その妹
「こんなところで立ち話もなんですね。私としたことが、気が利かずにごめんなさい」
中へどうぞ、とリタが玄関のドアを開けてくれる。両手に荷物を抱えた状態でどうやってドアを開けようか悩んでいたので、正直助かった。私はお礼を言って、抑えて貰ったドアをくぐる。すると、話し声に気付いたのか、奥からパタパタとチャーリーが現れた。
「おはようございますシエン様。お荷物お持ちいたしますね」
「あ、ありがとうございます」
爽やかに微笑んで、チャーリーが荷物を預かる為に手を伸ばしてくる。私がビニール袋を渡すと、彼はそれを受け取り、更に紙袋にも手を伸ばしてきた。片方位自分で持つ、と断ろうとしたが、私が断りをいれる間もなく、荷物は2つとも彼に抱えとられてしまった。私がえっちらおっちら運んできた荷物を軽々と持ち上げる姿を見ると、やはりチャーリーも男の人なのだな、と実感する。
「重くないですか?」
「大丈夫ですよ、ありがとうございます。あぁ、そうだ。自己紹介はもうお済みですか?」
そう言ってチャーリーは戸締りを確認しているリタを振り返った。リタも鍵をきちんとしめた事を確認してからこちらに振り向く。
「一応名は名乗りましたが、簡素でしたね。改めて自己紹介をさせてください。キトルの妹のリタと申します。今年で16になります。兄の仕事の手伝いで昨日からお邪魔していて、しばらくこちらに滞在することになりました。迷惑にならないよう努めますので、どうぞよろしくお願いします」
「あ、はい、こちらこそよろしくお願いします。ところでお仕事って、」
「そういえばもうお昼なんですね! 私残りの仕事超特急で片づけてきます。ついでに兄も呼んできますね」
「妹さんなら仕事の内容ぽろっと零してくれるかもしれない」と言う私の淡い期待は、瞬時に裏切られた。そして堂々とはぐらかしたリタは、私に追撃を許さないよう、それこそ超特急で2階へと走り去ってしまった。そこまで隠したい仕事なのだろうか。この人達と付き合うのが更に不安になってきたのは言うまでもないが、付き合いをやめる選択肢は用意されていないので、今は深く考えないでおく。私は仕方なくチャーリーと2人で台所へと足を運んだ。
この家の台所は広い。全員分の皿が並べられる大きさのテーブルを入れても、自由に大人が動き回る事が出来る。チャーリーはそのテーブルによいしょ、と袋を置き、1つずつ食材を確認する。野菜が多い事を確認したチャーリーは「今日は野菜を沢山使ってパスタにしましょうか」と提案する。私はそれに頷きを返し、今使わない食材を冷蔵庫にしまったり、使う食材を料理しやすいように袋から出したりと、料理に直接関わらない手伝いに回った。お相伴に与ると宣言はしたが、だからと言って全く何もしないというのは気が引けるからだ。そして空にした紙袋を丁寧に畳んだところで、私はある事に気が付いた。
「あっ」
「どうしましたか。何かお忘れ物でも?」
手早く食器を揃えていたチャーリーがこちらを振り返る。私はテーブルを挟んで反対側に居るチャーリーに頭を下げた。
「いえ、そうではなくて。返事をし忘れていました。おはようございます、チャーリー」
先程チャーリーが挨拶してくれたのに、私は荷物に気を取られて挨拶を返せていなかったのだ。このタイミングで思い出して、今更挨拶した。が、返事は無い。気を損ねさせてしまっただろうか。心配になって頭をあげてチャーリーを見遣ると、彼は目を丸くしていたが、私と目が合うとすぐに破顔した。
「はい、おはようございますシエン様」
前ならば破顔の後に「あぁシエン様が僕に挨拶を……!」などと叫んで飛びついてきたものだったのだが。今や紳士らしく綺麗な笑顔で挨拶を返してくれるだけになった。
(こっちのが落ち着くなぁ。わざわざ返事してくれたのも嬉しい。の、だけど、なんか気恥ずかしい……)
前はチャーリーの変態性にばかり目がいってあまり深く考えていなかった。しかし今、変態性をそぎ落としたチャーリーを直視すると、そこに居るのはただのイケメンだ。笑顔で挨拶を返してくれるイケメン紳士。あ、ちょっと心臓に悪い。
「? どうしましたかシエン様。お顔が……」
