学校で、「ベルの場合3:後」
俺は心の中で(有り得ない、こんな防犯訓練有り得ない)と何度も何度も呟きながら、歩きなれた廊下をソソソッと移動していた。
初めはキィルやオットー達数名と一緒に行動していた。だが校舎裏にたどり着いたところで、集団移動していた1年生が襲われるのを見てしまい、「集団でいると目立つ! 各々生き残ろう!」と急遽散開したのだ。あの光景は、まるで地獄絵図だった。俺達の前方を5、6人でソロソロ移動していた1年生が、いきなり茂みから出てきた屈強なおじい様3名に「はぁっはぁっはぁっ! 素人が集団行動など、注意を払ったところで意味ないわぁああああっ!」とラリアットを食らったのだ。実践の防犯訓練とはいえ、退役軍人が一介の学生にラリアットを食らわせるとは、恐ろしすぎて白髪のおじい様がトラウマになりそうな勢いだった。
その後すぐに散開したからなんとか助かったが、もし自分があのおじい様達につかまっていたかと思うと背筋が凍る思いだ。
「っていうか、もはやこれ防犯訓練じゃないよな。サバイバルゲームか? 俺達はエサか?どう考えても教師陣の暇つぶしじゃないか?」
もはやわかりきったことだが、言葉に出さずにはいられなかった。はぁあ……、と深いため息を吐きつつも、俺は周囲に注意を払いながら、中庭にでる分岐点に移動した。この中庭を超えた先にあるのがB棟で、その先にあるのがA棟である。A棟まで行けば、他の生徒が「マトモ」な防犯訓練をしているはずだ。そこに潜りこめさえすれば、このふざけた実践防犯訓練から逃れられる。(だが……)と俺は一旦冷静に考える。
(ただ、それを見越してA棟までに何人も配置されてる可能性は……あるよな、やっぱり)
このふざけた催しを企画したのは教師陣だが、実際に指揮を取って陣を敷いているのは確実に退役軍人の方々だ。A棟に逃げ込もうとする考えの奴がいること位、お見通しのはずである。
(A棟まで駆け込むのは、危険だな……。いっそ、ここから逆に戻ってC棟に潜んだ方が安全か……?)
やけに人気のない中庭に恐怖を覚え、俺が身を反転し、退路を確認しようとした時だった。
「きゃっ!」
「わっ!」
妙に既視感を覚える形で人と衝突したのは。
**
「っと! すみません!」
「いえ、こちらこそ……」
反射的に相手の肩を抱くと、その肩は予想以上に細かった。最初は気付かなかったが、ぶつかったのは女性らしい。
「前を見ていなくて。お怪我はありませんか?」
相手の怪我の有無を確かめようと、謝りつつ慌てて女性の顔を覗き込んで、俺は息を呑んだ。
「サ、サリュエナ、さん……?」
お会いしたのはたった1度だけだったが、見間違えるはずがない。ロイ兄さんが笑顔で引っ付いていたのを、彼女から何とか引っぺがしてお礼を言われた記憶があるから、間違いない。あの時と違うのは、髪が頭頂部で1本に結い上げていたり、膝の少し下辺りの長さをした、ねずみ色の半袖ワンピースを着ていたりすることだろうか。ふと視線を落とした足元は、こげ茶の少しかっちり目のローヒールショートブーツだった。女性のよく履いているヒールやショートブーツに比べると、大分走りやすそうな靴である。
「あ、えっと、ベルさん、でしたね? 怪我はありません、ありがとうございます」
まじまじと観察していると、遠慮がちにサリュエナさんから声がかかる。俺はいつまでもサリュエナさんの肩を抱いたままだった事に気付き、ババッと手をのけた。
「あ、はいベルです。すみません、いつまでも」
サリュエナさんは「いいえ、ありがとうございました」とぺこり、と頭を下げる。確か俺より2つ3つ年上のはずの女性が、こんな学生にまで頭を下げてくれるとは驚きだ。ぶつかったのは前を見ていなかった俺の不手際なのに、なんて礼儀正しい女性なのだろう。最近ロイ兄さんがサリュエナさんの話ばかりしているが、これは分かるかもしれない。
「……じゃなくて。そういえば、どうしてここに?」
一瞬まるでクイット兄さんのような思考に走ってしまった自分を反省しつつ、俺はサリュエナさんに質問する。
「本当は今日も仕事だったんですが、この仕事の話をしたら、ロ、じゃなかった、雇い主の方が今日くらい休んでもいいよ、って言ってくださって」
サリュエナさんは個人経営のお店を営んでいた気がしたが、記憶違いだろうか。
「そうなんですか。……ん? この仕事って……?」
確かそのお店もアンティークを扱う雑貨屋さんのはずだ。学校に何の用事があって来たのだろうか。
「ごめんなさいベルさん。でも知ってる顔だからって油断しちゃダメですよ?」
一拍もおかず、サリュエナさんが俺の右腕を取った。「え?」と思った頃にはもう、ひゅっと身を反転させたサリュエナさんが、俺の懐に入っていた。そしてサリュエナさんが腰を落としたかと思うと、俺の身体は宙を舞っていた。その時俺の脳内に、あの教師の放った台詞がスローモーションで流れていた。
『不審者の方は、下はピチピチの20歳から、上はムキムキの65歳まで、より取り見取りですからぁ、好きな人に襲われてくださいねぇ』
もしかしなくてもピチピチの20歳って、サリュエナさんだった?と俺の思考が追い付いたころにはもう、俺の身体は地に打ち付けられていた。
「ごめんなさい。不審者役の1人でした」
サリュエナさんがネタ明かしをして、済まなそうに顔の前で手を合わせる。だから今日はどことなく動きやすそうな服装だったのか。俺は打ち付けた腰をさすりながら自分の身を起こした。廊下の壁に背中を預けながら立ち上がり、体制を整える。
「いえ、知っている顔に油断したのは俺ですから……」
「手加減はしたんですけど、痛かったですよね?」
「まぁ、そこそこには……。それにしてもサリュエナさん、退役軍人だったんですね……」
俺がグッと姿勢を正し、痛みはもう無いと振る舞ってみせると、サリュエナさんはホッとして「はい」と頷いた。
「見習いを2年した後、正規の軍人として3年働いていました」
「見た目では分からないから怖いですね……」
ほっそりとしていて女性らしさに溢れている見た目からは、5年も軍人としてつとめあげていた事実は、そう簡単に見抜けないだろう。それこそ同じように軍人職を努めあげた人でないと難しいはずだ。
「でも良かった」
サリュエナさんがホッと胸をなでおろす。俺が腰を痛めはしたものの、大きい怪我をしなかったことだろうか?
だがサリュエナさんは俺の予想の斜め上を突っ切って、頬を赤らめて、こう言い放った。
「もう知り顔の人を手加減で襲えましたから、ここからは我慢せずに済みますね」
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訓練の後、予想外の若い女性の登場に目を奪われ、次の瞬間にはボコボコにされていたという報告が多数上がったのは、言うまでもない。そしてそっちの方向が開花した奴がいるのも言うまでもない。美人に足蹴にされる喜びに目覚めてしまったらしい。ご愁傷様の一言に尽きる。俺もその後、上半身裸の三十路男に追い回されたり、地面から突如現れたおっさんに引きずり込まれかけたりと、色んな不審者に襲われたが、開花することは無かった。良かった。本当に良かった。
そして家に帰った後、その防犯訓練を心底羨ましがっていた兄が居た事は、言いたくもない。次はいつかとひっきりなしに聞いていたが、はっきり言おう。
「次があっても絶対参加しない!」




