六日目
案外、目覚めの良い朝だった。
考える前に朝飯をかきこみ、握り飯をポッケに突っ込む。
服は初日以降は部屋に戻ると置かれている黒い作業服を着ている。カラフルな囚人服では夜に目立つし血も目立つ。多少荒い洗濯でも汚れが気にならない側面もあるだろう。きもち程度の風雨凌ぎだろうが黒い外套もある。今日は肌寒いので着込むことにした。
「行くぞー」
「はーい」
玄関先だが声で状態が分かる。能力は一番使えるが扱いにくい状態だ。
「足は」
一応尋ねる。
「う~ん、まあ結構痛みは引いたかな。万全じゃないけど」
それも含めて扱いにくさが増す_とはさすがに自分の責任もあるので言えない。手にして早々に負傷するのは盲点だった。
「だからまあ、扱いにくかったら宮良さんとこやってよ」
こういうところか、一番賢いとか言う部分は。
「了解」
言われなくても向かうつもりだが。
「そういえば昨日の褒美は何だったの」
「これだ」
俺は外套の内から縄を取り出した。それを見たドクターが顔をしかめる。
「使い方の想像がつくね」
正しくその使い方で使う予定だ。
「いきなりここ連れてくるんだね、言外に使えない奴っていわれてるみたい」
率直な言葉にこちらも詰まる。
「また寝てればいい?」
それもまた率直な。
「いいが宮良さんを困らせるな」
「あーそれもあったねー」
俺達のくだらない会話を聞きつつ宮良は既に布団をはたいて招く準備をしていた。
「お好きにどうぞ」
「は~い」
即座に布団へ向かうドクターに宮良も大分慣れたようだ。ドクターは早速掛け布団に挟まって寝に入る。
「起きたばっかで寝れるわけなっ…」
「グーー」
子供か。むしろ通り越してベイビーか。
「ハハッすごいですね」
宮良も苦笑している。
「薪野さんはすぐ行きますよね?」
「ああ。だがもう少し人が出始めてからにする」
まだわりと早朝で活動的な人も少ない。
宮良が何気なく壁際に腰を下ろしたので自分も倣う。辺りは静かで人の足音さえ感じない。
「にしても宮良さん、よくこの場所見つけたな」
宮良の服装からして黒くないので、初日からこの場に居座っていることが分かる。短時間でよく見つけたものだ。
「得意ですから、こういうのは」
俺よりも僅かに歳上の落ち着いた笑みで宮良はそう言った。そこに自嘲が混じっている気がして、昨日の約束も思い出して、重ねて訊いてみた。
「こういうの?」
「はい。自分を消すことです。一番関わりのない場所に自分を置いて静かにしていることです。それが最も自分を守ることができる。失うものもあるけれど傷つけられることは少ないです」
宮良の学生時代の想像がつく。誰にも影響を与えずニコニコ全てをかわしている姿が。でも
「関わりのない場所にいながらに宮良さんは他人に損させられている気がしたけど」
宮良は一瞬答えにくそうに顔をしかめた。
「…その通り。関わるまいとする行動がいつの間にか他人に影響を与えまい、逆撫でするまいという行動に変わってしまったんです」
小ぢんまりな体つきも貼り付いた口角もそれらの後遺症に思えてくる。
「だから私は優しくない。怯えてやっているから」
それが昨日の答えだろうか。俺は首を傾げた。だとしても疑問が残る。あの時の宮良の目に怯えはなく、まるで何かを後ろ盾にして英雄のごとく立っているようだった。
「でもね、初めて心から優しくしたい人に出会った」
急に甘さを帯びた声音に、柄でもないが情がないもくそもないが、俺はぎょっとした。
このての話でぎょっとするとか自分は乏しいものだ。理由はあるが。
そんな俺を尻目に宮良は砂いじりなんか始めた。
「その人は私の曲がった優しさに気付いてくれて、叱ってくれました。その声を聞きながら思ったんです」
宮良が大切に紡いだ。
「これが本当の優しさなんだって」
宮良の表情は柔和で心はここにいない誰かへ向いていた。
「奇跡でした。こんな私のことを好きになってくれて、一緒になりたいと思ってくれた」
俺は耳を塞ぎたくなった。
本来宮良がこっち側の人間でないことを今更思い知る。それが痛いのも俺のせいだ。
「薪野さんはいます?そういう人」
宮良が一方的な話からふいに振ってきた。
「訊かなくても分かるだろ」
ふてたように呟く。
「恋愛対象が周りにいる環境じゃなかったし、仮に好きになっても俺は見守るだけで終わらす。不幸にさせることが目に見えてるからな」
宮良が驚いた顔をした。
「薪野さんでも意外と考えてるんですね」
「は?」
「もっと情なく、いねぇよとか言うと思いました」
その想像出来てんならなぜ訊いた。
「興味ですよ、薪野さんがどれだけ人間なのか」
ああそうかい。
「でも人に好かれて愛するってすごいものですよ。それだけで自分が一回り大きくなった気がして、何をしていても後ろにその人がいてくれている気がする。私が仕事に失敗してお金がなくなってしまった時も、別れる選択肢がまるでないように身を粉にして働いてくれました。健気で、」
