花影
明けゆく空を見上げながら私は言った。
「今頃心配してるかしら?」
そう。
言ってきてないのだ。王宮を抜けることを。そして侍女を辞めたことを。
兄にもハーレイにも、ヴィオラにも一言も告げてはいない。
唯一知っているのは仕事仲間のマルーシャさんくらいだ。あえて言えば、後日屋敷に届くであろう手紙には私が侍女を辞めたいきさつなどを綴った物が母達の元に届くはずだ。
そしてそこには、自分を捜すことはしないで欲しいと言う内容が暗に書いてある。
同じ王宮内に居ながら、相談もなく辞めた事をフィオーラは怒っているかもしれない。
しかし容易には王子の側近であるフィオーラに近づけなかったのだ。
けれどそれは言い訳にしかならない。近づこうとすればできない事も無かったのだ。
「やっぱりお咎めはありそうね。」
(ああ、嫌だ。)
フィオーラの説教はねちねちとしつこいのだ。そして的確に核心を突いてくるので、ごまかしようが無いのだ。
思い出しただけでも戦慄してしまう。
「ねえ、モニカ。」
「ん?」
「何処に向かってるの?」
頭上から聞こえてくる声。
「何処って―――‥‥‥れ、レーフぁぁァー!!」
私のすっきょうな声が辺りに響く。
「‥‥‥五月蝿いわ。」
そんな私にもグレーファーは冷静に突っ込む。
「何時の間に付いて来てたのよ。だって私、レファーが居ない間に出てきたのよ。」
しかも私の頭に乗っかっていただなんて、と落ち込む私を余所にグレファーは飄々と言ってのけた。
「私が気づかないとでも思った?」
「わよねー。」
もう呆れるしかない。
いや、気づかなかった自分もどうかと思ったが‥‥。
「で、何処に行くの?行く当てがあっての行動でしょうね。」
「勿論行く当てはあるわよ。だけど場所が分からないのよね。」
「は?」
「え?」
疑問に疑問を返してしまった私。
言うなれば、反射的にとでも言った所だ。
「何で当てはあるのに場所が分からないのよ。しかも場所が分からないのに、何ふらふら出歩いてるの!」
「大丈夫よ。」
呆気爛々と言ってのけた私に、何が大丈夫なのかと問い詰めるグレファー。
しかし、大丈夫と言った私の顔は、何か裏のある笑みを作っていた。
「向こうが見つけてくれるの。」
心底楽しそうに、そして何故か意地悪そうに言い切る私に、グレファーは何が大丈夫なのかと問い詰める。
「見つけてくれるって何抜かしてんのよ。そんなことあるわけ―――」
―――ザッツ
私の目の前に黒が広がる。
それは黒い人影が舞い降りた。ためだ。
一瞬後にグレファーは妖精の姿から精霊へと変化した。
「ダレ。あんた。」
冷たい声が私の隣から聞こえた。
だがそれに答えず影は地に片膝、片肘を付けて顔を俯けている。尚も黒いフードを深く被っており、私達からは全くと言って言いほど顔は伺えない。
それに業を煮やしたのか、グレファーは私より前に出ようとした。
しかし私はそれを手で挺した。
そして口を開く。
「見つかってしまったわね。案内してくれる?」
少し残念げに放った言葉に影も気づいたのだろう。
少し困惑げな雰囲気を醸し出していた。
そういえば、とグレファーは思い出した。
私は王宮を出てからと言うもの、人気の無い所ばかりを選んで歩いていたのだ。それはこの影から逃れるためだったのだろうか?
