漏れ出す事実
ここからは第3章です。
明け方に少し開けた窓の隙間。そこから寒気が音も無く入りこみ、じわじわと室内の温度を下げてゆく。
私は、冷えた体にグルリとショールを巻き付けると、床に足を付けた。
なぜだかこの季節に入ってから、あまり夢見が良くない。悪夢を見る、などとそんな物ではない、と思うが。何かを夢で見て、目が覚めるのだ。
そしてこの季節は室内の空気が滞ってしまいがちで、私は気分が滅入る。
寒いのと、気分のどちらを取るかと言われれば気分だ。
なら夜間ではなく昼間換気をすればいいのでは、と思うが、昼間は仕事に出ている。なので、自室を無防備に開けるということは嫌だった。
「散歩でもしようかしら。」
思いつきに口にした言葉。
それが妙にしっくりした。
部屋に篭っているのは嫌だ。
ならば早い方が良い、と思い立ったら行動だ。
自分の足音が反響する音。
ほとんどと言っていいほどそれしか聞こえない。
あと、聞こえる物と言ったら、風が葉を揺らす音ぐらいと言ったところだ。
「これは下手したら私、夢遊病者が徘徊しているだなんて思われそうね。‥‥あながち間違っていないかもしれないけど。」
だって夢見が悪く、宛もなく歩き回っているのだ。違いと言えば、意識がしっかりしているくらい。
空を見上げれば、先ほどよりは僅かに明るくなっている。
(そろそろ夜が明けるか。)
このままここに居る訳にはいかない。
見回りの者に気をつけながら歩いてはいたが、夜が明ければ騎士の者達がどっと増える。
変なところで疑われかねない。
今の私にがしなければならないことは、目立たないで顔を覚えられないようにすること。
その上で安全を確保しなければならない。
足早に廊下を通り抜ける。
もうそろそろレファーが帰ってきているかもしれない。
問いただされる前に戻らないと。
(見つかれば説教物ね。)
レファーが頬を上気させて怒ってくる姿が容易に想像でき、思わず笑いを噛み締める。
次いで想像してしまった事があまりにも笑えなくて、顔からは笑いが消える。
何となしに、レファーが妖精の姿から精霊に代わって説教をされた事はないな、と考えたのだ。小言で済めばいいが、レファーが力を奮ったらと、ぞっとする。
自分の身は他者にバレない程度に守れるからいい。だが、建物はどうだろうか。私の見立てでは、この華奢で繊細な装飾の施された宮は精霊の力に、威圧に堪えられない。
この国に居る国守りが束になれば、精霊の威圧は何とか抑えられるが、力までは取り抑えられない。
そうなれば、私自身の力を解放しなくてはならなくなる。精霊の力を滅除できるのは一級品の奏霊弔者だけだ。
この四面楚歌な中、その力がバレずに使えるだろうか。
(あ〜、やだやだ。何でこんなにも、悪い事ばかり思い付くの。)
頭を一振りして気分を切り替えようと試みる。
まあこの悪条件の中、マイナスに考えてしまうのは仕方ないとは思うが‥‥。
いくらなんでもねえ、と呆れ混じりに息を吐き出す。
それはため息として出て行った。
足音が前方から聞こえたため、回り道をして帰ろうと道をそれる。
だがそれもハズレだった。
人の気配が、また前方からやってきている。
引き返すにしても、先程の通路にはもう無理だ。
先程の通路から向かって来ていたのは、騎士ではないはず。しかしこちらの通路からは気配しかしない。ならば騎士なのだろう。一般騎士と言ったところか。
騎士に見つかれば厄介だ。
ならば引き返すべきだろう。
そう思い立てば、身を翻していた。
そして先程の通路に戻る手前にあった部屋。私は何の迷いもなく、そこに足を踏み入れた。
扉から顔を背け座り込み、床に膝を付ける。
何か、何か嫌な予感がする。
気配を消し、念には念を。結界を張った。
きっとレファーは、私が力を使ったことを感じとっただろう。
一息ついて、軽く深呼吸する。そして扉に向き直り、手を当てる。
耳を当てれば声が聞こえる。
まるで、ベルシアでレファーと盗み聞きをしていた時のようだ。ただ違うのはレファーが一緒ではないことと、あの時よりも遥かに緊迫した状態だということ。
「――――‥‥‥は‥まだ見つかっていない。だが、‥‥‥様は力を感じたと言っていた。」
「しかし、本当に王宮にいるのか?」
「‥‥‥様が居ると言っていたのだ。間違いないだろう。それとも貴殿はそれを御疑いになられるのか?」
「まっ、まさか。そんなことなかろう。私の忠誠を疑われるのですか?それにしても、この事を王には?」
「言ってはおらぬ。他の国守りにも、他言無用だと釘を刺してはいる。だが一人、ヌーベル女史が信用ならんがな。」
「ああ、あの。女のくせに、我らに口出しする忌ま忌ましい国守りか。」
「そうであろう。他の女史の国守りのように、口を挟まなければ良いものを。」
そのまま私には気付かずに、廊下を曲がって行った。もう声は聞こえない。
だが私は座り込んだまま、動くことができなかった。心臓が、早鐘を打つように早い。自分の血液の音が聞こえるかのようだ。
「―――‥‥あの人達、っ!」
なんて言った。
「王宮に居るって‥‥。」
確かに言った。
顔から血の気が引いていく。きっと効果音があったなら、サーと音がしていただろう。
(もしかしてバレた!?)
