一難去って、それから?
「変人だらけ変人だらけ、変人だらけ……」
家を飛び出た後、自分に言い聞かせるようにぶつぶつ呟きながら、私は橋を目指していた。あの橋さえ超えてしまえばあちらは私の世界。こんな変人だらけの家の事なんか、丸2日も忘れて仕舞える。とっとと橋を越えてしまおうと、歩調を早めたその時だった。
「シエン様!」
急に後ろからかけられた切迫した声に、私は思わず足を止め振り返った。チャーリーが慌てたように家から飛び出してきたところだった。私が聞くことを聞いてさっさとお宅を辞したから、慌てて追いかけて来てくれたのだろう。
「っすみません、怖がらせてしまいましたね……」
チャーリーはすぐに追いついたが、今回はきちんと距離を取って私の前で歩みを止めた。こうしてあるべき距離を取って離れて見てみると、チャーリーもそれなりに背が高い。ファソンとキトルの中間と言ったところだろうか。普段からこちらが見上げる形になってしまうのは、仕方がない。
「まさかここに来て危険度ナンバーワンがキトルさんに取って変わるとは思いませんでした……」
わざわざ私を助けてくれて、更に追いかけて来てくれたチャーリーを邪見にすることはできないと思い、私は素直な感想を述べることにした。普段はセクハラ魔ということは、考えないでおこう。ここは一旦休戦だ。
「それは、今までは誰だったんですか、と聞くのは愚問でしょうか」
「そうですね、チャーリーでしたね」
「それは、申し訳ありません。今後は気を付けます。キトルさんもふざけていただけで、決して本気でしたわけではありません。ですから、怖かったでしょうが、どうか許してあげてください」
少し意地悪をすると、チャーリーが困ったような顔でキトルの代わりに謝罪の意を述べた。いつものヘラヘラ、ニコニコ顔は影を潜めている。
「そりゃ、そうなんだろうけど! でも! でもっ!」
だがチャーリーの新しい面に見惚れるよりも、先ほどの出来事を思い出すことが優先され、顔がカッと熱くなった。男性にあんな風に迫られたのは、幾ら「お試し企画」でも初めてだった。ベッドに押し倒されたことも、逃げ場を封じられたことも、耳元で鳥肌が立つほど甘く囁かれたのも。
しかし第三者にそこまで言われてしまうと、未だに憤慨している自分がしつこ過ぎるように思えてくる。キトルが半ば悪ふざけだった事は、私だって内心分かっている。最後までする気がなかったのも、きちんと分かっている。一旦冷静になった私は、口を尖らせたままだが、チャーリーに向き直った。
「……私も取り乱しすぎました。今回は人生勉強だったと思って、今度からキトルさんには気を付けます」
私が落ち着いたのを見てチャーリーがホッとしたように息を吐いた。
「本当にすみません、キトルさんには僕からきちんと言っておきますから」
「チャーリーが謝ることじゃないです。後でキトルさんには謝らせますけど」
一気に強気に戻った私を見て、チャーリーが良かった、と呟く。いつものヘラヘラ顔に戻ると思いきや、その顔には、なんとも邪気のない、心の底からの安堵が表れていた。そしてふと何かを思い出し、「そうだ」と付け加える。
「先ほどファソンさんが下ネタを投下されたそうですが、あれも悪気があるわけじゃないんです。ただファソンさんは元々女性と浮名を流すような方ではないので、あまりその辺の善し悪しが分からないだけなんです」
それはつまり、今まで女性との、性的意味合いを含めた接触は余りなく、男同士だけで暑苦しく暮らしてきたという事だろうか。それならば女性と話すときに控えるべき話題が分からなくても仕方ない。私は「それは仕方ないですね……」とため息を吐いた。
「……ん?」
だがここである違和感に気が付いた。キトルの話の内容でもなく、ファソンの話の内容でもない。私の目の前に居る、この男に対して。
「どうしましたか?」
「なんか、チャーリー、雰囲気違います?」
いつもなら「シエン様シエン様!」と、実際にあったら千切れるんじゃないかという位に尻尾を振って付きまとい、人の話なんてマトモに聞かないのがチャーリーだ。だというのに、今日の彼はなんだか理知的というか、先を読んで立ち回っている感じがする。きちんと会話を成立させるだけでなく、他の2人のフォローにも回っている。更に、いつまで経っても、いつもの良く言えば懐っこい、悪く言えばうざったいニコニコ顔になる気配が無い。
