突然、「サリュエナの場合5」
世間の学生は夏休みに入り、私のティーの護衛の仕事は一時的にお休みとなっていた。護衛の仕事が休みとなると、やる事と言えばカモフラージュのアンティーク店を細々営業することと、サリアとしてたまにティーの宿題の様子を見に行くこと位だった。
それがあの防犯訓練をきっかけに、ベルに「ある程度の護身術を習いたい」とお願いされシューベン家に通うようになり、それを見たティーが「サリュエナに僕も教えて欲しい!」と頼み込んで来て、結局2人まとめて世話することになり、その光景を見たクレアが「サリュエナさんがいらっしゃってる! 是非お茶をしていってください!」と言われて毎回引き止められたりしている内に、週の大半をシューベン家で過ごすようになっていた。せっかく仕事が休みに入っているというのに店を開けている日の方が断然少ないと言う、普段と何も変わらない日々になっていた。しかし断れない性分なのだから致し方ない。
そんな忙しい日々のなか、今日はたまの開店日だった。いくらカモフラージュとはいえ、自前の店である。久々に開けられることが素直に嬉しく、無意識に鼻歌を歌いながら、嬉々として開店準備をしていると、コンコンッと入口の扉をたたく音がした。まだ時間は開店の30分前だ。外には準備中の看板を出しているはずなのだが、と疑問に思いつつ、応対しなくては、と持っていた箒を棚に立て掛ける。品物の間から扉に目をやると、磨りガラスの向こうで、灰緑色の人影が揺らめいていた。
「っ!」
反射的に身構える。灰緑色の人影は、磨りガラス越しでも、左腕に銀色の腕章をしていることが確認できた。灰緑色の服に銀の腕章、この国に住む誰もが把握しているその様相は、間違いなく軍人だ。私は息をひそめ、その人影を注視する。濃い灰色の短髪をしていて、身の丈は175といったところ。大きな武器は持っていないようだが、小型の武器の有無はさすがに磨りガラス越しだと分からない。
例え軍人と言えども、本来ならここまで警戒する必要はない。彼らはしばしば繁華街ですれ違う事があるほど、この国ではなじみ深い存在だ。しかしここは10代20代の女性に愛される、場末のアンティーク店。営業時間内どころか、時間前から軍人が訪れてくることなど、前代未聞だった。
(この前の防犯訓練だって、手紙で依頼が来た。何のために、軍人が直接やってきたの?)
世の中には魔女を良く思わないものも居る。もしかしたらその手の人間――しかも軍人――が扉の前に居るのかもしれないと考えると、警戒するに越したことはない。そうやって未だ読めない状況にゴクリと唾を飲み込んだ、その瞬間。
「あっれ、今日休み? 開いてるって聞いたんだけどなぁ……。おーいサリュー? サリューいるかー?」
「……」
扉の向こうで上げられた気の抜けるような声に、私は一気に脱力した。あの声は確かに聞き覚えがある。軍人で、あの声で、あの髪の色で、あの背丈。
「……今開けます」
思い当たる人間は1人しかいない。私は、普段から用心には用心を重ねて4つ施していた鍵を開錠し、扉を外側に向けて押し開けた。朝の光に包まれて現れたのは、想像通りの人物。
灰緑色の軍服を身にまとった、お日様みたいなあったかくて明るい声の、一見黒にも見えそうな灰色の短髪をした、優しい顔つきの、従軍時代の元同僚だった。
「お、居た居た! おー、おっきくなったなぁ!」
2年も会っていなかったとは思えない気軽な挨拶が私の顔を綻ばせる。
「お久しぶりですトニア・マーケティアさん」
「おっと、言い方が他人行儀。お兄さんちょっと傷ついた。前みたいにトーニャって呼んで?」
へらっと笑いながらおどける仕草は昔と変わらない。この元同僚は昔からこうだ。相手が1歩身を引いていようがお構いなしに彼のペースに持ち込み、場の雰囲気を軽々と変える。だがそれに押しつけがましさは無く、畏まった場も彼が居れば一転して和やかになったものだった。2年そこそこでは人は簡単に変わらないものだな、としみじみと思う。
「そんな無理を言わないで下さい。私は今一般市民なんですから。……それで? 御用は?」
懐かしさに想いを馳せながら、突然来訪してきたトニアにその意図を問うた。
「お、コレコレ、グラン隊長から手紙預かってきたぞー」
トニアはニコニコしながら、外ポケットからオフホワイトの封筒を取り出し、こちらに差し出した。グラン隊長とは、私の従軍時代の元上司であり、尚且つサリュエナに防犯訓練の話を持ちかけたその人だ。
「来る前に連絡位してください。というか、手紙なら郵送してください」
差出人が一緒ならば、前回は郵送してきたのだから、今回も郵送して欲しかった。何かの襲撃かと思って、かなり焦ったというのに。
