幕間、「男共の画策」
ガシャン、と陶器同士がぶつかりあう音が室内に響いた。カップから僅かに零れた紅茶が、よく手入れをされたクリーム色の絨毯に染みを作る。しかし紅茶を零した本人はそんな事を気にしている場合ではないらしい。それはそうだろう。
「サリュエナさんに、彼氏……?」
想い人に男の影が持ち上がったのだから。
「兄様がっ……ロイ兄様が不甲斐ないからぁっ……!」
ロイにその報告をしたクレアはスンスン鼻を鳴らしながら泣いている。彼女はサリュエナの事をよっぽど好いており、いつかは義姉に、と思っていたらしい。そのサリュエナに想いを寄せていたロイの動揺はクレア以上である。
「サリュエナさんに彼氏……? っ聞いてませんよクイット! どういう事ですか、彼氏なしのハズではありませんでしたか!? あれだけ勝手に茶々を入れておいて、その報告だけしていないだなんて、幾らなんでも……!」
部屋の隅で静かに紅茶をすすっていた私にその動揺がぶつけられる。ため息交じりにティーカップをテーブルに戻し、「落ち着いてよ」と兄を諌めにかかる。勝手な言いがかりをつけられるのはごめんである。
「そんな意地の悪い事するような私じゃないよ。つい最近も報告書を勝手に更新させてもらったけど、確かに彼氏は居なかった。何かの間違いじゃないの?」
クレアの方に視線をやって確かめるように問うと、クレアが「でもっ」と声をあげる。
「とっても親しそうでしたものっ……! 親しくもない人にカウンターを任せられるわけないです……!」
私は思わず「親しい男イコール彼氏って考え方がそもそも単純っていうか幼いっていうか……」と零した。それを聞き逃さなかったクレアが顔を真っ赤にして怒りを露にする。
「クイット兄様に恋愛事は言われたくないです!」
デジャブを感じざるを得ない言葉に再びため息が漏れる。一人掛けソファの肘置きに肘をつき、こめかみを抑えこむ。
「君達兄妹は私の事なんだと思ってるの一体」
するとクレアは「ふんっ」と鼻を鳴らし、「クイット兄様はご存じないかもしれませんけど、」と前置いた。
「クイット兄様は有名ですのよ。巷では「歩く、」
「――ストップ。兄妹喧嘩はそこまでにしてください」
ロイが制止に入る。あぁ、そうだ、サリュエナの彼氏について話していたのだ。このまま行くと妹の口からとんでもない台詞を聞かされるところだった。幾ら自分の貞操観念が薄いとはいえ、この場で妹から聞かされるのはとても堪えられない台詞だというのは想像に難くなかった。止めてくれたロイに素直に感謝し、謝罪する。
「……止めてくれてありがとう。そうだね、こんな事話してる場合じゃなかった、ごめんねロイ」
「そうですよ。兎にも角にも、まずはサリュエナさんに付きまとう男の影を払う事が先決です……!」
「……だからまだ彼氏が居ると決まった訳じゃないんだってば……」
きちんと軌道修正してくれるかと思えば、ロイ自身の頭も使い物にならなくなっているとは、一体どうしたらいいのだろうか。
(恐ろしいな、サリュエナさんの存在は)
サリュエナ自身もシューベン家が恐ろしいと思っていたなど露とも思わず、私は事態の打開のために頭を抱えた。
**
グラン隊長からの命令で久々に会った元同僚は、たった2年ぶりだというのに、大分印象が変わっていた。ハーフアップにした黒髪は腰まで伸びて、緩いウェーブがかかっている。足首まである空色のワンピースは柔らかい素材で出来ているからか、彼女の動きにあわせてふわりふわりと揺れる。指の先まで綺麗に手入れされていて、所作も実に女性らしく、元軍人とは思えない。
(変わったなぁ)
そうやって不躾にまじまじとサリュエナを見ていると、サリュエナが視線に気づき、嫌そうに顔を歪めた。あぁ、そういう顔するのは以前と変わらない。
「なんですか」
「そうやって時たま蔑んだような目をするの変わらんなぁって思って」
クスリと笑ってから食卓に出されたオムライスをつつく作業を再開する。
「失礼な事を言わないで下さい、いつ私が蔑んだような目をしたんですか。あぁもう、食べたらとっとと帰って下さい。今日は疲れました……」
サリュエナは本当に疲れているようで、ゆっくりゆっくりスプーンを運んでいる。
オットーの紹介をした後、急に叫んだと思ったら急に無言になって店内へと踵を返したサリュエナに、男共はどうしたものか分からず、一時その場に立ち尽くしていた。しかしいつまでもそうしているわけにはいかず、とりあえずグラン隊長に命令を受けている自分がサリュエナの様子見を請け負い、少年達を帰らせた。
店の中に入ると、サリュエナの姿は無かった。どうやら店の奥に行ってしまったらしい。仕方がないので代わりに店を閉め、カウンターの中に隠しておいた上着と腕章を引っ掴み、店の奥へサリュエナを探しに行く。店の奥は一旦事務所のようなものがあるが、そこに彼女はいない。きょろきょろと辺りを見回すと、奥にもう1枚扉があった。多分自宅へつながる扉だろう。その扉を開けると階段があった。その階段を上る事はせず、階下からサリュエナを呼ぶ。すると気まずそうな顔をした彼女がとことこと階段を下りてきた。
「……すみません、存在を忘れていました」
「おい」
思わずビシッと突っ込む。
「思わず忘れたくなる位疲れたんです……あ、お帰りですか?」
手に持つ上着と腕章を見て、サリュエナが「やっと帰るのか」と少しホッとしたような顔を見せる。
「人の存在忘れておいて帰りを喜ぶなっつうの。そうだな、晩飯を要求する」
「えぇー……」
サリュエナは心底嫌そうな顔をする。
「飯がダメならグラン隊長の手紙の内容教えてくれよ。それ知れたら素直に帰るわ」
1歩階段を登って詰め寄ると、サリュエナが「う」と詰まった声をあげた。
「飯か、説明か」
にっこり笑って更にもう1歩詰め寄ると、ようやくサリュエナが折れた。
「……オムライスで勘弁してください」
そんなこんなで、初めて元同僚の自宅に足を踏み込んだ俺は、初めて元同僚の手料理を食べている。彼女がオムライスなどという高度なものが作れるとは知らなかった。
「美味いわぁ。これで手紙の内容も知れたら万々歳なんだけどなぁ」
「本当、それだけは無理ですって……」
手紙の事を持ち出す度にサリュエナのスプーンの動きが止まる。彼女にそれだけの抵抗を生じさせる内容とは、一体どんなものなのか。興味が湧いて仕方がない。
(……通いつめれば教えてくれるんかな)
久しぶりにあったら色々と変わっていた元同僚とちょっと戯れる位、グラン隊長だって許してくれるだろう。それならばいつ来ようか。サリュエナに食後のデザートを要求しながら、俺は心の中ではワクワクしながら計画を練り始めた。