そして、「ロイの場合4」
今日の分の商談を終えて、帰路に付いていた時だった。午後4時という時間帯上、元々まばらだった人影が、サッと引いて更に少なくなった。道に残った人々は店や建物の方に視線をやり、なるべく道の端っこを歩く。何だ何だと思い行く手を見ると、見るからに柄の悪い男達が7・8人、肩で風を切りながらこちらに向かって闊歩していた。(これから帰宅だというのに面倒事を起こすのもな)と思い、僕も少し身を寄せ、彼らの横を通り過ぎる。すると、他の人のように大袈裟に道を譲らなかったせいだろうか、一瞥された。しかしこちらもこちらで肩がギリギリ当たらない距離ですれ違ってやったので、いちゃもんを付けられることは無かった。
(今何も悪い事はしていないし、通報するわけにもねぇ)
一瞥されたことで一瞬通報してやろうかとも思ったが、ああいうのは現行犯逮捕でなくては意味が無い。とりあえず今は何事も起らなかったので、気分転換に近くの本屋に寄り道して帰ることにした。
(あ、新刊)
表通りから1本逸れた馴染みの本屋を覗いてみると、クレアが好きだと言っていた恋愛小説の新刊が出ていた。新刊の表紙には黒いドレスをまとった黒髪の女性と、白い詰め襟を着た白髪の男性が描かれている。この小説は、見た目が黒いだけで悪い魔女と忌み嫌われた魔女と、その魔女を倒す為に立ち上がった何も知らない軍人による、恋愛ファンタジー小説だそうだ。はっきり言って、この手の小説を普段は全く読まない。しかし食わず嫌いはいかん、物は試しにと1度読んで見たところ、今ではクレアと共有して読むほどになってしまった。
(絶対この魔女のキャラ設定のせいですよね……)
新刊を手に取り、ぱらりと挿絵に目をやる。
――本当は悪い事なんて嫌いなのに、言いだせない魔女。忌み嫌われても、皆の為に頑張る魔女。絶対に悪い事はしない魔女。黒髪の綺麗な魔女。
くすり、と思わず笑いが零れる。
――本当は痛いことは嫌いなのに、5年も従軍した魔女。その力で、誰かを守ろうと頑張る魔女。絶対に悪い事はしない魔女。黒髪の綺麗な魔女。
頭の中では彼女の事を思い浮かべながら、今回のあらすじを確認する。今回はついに白髪の軍人が黒髪の魔女の実態を知り、一気に距離が縮まるらしい。これは早く読みたいが、クレアが既に買っていたら勿体ない。とりあえず新刊は元の場所に戻し、少し他の本を物色した。だがこれといって欲しい本は無く、結局何も買わずに本屋を出ることにした。と、その時、奥の方で整理をしていて、今までこちらに気付いていなかった老店主に声をかけられた。
「ありゃ、入れ違いですかぁ」
「入れ違い、ですか?」
何の事だか分からず、老店主の言葉を復唱してしまう。だが老店主はそれに気付かず、最近、白髪の占める量が多くなってきた頭をぼりぼり掻きながら「ありゃりゃ」と声をあげた。
「もうちょっと早かったらねぇ」
「えぇと……」
もっと具体的に話して欲しくて困った顔をしてみせると、老店主が、「あぁ」とやっと気づく。そして店の玄関のところまで出てきて、表通りの方向を指さす。
「さっき表通りまで出てきたとこでねぇ、ティーぼっちゃんとお友達とすれ違ったんですよぉ」
「あぁ、ティーと……」
そういえばもう下校の時間だ。老店主がティーとすれ違っていて、その後に自分を見て「迎えに来たのか」と思ってしまっても不思議ではない。ただティーにはサリアという最強の護衛が付いているから、誰が迎えに行く必要もないのだが。
「……ん? ティー?」
ふと、何かが自分の中で引っかかった。引っかかったのはティー。ティーが一体どうしたというのか。ティーがサリアと一緒に下校していることか?しかしそれではない。羨ましいことだが、実に羨ましいことだが、引っかかったのはそれではない。
「ロイさん? どうしましたかぁ?」