「悪い悪い、ビビらせたか? いやな、なんかかなり大事な手紙らしくて。郵送するわけにもいかないからこうして手渡ししに来たわけよ」
今回は手渡しで手紙を送ってきたのはそういうわけか。(それでも来る前に連絡しろってば)と心の中で毒づくが、トニアはそれに気付く様子はない。私はため息交じりにその封筒を受け取り、蝋の押された開封口を遠慮なく引き裂いた。
**
従軍時代の元同僚が持ってきた手紙を読んで、私は絶句した。
「どした? 何々、何が書いてるん?」
興味津々で手元を覗いてくるトニアのニヤニヤした顔に、ハッと我を取戻した。余りの驚愕の内容に思考が停止していたようだ。我を取り戻した私は、この手紙の真意を確認するため、目の前に居る男の腕を勢いよく引っ張り、無理矢理店の中に引きずり込んだ。トニアが店の中に全身を収めた事を確認し、バシンッと音を立てて扉を閉め、厳重に鍵をかけ直す。そしてバッと彼を振り返ると、そこには何を勘違いしたのか、頬を赤らめ狼狽える25歳がそこに居た。
「えっ何、えっ? 俺大胆なのは嫌いじゃないけど、流石に朝からは恥ずかしいかな…!?」
意味のわからない台詞に軽く気色悪さを感じながらも、すぐさま首元へ手をかけ、私は予告も無くギリギリとトニアの首を締め上げにかかった。普通の20歳女子ならば、その厚手の生地でこしらえられた軍服を締め上げ、相手に苦痛を与える事など出来っこないだろう。しかしこちとら2年前まで従軍していた身である。灰緑色の詰め襟に、ぐしゃりと皺を寄せることなど容易い。一緒に手紙も音を立てて皺を寄せたが、気にしている余裕はない。
「えっバイオレンス系なの!?」
未だ顔を赤らめたままのトニアが驚いた声をあげる。
「いいですから、正直に答えてください! コレ、本当にグラン隊長から預かってきた手紙ですか!?」
私の先ほどまでの「一般市民ですから」という遠慮は今は無い。トニアは勢いよく首をぶんぶんと縦に振った。
「そうだって言ったじゃん! 俺が直々に預かったんだから間違いないって! くっ、苦しいっ!」
トニアがじたばたと暴れる。私より年上で、身長も優り、かつ現役の軍人でありトニアは、逃げようと思えばいくらだって逃げることが出来る。だがそれをしないのは、彼が私の慌てた様子に、ただ事ではない空気を感じている為だろう。ならばその優しさに(心の中だけで)感謝し、もう1つ質問する。
「トニアはこの中身を見ましたか!?」
「上司からの手紙、勝手に見るわけないだろ、殺されるっての!!」
私はその答えに幾分かホッとして、やっとトニアの軍服を解放した。トニアは涙目になりながら、大袈裟にゲホゲホせき込んでいる。彼が息を整えるのと一緒に私も乱れた息を整え、もう1度ちらりと視線を手紙に落とした。そこには達筆でこう書かれていた。
『サリュエナへ
先日の防犯訓練の折には、急な申し出だったにも関わらず、快諾してくれたことを有難く思う。あの猛暑故、人数が中々集まらなかったので、お前が参加してくれたことでこちらとしてもかなり助かった。
さて話は突然変わるが、近況はどうだろうか。ルルに聞けば、護衛の仕事やらその家族との関わりやらに追われる日々で、色々大変そうじゃないか。お前ももう20歳だし、軍人というわけでもないのだから、そろそろ腰を据えてはどうだろうか。ついては、今この手紙を持って来た目の前の男などはどうだろうか。私の部下であり且つお前の知り顔――しかも同期――の中では、特に優秀だし信頼のおける人間だ。それに歳も近いし女癖も悪くない。かなりの好物件だと踏んでいる。だがお前が年上が嫌と言うならば、年下にも当てがあるので、遠慮なく申しつけるように。
何がいいたいかと言えば、とりあえずとにかく早く結婚して孫を見せに来い。逃げることは許さない。因みにこの件はルルも関知済みであるので、助けを求めても無駄である。以上。
グラン・マホットより』
もうどこから突っ込んでいいのか分からない。ルルは私の魔女としての師匠だ。グランは私の軍人としての師匠だ。そして彼らは偶然にも夫婦だ。私達は奇妙な、それでも深い絆で結ばれている。しかし私は彼らの子どもではない。仮に私が子どもを産んでも、彼らの孫にはならない。だが彼らは私の事を本当の子どものように気にかけてくれていて、だからこそ、気持ちの上では娘である私の婚期を心配してこのような手段に出たのだろう。
トニアに「大事な手紙だから手渡ししろ」だなんて嘘ついて運ばせ、私と面会させる手段に。私が師匠に抗えない人間だと知った上での、強引な手段に。
「夏休みは休むためにあるんじゃないんですか……?」
突然降って湧いた、学校の夏休みの宿題を凌駕する宿題に、私はただ茫然とするしかなかった。