すごく痛かった。
宮良の声が落ちた。
「彼女は私をずっと好きでいてくれた。守ってくれようとした。きっとどんな私でも愛してくれるんだろうと思えました」
使われる過去形が憎い。身勝手な俺は自分が傷つかないためにこういうしかない。
「馬鹿だな。」
宮良が俯く。短い髪が横顔に被る。
「本当に、本当に、私は馬鹿だった。彼女のためを思って勝手に一人で決めて間違えて、最悪の形で彼女に知らせて、、、最後に最大で最愛の叱責を受けました」
落ちた睫と髪で宮良の顔は窺えない。しかし声には後悔と俺の知らない彼女が浮かんでいた。
違う。そこまでは馬鹿といえば馬鹿だがその後の方がもっと馬鹿だ。
「…なんで本当のこと言わなかった」
宮良は知らせたとはいったがたぶん真実を口にしてはいない。
たとえ社会から握り潰されても彼女にだけは真実を言えば良かったのに。きっと信じてくれる彼女だったろうに。
「言えませんよ。社会に言う気はさらさらありませんでしたし、彼女に秘密を負わせたくもなかったです。もしかしたら薪野さんに口封じされてしまう可能性もありましたし」
否めない自分がつくづく…憎い、とも思わないことがおかしい。多分形式上は謝るべきなのだろう。でもいまここでは禁句だ。生産性がないどころかおたがいえぐって終わる。だから事実ともう一度向き合おうとすることしかできない。
「伝えたいと思わないのか」
「今更でしょう。散々傷つけてもう合わす顔がありません」
宮良に浮かぶのは諦めだ。
「それでも彼女だけでもお前のレッテルを正しく剥がしてくれたら良いじゃないか」
そうだね、一応頷きながらも宮良の心はない。動かないのなら動かすまで。向き合うと決めたのはお互いだ。
「宮良さんには似合わないよ、殺人犯のレッテルなんか」
宮良が揺れた。
ほら、その言葉で動揺するくらいお前には似合わない。
じゃあ何で、
宮良が掠れた声を発した。
「私を利用したんですか」
…ただ利用しやすそうだったからとしかいえない。だから口に出せない。ごめんと言う資格もない。
唯一はっきりと資格をもっていえるのは、
俺の世界じゃよくあることだよ
心の中だけで留めた。
それがどれ程歪んでいるのかは自覚していて、宮良には全く関係のないことだと知っていた。下手したら謝罪より酷い。
真面目な服装に眼鏡なんかかけたあの時を思い出す。顔も優等生ヅラで口調も若手CEOを装った。少し理解が難しいお金の絡む話をして揺すったところで条件を出す。もちろん直球ではなく、場所と時間だけを指定して去る。後は時間通りに殺して場を暗闇にし、よく見えないなかでやって来た宮良に、寒かろうと返り血の付いた上着を着せ、ちょっと持っていてと包丁を渡す。巧く姿を眩ませ、電気が着いた時宮良の目の前には警察がいる。
全てが筋書通りだった。宮良が口を割らないかだけが不安要素だったが、実は{彼女}の存在も読めていた。下手に孤独な人間より、相思の者がいる人間の方がときに弱い。
裏でなく表の人間を消すときは替え玉を用意する。既に表社会から消えている人間は消したところで誰にも気付かれず事件にもならない。しかし器用に表裏を行き来する人間はそうもいかない。その時もたまたま二拠点の奴で、たまたま利用しやすそうな替え玉がいた。
俺にとってはそれだけだ。
ならなぜ大勢の中の一人を覚えているのかといわれそうだが、俺は一人だけを覚えているのではなくただ覚えている大勢から一人を抽出しただけだ。
恐らく今まで関わった中で忘れている人はいない。いつ仇討ちされてもおかしくないから危険察知のために忘れてはならないのだ。
しかし俺にとっては多の一でも相手にとっては一の一だ。
全てを聞いた宮良は思ったよりも動じなかった。もうとっくに分かっていたのだろう。
「私は役に立ちましたか」
唐突にそんなことまで訊いてきた。
「たった」
「ーとしかいいようがありませんよね」
それはそうだ。
宮良が小さく伸びをしながら息を吐いた。
「私は、後悔しています。なんで薪野さんを信じてしまったんだろう。なんで一人で行ってしまったんだろう。たくさん後悔しています。でも一番悲しいのは彼女のなかにもう入れないことです。彼女の中の私はもう好きになってもらえない最低な私です。こっちが勝手に想っているのが悪いくらい、彼女は私に失望してとっくに心から捨てたと思います。だからもう、戻りたい場所もないんですよ」
言外に何をいっている。悟れてしまうがあえて鈍い振りをする。
宮良は全てを垂れ流すように続ける。
「別に薪野さんを恨んではいませんよ。決めたのは私ですから。最後に嫌われたのも私ですから。全部、馬鹿で馬鹿で仕方ない私のせい。戻れるならあの時の自分を殴りたい。でも戻れないんだよな、せめて、真実を伝えながらも彼女を守れる強さが欲しかった。薪野さんみたいに強ければよかった」