準備していた鍋から離れ、こちらに歩み寄って覗き込んでくるチャーリーに、私は慌てて手を振り身を後退させる。
「なっ、なんでもないです! なんか、まだ慣れなくて! あ、鍋! 鍋から目を離すの危ないですよ!」
「ふふっ、まだ火にかけてませんから大丈夫ですよ。それにシエン様さえ宜しければ僕いつでも抱き付きますから。ご遠慮なく」
「そっ、それは遠慮します」
いつもならこの危ない発言に1歩身を引く。だが何故か今回は顔が真っ赤になって、私はひたすら俯いていた。
**
「チャーリーさんとは出来ておりますの?」
「うぁっ!?」
いつの間にか背後に現れていたリタによって投下された爆弾発言に、私は両手に持っていた皿を落としかけた。体勢がやや崩れ、私はその勢いでガチャンッと危な気な音を立て、リビングのテーブルに落とすように皿を置いた。ハッと皿を確かめると、パスタも皿事態も何とか無事だった。私は安心でフーッと深い息を吐いてから、「いきなりなんですか!?」とリタを振り返った。リタは「あら」と頬に手を当て微笑んでいる。ちなみにチャーリーは鳥と戯れているファソンを呼びに外に出ている為居ない。
「何だかいい雰囲気でしたので……」
「見てたんですか? いつから見てたんですか?!」
「見てはいませんが聞いていました」
「どうやって!? 2階に行ってたんですよね? もしかして降りて来てたんですか!?」
「いえ、2階で仕事していました」
じゃあどうやって、と私が問うより早く、リタは長い髪で隠された彼女自身の耳元に手を移動させた。そして髪の毛をスッと耳に掛けた。それを見て、私は息を呑んだ。
「……リタさん、それ……。いえ、言わないで下さい。お願いですから言わないで下さい。それもしかして盗聴器の受信機なんじゃないかなぁ、だとしたら盗聴器自体はいつからあったのかなぁ、プライバシーって何だっけ? とか想像してしまいましたが、それが現実だと思うと何だかもう耐えられないので言わないで下さい……!」
「大丈夫です、設置したのも受信機持っているのも私ですから!」
「という事は昨日のうちに設置を!? あぁもうこれ以上言わないで下さいぃいいいっ!」
私は耳を塞いで台所へ走り込んだ。そしてまだ運び終わっていない分のパスタが乗っているテーブルにたどり着き、その下に隠れる。だがリタはすぐに後を追ってきて、テーブルの下に隠れる私の前にバサッと音を立ててしゃがみこんだ。
「でしたら兄の事はどう思っておりますの?」
「あ、兄って……!」
私はリタの第二爆弾発言に驚き、バッと彼女を振り仰いだ。すると視線がかち合った彼女の目は、キラキラとした、まるで今まで綺麗なものしか見たことが無いような目にしか見えなかった。その純粋さに私は思わず「うっ」と呻いてしまう。と同時に、彼女と同じ目をしたキトルとの、あの日のあの出来事がよみがえり、頬がかぁあっと赤くなった。それをリタは見逃さなかった。
「まぁシエンさん! もしかして、兄と……!」
「ちっ違う違う! 何もありません!」
私は耳を塞いでいた手を外し、慌てて否定の為に胸の前で振る。だがリタは笑顔のままだ。
「まぁまぁまぁシエンさん! 照れなくてもいいのですよ! むしろ兄がシエンさんを手籠めにしてくれれば私がシエンさんに足蹴にして貰える日も遠くありません! 可愛らしいお義姉さまに踏んだり蔑んだりして貰えるだなんて、あまりに魅力的じゃありませんか!」
私の思考は一瞬でフリーズした。今、聞こえてはいけない単語がいっぱい聞こえた気がする。耳から手を外していたから、聞き間違いではないだろう。
「テ、テゴメ? アシゲ?」
私は自分の頭を励ましながら、なんとか脳内でその単語を咀嚼する。テゴメ、手籠め。つまり暴力を振るって女性を犯すこと。アシゲ、足蹴。つまり酷い仕打ちをすること。
あぁ、把握しました。私は行き場の無くなっていた手で膝をしっかり抱えた。そしてテーブルの下から、見えるはずのない天を仰ぎみた。神様、あれだけお願いしたじゃないですか、この子だけは変な性癖持ってませんように、って。
自らの兄がドエスだと把握しているその妹は、ただのドエムでした。