「え? あ、あぁ、そうですね」
チャーリーがギクリ、と身を強張らせた。本人も何か思うところがあるらしい。
「怪しい……」
ジィッと睨みつけると、チャーリーが慌てて取り繕う。
「いえ、怪しい所なんてありません! 強いて言うならば、今回の事でシエン様が2度と来てくれなくなったらどうしようと思いまして……!」
その心配から違和感溢れる態度で私に接しているのだろうか。だが視線が少しばかり逸らされていることが気になって仕方ない。私の顔と言うよりは、首元を見ている。昔テレビで「面接で緊張する場合は、面接官の顔では無くて、ネクタイの辺りを見るといいでしょう」と言っていた事を思い出す。
「出来る事なら来たくないけど、でも食糧運搬問題があるから。自分で言ったことだし……」
私がチャーリーの視線を気にしたまま本音を零してみせると、当人はこれ幸いと言わんばかりにその話題に食いついてきた。
「その件は本当にありがたく思っています。僕達の不備だったというのに、感謝してもし足りないくらいです。これから僕は、シエン様が少しでも来たいと思ってくださるよう、最善の配慮をさせて頂きます」
「嬉しいです、ありがとうございます。でもやっぱり雰囲気の違和感拭えてません」
食いつてきた話題をポイッと投げ捨てる。食いついてきたという事は、雰囲気についての話題を逸らしたかったのだろう。申し訳ないが、そこまで逸らしたいなら、もう少し答えを貰いたくなるというものだ。
そうやってチャーリーをうさん臭そうに見上げる私に、チャーリーは困ったように苦笑いした。こんな風に笑うんだ、と意外に思う位、初めて見る顔だった。今日はチャーリーの新しい1面がどんどん開発されていく日らしい。
「僕は、シエン様に嫌われることはしたくないだけです。少し位ならわがままを言ってもいいかなと思ったのですが、他のお2人があの調子では、僕がわがままを言っている場合ではないな、と思いまして」
本当に来て頂けなくなると、元も子もありませんから、と。それで焦って態度を変えてきたというわけだろうか。確かに私が来なくなれば、食糧が得られなくなる。私が「自分の言ったことは守る」と宣言していても、それが絶対のものだとは言い切れないのだから、焦って当然だ。
「最初はこの際何もかも忘れて、新しい「僕」として、シエン様にお仕えして、新しい関係を、と思っていたのですが」
困ったように笑ったまま発せられた言葉に、私は首をかしげた。言っていることがよくわからない。
「えっと? チャーリーは、忘れたい何かがあるんですか?」
「えぇ、まあ。ですから本来の自分のキャラも全部捨てて、セクハラ行為に走ってみたりしましたが、大分方向性を間違えたかなって反省しています」
その物言いは、あのお尻を撫でる行為がセクハラだと分かっていたようにも聞こえた。しかしあえて突っ込まないでおく。方向性を間違えた、と本人も言って反省しているのだから、今更蒸し返すことではないだろう。
今までの行動は、方向性を間違えたキャラによってのもので、違和感のあったこの雰囲気こそが本来の彼というわけだ。焦って態度を変えたというよりは、焦って態度が元に戻った、という方が正しいのだろう。
「そうだったんですか。……でも、こっちの落ち着いたチャーリーの方が好きかな……」
私がボソッと付け加えると、チャーリーがグイッと腰を折って「はい」と返事をした。胸に手をあてて、腰を90度に折るその姿は、まるで洗練された執事の動きそのものだ。
「でしたらそのように。今までの奇行をお詫びしますシエン様。貴女に対する愛故の行為と、お許しくださいませ」
「えっ、そのっ、そこまで謝られると逆に申し訳ないって言うか……!」
慌ててチャーリーに頭を上げるように頼むが、チャーリーは頑なに姿勢を直そうとしない。どうすれば頭上げてくれるのか聞くと、気が済むまで下げさせてほしいと返ってくる。
「ど、どうにか上げてくれる方法はないんですか」
「お嬢様とお呼びしても宜しければ」
「……好きなだけ下げてください」
「畏まりました」
シエン様と呼ばれる方がまだマシだ。私はその後、優に10分は頭を下げられ続けたのだった。
そんなこんなで、一悶着終えた私は、また元通り3日に1回お向かいさんを訪ねることになった。一悶着後の初来訪の際は、しっかりキトルに文句言って謝罪を取り付けてやったのは言うまでもない。