。私はよいしょとベッドに潜りこみ、ベッドに腰掛ける彼を見上げる。私の視線を感じ取った彼は、「寝るまでここに居てあげますから」と、笑って見せた。その言葉に安心した瞬間、私の意識はゆっくりゆっくりと遠のき始めた。
そして気付いた頃には、いつも通り自室のベッドの上で目を覚ましていた。辺りをぐるりと確認するが、変わったところは無い。夢の中であまりに自然に眠りについた為、一瞬まだ夢の中にいるかのような錯覚にとらわれたが、ここは紛れもない自室で、現実だった。
すっきりとした身体をゆっくり起こし、今日見た夢を反芻する。
(なんだか幸せな夢だったなぁ……)
だけど夢だからか、所々思い出せない所がある。彼の顔、彼の名前、もう1人居た人の名前、そして彼の言葉。
(彼は何て言ったんだろう。私が、ドコに行かない限り……?)
とても重要なような、そうでもないような、だけど少しだけ引っかかるその単語は、幾ら思考を巡らせても答えが浮かび上がらない。夢とは斯くしてそういうものだが、やはり思い出せないとモヤモヤする。
(それに、そこ以外は随分はっきりしてたからなぁ……)
星の瞬く輝かしさも、頭を撫でられた感触も、手を引かれた温かさも、よく覚えている。それなのに、思い出したいものだけが思い出せない。
(こうやって考え続けてれば、もしかしたら思い出せるかも……)
どうせ今日は暇だからと、私はしばらくボーッと虚空を見続けていた。
(ダメだ、思い出せない)
もう止めだ止め、と私はベッドから飛び降りた。小一時間夢の内容を思い出そうと努力し続けたが、思い出すのはどうでも良い事――ベッドの枕は二個だったとか――ばかりで、何の前進もしなかった。いつまでもこうしてベッドの上に居るわけにもいかないので諦めた。
「なんで夢の内容ってこんな簡単に忘れるのかなぁ」
起きた時に面白かったなぁ、楽しかったなぁ、と思う夢に限ってすぐ忘れてしまう。嫌だな、怖かったなという夢は全然忘れないのに。
「人間の忘れる機能って、なんでこう融通がきかないのかな……」
覚えていたい事は忘れて、忘れたい事は忘れられない。
(例えばキトルのあの事件とか、昨日のファソンさんの前での号泣事件とか)
自分で例を引っ張り出して、私はピタリと、自分の思考を止めた。
「……あああ忘れたいのにいいいっ!」
あまりの恥ずかしさに身を翻し、顔から枕へダイブする。自滅だ。コレは完全な自滅だ。
「お願い忘れさせてぇええっ」
枕に顔をグリグリと押し付け、誰に頼むでもなく大声をあげる。あんな恥ずかしい出来事は、即封じるべきだ。グルグル巻きにして記憶の底に放り投げてふたを閉めて重石を乗せるべきだ、今すぐに。だが忘れられない。
「こんなに忘れたいのにっ! なんで私だけこんなっ……」
そこまで一人でつぶやいて、私は「そういえば」とハッと顔を上げた。そういえば、他にも「忘れたい」と願っていた人が居なかっただろうか。
『最初はこの際何もかも忘れて、新しい「僕」として、シエン様にお仕えして、新しい関係を、と思っていたのですが』
そうだ、チャーリーだ。私を慰めてくれたあの時、彼は困ったように笑ってそう言っていた。あの時はさして気にならなかった。しかし今思えば引っかかる物言いだ。彼の「忘れたい事」とは、一体何だったんだろう。
「忘れたい事なら、忘れさせてあげるべきだよね……?」
だが私がどうこう出来るわけがない。そもそも彼が忘れたいという過去も知らないのだから。
「そういえば、知らないんだ……」
彼等が何をしていたのか、何をしているのか、何の為にここに来たのか。彼等がひた隠そうとするから、聞き出すことが出来ずにいた。そしてそのまま、流されていた。
「知らないんだよね、私……」
彼の忘れたい事。それは私のように羞恥の思い出か。それとも何か他の、辛い思い出か。
「知らない……」
知らないから、分からない。自分に言い聞かせるように繰り返す。
「知らない」
だけど、本当に?
突然、ズキンッと鈍い痛みが頭を襲った。
「いっ……!!」
咄嗟に頭を抱える。しかしその強すぎる痛みに耐えることが出来ず、再び枕に頭を押し付ける。最初の一撃でさえひどかった痛みは、それだけで治まる事は無く、徐々にその強さを増していく。
「いっ、たいッ……!」
痛い。頭が割れるように痛い。何も考えることが出来ない。
「い、たい……!」
涙が零れ、枕を濡らす。誰か、助けて。誰か。
「っ……」
助けて。助けて。誰か、誰か。
「オリヴィエッ……!」
誰かの名前を叫んで、私の意識は途切れた。
オリヴィエって、誰だっけ。