老店主のやけに語尾が間延びした声がするが、内容は入ってこない。
「ティー……」
書類鞄を小脇に抱え、店の入り口を占領したまま、自分の記憶と思考を整理する。どこに、何が、引っかかったのか。現在から、記憶を巻き戻していく。すると、それはすぐに見つかった。
「あ」
「? ロイさん?」
そうだ、何だか見覚えがあるような、ないような、いや、あるような気がしていたのだ。以前報告書で見た顔だ。
「この前ティーとサリアに喧嘩打った方々」
ぽんっと手を打ったところで、彼らが今頃何をして何をされているのか、安易に想像できた。
表通りをしばらく歩き、生活道路への分岐点にさしかかると、その別れた道路の中でも普段は人気のない暗い路地裏から、人のうごめく気配がした。そちらに歩みを近づけると、パンパンッと手を打ってホコリを払う音が聞こえる。事はもう終わっているようだ。
「さて。あとは警邏隊でも呼んでどうにか処理してもらいましょう。っと。その前にサリアに戻っておかないと……」
ぼそぼそと女性の呟く声が聞こえる。確かに、今ここにティーとサリュエナのセットが居たら誰だって不思議がるだろう。ティーとサリュエナの間には、全くつながりが無いのだから当然だ。だがそれを声に出して喋るのはどうかと思う。彼女は仮にも魔女という立場を隠している身だ。ここで1人、話を立ち聞きしている男が居るというのに、全くもって不用心である。
(まぁ、聞いているのが僕だからいいか……)
そんな事を考えると、なんだか自分が特別な存在に感じられ、一瞬ふわっと意識が違う方に行きかけた。が、なんとか現実に意識を戻し、僕はその路地裏に一気に足を踏み入れた。
「きゃっ!?」
「えっロイ兄!?」
突然現れた第三者に、サリュエナとティーが驚いて声をあげる。尻餅をついているティーと、少し拳が赤く腫れたサリュエナ。彼らの向こう、路地裏の最奥には、ゴミのように積まれた7・8人の大の男達。
(あぁ、やっぱりさっきの……)
なんだかとても可哀そうな気持になってしまったので、なるべく大人の塊には目をやらないようにし、僕は固まっているサリュエナとティーに近づいた。
「ティー、けがはありませんね?」
「あ、うん! 僕は大丈夫!」
「それは良かった。サリュエナさん、手を」
「へ!?」
僕の突然の登場に頭が真っ白になっていたであろうサリュエナが、こちらの呼びかけによってハッと我を取り戻した。僕はそんなのはお構いなしにサリュエナの手を取る。
「え、あ、ロロロ、ロイさん!!」
「あぁ、腫れてるだけじゃなくて、擦り傷が……」
「あぁあ、あの! 私、偶然通りかかっただけで!」
「きちんと手当てしなくてはダメですね……」
「自宅で出来ますから問題ないです! それよりティーッ、」
「何を言っているんですか。これは仕事で負った傷でしょう。雇い主側が手当てをするのは当然ですから、遠慮しないで下さい」
「いえ、そんな! 仕事とはいえ、私が勝手に負った傷ですから! ですから雇いっ! ……雇、い? 雇い、主……?」
ここまで途切れることなく続いていた会話が、ぷつり、と途切れた。サリュエナの顔が「思考が停止した」と言わんばかりに固まっている。ちらり、とティーを見ると、ティーの顔は「え? 何?」と理解できないと言わんばかりに固まっている。2人の顔を見ると笑いがこみ上げてくるが、そこはグッと堪え、サリュエナの手を取りなおす。
「え、と……?」
「さ、一旦家に帰りましょうか。ほら、いつまで座ってるんですティー。帰りますよ」
「え、え?」
「え? ロイ兄? え?」
そうやってサリュエナの手当の為に、3人揃って自宅に帰ってから、僕は大事なことに気が付いた。弟の満面の笑みに迎えられて、気が付いた。
「あああっ! まだ土曜日じゃなかった!」