けど、そこまで大きな力は使ってない。
ナゼ
なぜ
何故
内容からして、先程の二人は王宮に居ることを確信しているそぶりだった。
見つかるのも時間の問題だと言うことだろう。
見つかれば‥‥
そんな考えが頭を横切る。
「‥‥‥だめ―――」
「―――ナニが?」
背後から突然声がした。
突然のことで、ビクリと肩が震えてしまった。顔を見なくても誰だか分かる。
シオンだ。
だからこそ振り返れない。
今振り返ったら、情けない顔を見られる。
返事をしない私を不信に思ったのか、こちらに歩んでくる気配があった。
「こないで!」
とっさに口を突いて出た言葉。
相手に拒絶を示すそれは、思ったより部屋に響いた。
私の言葉に、彼からの返答はない。
だがそれ以上は近付いてくる気配は無かった。
これは私の問題。
いくら馬が合わない相手でも、気に食わない相手でも、彼を巻き込むわけにはいかない。
グッと手を握りしめ、今にもブラックアウトしそうになる自身の意識を叱咤する。
ゆっくりと立ち上がれば、シオンの影が見えた。そちらの方向に顔を向けないように気をつけながら、私は声を出した。
「何でもないわ。手間とらせてごめんなさいね。」
謝罪の言葉を口にするものの、それは突き放すようで、他人行儀な口調。
今の私には、これしが精一杯だ。
悔しいけれど、これ以上関わらす訳にはいかない。
相手は騎士。
それも、全ての下の者を纏める位にいるのだ。それがシオンの責任。そして役割。
これ以上、彼等に甘える訳にはいかない。
(これは私の問題だもの。)
グッと奥歯を噛み締め、力を抜かないように気を付けながら、室内から出ようとする。
だがドアノブを回す瞬間。
手を掴まれた。
振り払う気力すら残っていない私は、声を振り絞って言う。
「‥‥‥離して。」
だがそれに返答はない。
いつもなら嫌味の一つや二つ、軽々と口にするはずなのにそれすらもない。
「離して。私、仕事があるから‥‥。」
シオンから見れば、きっと私は違和感ありありだろう。
手を掴まれても振り向かず、扉を見たまま言葉を発するのだから。
仕事と、言う言葉に反応したのか分からないが、シオンの掴む手の力が弱まった。
ドアノブを掴んでいない方の手。シオンには掴まれていない方の手で、ドアを開ける。
部屋を出て、手を強く引っ張れば、掴まれていた手はいとも簡単に外すことができた。
「‥‥一応、お礼は言っとくわ。‥ありがとう。けど、もう私には関わらないで。」
「もう関わる事もないでしょうけど‥‥。」と小さな声で呟いた。
そして息を吸い込み、口に出す。
「さようなら。」
一度も相手の顔を見ることは無かった。
そして振り向くことさえせず、その場を去る。
向かう先は自分に宛がわれた部屋だ。
たとえ相手がシオンでも、一目見れば相手に縋ってしまいそうになるから。
誰にも会うことなく、無事に部屋にたどり着く事ができた。
明け方、部屋を出た時と何ら変わりはない。
ホッと安心したその時、視界の端が歪んだ。
何だろうと、思い手を当てれば気が付いた。
涙だ。
「可笑しいわね。何で今更、涙が出るの。」
笑えてるつもりだった。
だが、目の前にあった鏡を見れば情けなくなった。
弧を描き、笑みの一部を造っているのは口だけ。眉は頼りなさげに下がっているし、瞳には意欲がなく、光もない。そしてあるのは涙だけ。
笑う事を諦めて、ベッドに顔を押し当てる。
笑う事を諦めた顔には、いとも簡単に目尻に涙が溢れた。
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今だけは
涙を流すトキを下さい
夜になれば
明日になれば
私は強く
前を向くから
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その夜。
私は王宮を離れた。
足枷を付けた鳥は、鍵の付けていなかった鳥かごから外へ。
足枷は鳥の足に。
本当の自由が得られる時はあるのだろうか。
銀色の鳥はいずこへ。