王子の憂鬱
それからというもの、私は王子と会う機会がかくだんに増えた。
それは意図的に、といっても過言ではない。
私から、と言う訳ではない。
行く先々に王子が出没するのだ。
だから私は首を捻る。
(わたし、怨まれるようなことしたかしら?)
王子と私は今、書庫にいた。
私は女官長に許可を取り、王宮に入ってからというもの、ここに出入りしていた。
そのことを知っているのは許可してくれた女官長と幹部である女官の数人だけ。
女官とは侍女の上の上にある特別な管理職のことだ。
それはごく数人しかなれない。
何故数人なのか、と言うと身分に関係なくなれる代わりに、それなりの実力が伴っていなければ成ることは叶わない。
箱入り娘だったり、どこぞの権力を駆使して入った輩などは以っての外。簡単には成れない役職なのだ。
並大抵のことではなることのできぬ仕事。
その代わりとは言ってはなんだが、優に10年は苦労しないだけの給与が払われる。
なので平民でもなれるが故、血の滲むような努力をしてきた者が多い。
「―――ナニを読んでいるんだ?」
物思いに耽ていた私は、かけられた言葉に意識を戻した。
「ああ、これですか?『精霊戦争論考』です。王子も読んで御覧になられますか?」
「‥‥‥僕は、遠慮しとく。」
私に合わされた目線を気まずげに反らすその様子に首を捻る。
「どうかしたんですか?」
そう聞いてみたは良いが、相手から答えは返ってこず、視線は反らされたまま。
ずいぶん前までは威勢がよかったのにどうしたことか。
私はそれを少し淋しく思う。
書庫に沈黙が満ちる。
今日はこれくらいにしようと立ち上がったところで、真っ正面に座っていた王子が眠りこけていることに気づく。
「あら、眠かったのね。」
しかし季節の移り変わりの時期にこんな所で居眠りしていると風邪を引きかねない。
困ったわね、と思案していると背後に気配がした。
見知った気配に振り返ると、そこには見知った顔があった。
見知った、と言っても一度会ったっきりの関係だ。
赤髪に隠れた瞳が鋭利な輝きを見せる。
一応挨拶はするべきかしら?と考えたが、結局口を開くことはなかった。
シオンは瞳を隠すように伏せていた頭を上げ、こちらを見る。
だがその瞳には先程の鋭い光りはなかった。
私は、内心舌を巻いた。
瞬時にその瞳は敵意を隠してしまったのだ。
「‥‥‥これはこれは、先日御見かけした侍女殿ではありませんか。」
わざとらしい言葉。
「‥‥‥これは奇遇ですわね。」
「どうしてこちらに?」
「あら、私もお聞きしたいですわ。」
ここは書庫だ。
それもあまり人の寄り付かない。
そして偏見になるが、彼のような騎士の職につく者は滅多と近寄らない。
「‥‥いや、ただ本を調べに。」
「そうですか。けれど調べ物でしたら図書館の方が最適ですよ?」
ニッコリと微笑みながら言ったが、笑っているのは口だけだと十分理解している。
王宮にはとてつもなく大きな図書館がある。各国のことや地方の気候を記した書物。もちろん歴史書なども数多くある。
ならば調べ物は、そちらの方が最適なはず。
「そうでもないですよ。しかし、貴女の名をお答え下さるという約束は守って下さいますよね?」
「‥‥‥その似合わない口調、どうにかして下さらない?」
名を再び尋ねられたことへの苛立ちが、私のそれを言わす引き金となった。
「でしたら貴女もやめてくれません?‥‥‥同等の匂いがするからね。正直めんどくさかった。」
口調が途中から変わった。
そして、そう言った彼の瞳には再びあの光が宿っていた。
「‥‥‥ちょうどいいわ。私も面倒臭かったから。」
はっきり言って、敵意を向けてくる相手に敬語を使うのは癪だったのだ。
「‥‥‥。」
「‥‥‥。」
「それで、どうしてここにいるんだ。」
沈黙の後、意外にも先に口を開いたのはシオンだった。
「貴方こそどうして。」
どちらも譲らない。
否、譲れない。
私は先に口を割るつもりはさらさらない。
「‥‥‥なら質問を変えるよ。」
それは、
―――そこで寝ている少年が誰であるか、知っているのか。
あるいは、その子の口から何かそれらしきモノを聞いたか。
というもの。
私は迷わず首を振った。
あの子は、一切自分のことは話さない。
私が王子、と呼んでいるのは“あくまで推測”だ。
私が首をゆるゆるのを確認して、シオンは王子を肩に担ぎ上げた。
―――米俵のように‥‥。
あえて指摘したりはしない。
男同士でお姫様抱っこをされても困るからだ。―――リアクションに‥‥。
「―――邪魔したね。」
私の方をチラリと一瞥したきり、シオンは振り返ることなく扉を潜り、書庫を出ていった。
その彼が、扉を閉める直前。
私はボソリと漏らした。
その子の弱さもちゃんと見つめてあげて、と。
その言葉が、彼の耳に届いたかどうかは定かではない。
そして扉は閉められた。
沈黙の戻った書庫で、私は一人呟いた。
「‥‥‥強い面ばかりを求められれば、あの子はいつか壊れてしまうわ。」
相手がその弱さを知っているだけではいけないのだ。
大切なのは、見つめてあげること。
手は貸さず、見守ること。
手を貸すことは、いけないことではない。
だが、その貸方、度合いを間違うくらいならば、貸さなくていい。
(私はそう思うから―――)