――――――――――
初めは、影がグレファーの事に物凄く警戒心を持って接していたが、彼女が戦う戦意を失い物騒な気配を解くと影も警戒を緩めた。
グレファーはこの影が私の言っていた「見つけてくれる相手」だという事は直ぐに分かったし、私に対しての殺意も何も無かったので妖精の姿に形を潜めた。
「そういえば、場所はまた何処になったの?‥‥この道を行けば町外れになるはずだけど。」
話掛けた私に影は頷くだけで、出会った時から一度も声を発していない。
(これは交渉しなければいけないわね。)
その対応に予想はしていたものの、忠実過ぎて呆れるしかない。
「こっち向いて。」
影は私に言われたように後ろを歩いている私の方を向く。
その時に彼女は、影の頭から黒のフードを剥ぎ取った。
身のこなしが軽やかな影が私の手から逃れられないはずもなかったが、影は甘んじてそれを受けたのだろう。
「これで声を出して話してくれるわよね。」
私のそれは、もはや問い掛けではなく確認だった。
グレファーは相変わらず私の肩の上で傍観を決め込んでおり、我関せずと言った様子だ。
「‥‥ねえ、失礼だと思うのよ。案内人が一言も喋らないだなんて。」
尚も食い下がる私は思ってもいない事を口にする。
彼女にそこまで言わして、影は喋らない訳が無かった。
「‥‥失礼しました。私は党首様より案内を仰せつかっています。」
「分かったわ。よろしくね。」
そう差し出した私の手を、影は困惑げに手に取った。
彼女が更なる事を思案しているとは気づかずに。
(名も名乗れるよう、頼んでみるかしら。)
――――――――――
私の言った通り、進んで行った先は町外れだった。
町の華やかさなどとはかけ離れた郊外。
案内されたのは数件ある内。一軒の古びた、けれど古風で風格のある屋敷だった。
敷地内に踏み入り、玄関をくぐれば床の木材がギシッと音をたてる。
しかしそれは私が踏み込んだ時だけのことで、影の人の場合は何の音もたてなかった。
流石と、言った所か。
(影の人は男の人なのに、何だか負けた気分。)
しなやかな身体に、目立たず付いた筋肉が影にはあるのは分かる。
なのに、だ。
これは経験の差だろう。
「モニカ。久しぶり。」
通された部屋のソファーで、優雅にティーカップを掲げながら彼女は言った。
年齢から行くと二十歳はとおに過ぎてはいるが、三十路には全く見えない。
「久しぶりです。やっぱり今回も見つけるのは早かったですね。」
「ふふ。私を誰だと思っているの。」
「花影の党首サマですよね。」
「分かっているじゃない。」
呆れるた私が嫌味を込めて様付けしたのに、軽く答えられて私はがっかりだ。
「じゃあ貴女の事だから、何で私が王宮に居たのか、どうして王宮を出たのかはお見通しなんでしょうね。」
残念だわ、今回は大丈夫だと思ったのに、と嘆き呟いている私に彼女は凄く楽しそうに笑う。
「当たり前よ。これくらい朝飯前だもの。」
国会機密を調べるのを朝飯前と言い切ってしまう知人に、私はもはや言い返す言葉がない。
ようやく言いたい事は言い切ったのか、雰囲気が少し変わった彼女。
「どうかした?」
こちらをじっ、と見てくる彼女に胡乱げに尋ねるが、返ってきた言葉は予想外だった。
「‥‥‥‥気に喰わないわ。」
てか、憎い!!などと呟かれ、私は意味が分からない。
「はっ!?」
何を考えていて、どう言う思考回路に陥ったのかは知らないが、彼女の脳内ではきっと突拍子もない事を考えていたに違いない。
「その男が気に入らないの。」
その男と言われて、どの男?と聞き返すも、この部屋に男性なんて居ない。
そもそも、此処まで案内してくれた影の男性は、私が室内に入るのを見届けてから何処かに行ってしまった。
「まず、どう言う判断でそういう考えに陥ったのか教えて下さい。」
(切実にそう願います。)
「だってねぇ。モニカ綺麗になったんだもの。」
「え?」
何か突拍子もないことを言われた気がする。
「女が綺麗になった時は、決まって男が出来たりする時よ。」
「ちょっ!!待って。」
(なぜに男が出来た限定。)
けれど嫌に納得した。だから男が関係してきたのか、と。
「ダメよ。まだお嫁には出さないわ。」
何も言ってないのに、話しは嫁ぐ話しにまでジャンプしていた。
「もう!私の話しも聞いて下さい。」
あまりの話しの進まなさに、私は苛立ちをあらわにする。
端から見れば、会話は噛み合っているようで噛み合っていない。
「聞いているわ。私に黙って男を作った罪は重いわよ。」
(これはダメだわ。)
なかば諦めかけた時、彼女が不意に押し黙った。
「‥‥‥そう言えば気になってたんだけど、彼女はナニ?」
鋭い瞳で見据えてくる所は、さすがと言った感じだ。
その先に映し出されたものは、妖精の姿になっているグレファー。
ひとえに、今の今までグレファーの事を指摘しなかったのは、害の無い者だと判断したからだろう。
彼女の事を説明しようとした私を制したのは、グレファーだった。
先ほどまで乗っていた肩を降り、私の目の前に立つと姿を変えた。
グレファーの本来の姿。精霊の姿へと。
「初めまして、かしら。隠された土地の精霊さん?」
花影の党首、ネイラーが口にした言葉は意外だった。
「どうし―――」
「―――なるほどね。そこまで分かっていれば十分よ。お察しの通り、私は隠された土地の精霊。グレファーよ。」
私の言葉を遮り、口を挟んだグレファーは何時もに増して饒舌だった。
「そう。私は花影十三代目党首ネイラー・グラン。よろしくね。」
花影とは、金銭では決して動くことを是としない裏組織。
歴史の仲で花影が陰で暗中飛躍してきたのは数知れず。だが自ら組織全体が動いた事は一度たりともないと言われている。
「花影、ねえ。‥‥上等だわ―――」
(―――モニカを守るぶんには。)
声にこそ出さなかったが、グレファーの表情からネイラーは読み取ったらしい。
花影の由来は、自分が従うと決めた主【花】の下で暗躍する【影】であるから【花影】という。