すっかり頭を抱えてしまった宮良はまるで重たいなにかに押し潰されているようだった。きっと俺が無くすことは出来ても軽くすることはできないなにかに。
宮良は今、自分から当たって砕けようとしていた。向き合って向き合って、当て擦って傷ついて、多分最後はすぐそこだと思っている。
完全に下を向いた宮良はさらに落ちた声を出す。
「こんな、野宿までしてますけど、実は、生き残りたくないんです」
意外でもなかった。みんな必死になっているが同時に紛らわしてもいる。考え始めると消えてしまいそうだから。
「戻ったとして、戻れないんですよ。もう絶対にもとには戻れない。普通だった自分も忘れてしまいました。存在が人を傷つけて、どこにいても腫れ物で、役にも立てなければ自立すら危うい。そういう想像しかできないんです。いくら新しい名をもらったって中身がこれじゃあダメですよね」
宮良は本当に全てを吐いた。不安も希望も現実も。俺はどうだろうか。まだ踏み切れていないのは俺の弱さだ。いやもはや弱いのかすら分からない。俺はこの場の誰よりも無知で無自覚だ。そして知らないことが悲しくないほど壊れている。
宮良は生き残りたくないと言ったが、きっと他の奴らも心の何割かはそう思っているはずだ。生き残って幸せとは限らない。むしろ苦しいかもしれない。なのに我武者羅になって希望を妄想している。滑稽にしか思えない。
そして空っぽな自分を知る。自分のために目的を持って戦う奴らと比べて、何事にも冷めていて正解も間違いも思わず、結局他人の犬であった自分にここに来て初めて気づいた。
だから、最後は自分の意思でやりたいことをしたい。自分の義務を果たしたい。俺はまだ向き合えていない。だがやることは決まっている。
俺はすっかり埋もれた宮良の背を叩いた。
「大丈夫だ。」
何を根拠にと我ながら思う。ただ言霊を信じて。
「俺が救ってやる」
「よお、動き出しが遅いな」
昨夜と同じ屋根の上にやはりいた。屋根に登るのは俺たちでも一苦労だから辿り着けるやつはほとんどいないだろう。同時にこいつは只者ではないことを語っているが。
「何貰った?」
俺は外套の内から縄を出す。
「一緒」
男も同じ縄を掲げた。きっと考えていることも同じだろう。
「さて、」
男が繊細にも尻を払いながら立ち上がった。
「どうやってそこに持ってこうか」
端的な話し合いの末、俺の案が採用された。
そしてグランドに降り立った二人を周りは遠巻きに見ていた。ヤバい二人組だ、そんな目だった。その内の一人はさらにへらへらしてるから気味悪さ倍増だ。
倍増させている側がやんわりと声を張り上げた。
「ちょっと聞いて欲しいんだけさ!」
もともと見られてただけあって視線はあまり変わらない。だが次の一言で変わる。
「俺ら脱走ルートを見つけたんだ!」
ざわっと場が沸いた。目だけでなく体ごと俺たちに集まる。
まだ説明してくれると思ったが、案の分け前は二分だというように男が黙ったので俺がつなぐ。
「屋根に登り、俺達が手に入れたこのロープを使って向こう側に降りる」
とても単純なやり方だ。
「屋根にはどう登る?」
「おれたちゃあんな突起のない壁登れないぞ」
「俺達がサポートする。ギブアップしたやつはそれまでだ」
甘さと冷たさはただの甘甘よりも現実ぽい。性格上合っている所もある。
「覚悟あるやつはついてこい」
言い捨てて二人で歩き出す。束の間空いたが徐々に砂を蹴る音がしてちらと後ろを窺う。
はあ。ついてきた人数にげんなりした。その場にいた三十ちょっと、全員がついてきていた。わざとなのか素なのかもう分からない。
そのまま引き連れて最上階の外廊下にきた。さすがに階段で脱落するやつはいまい。本題はここからだ。
俺が塗料のわずかな突起に指先をのせて三メートル登り屋根に立つ。指先が多少痺れたが気にしない。この方法で四階までよじ登ったこともあるのだからこんな数メートルで限界の指ではない。
下を覗い綱を垂らすとついてきた奴らがあんぐりと口をあけていた。
「お前…何者、、?」
呟きになぜか同志の男がフッと笑った。
恐らく小さく何かを測っていたのだろう。予想はつく。こいつらの黒はどれだけ漆黒か。その辺りだろう。思ったよりグレー寄りだったらしい。
「ほら、俺が下から押すから登れ。あいつが縄持ってるから落ちはしないさ」
男が一声かけると一番近くにいて細身なやつが縄を掴んだ。オヤッと意気をたてて細い腕で体を持ち上げる。縄が強く張って俺も腕にぐっと力を籠める。即座に男も両手をやつの足の下にセットして足場を作る。土足で踏まれて痛かろうと思ったがすぐに只者ではなかったことを思い出し余計な心配はやめた。
男が万歳状態になるまで手を上げ二メートルほどサポートするといきなり手を離した。
「後は自力でがんばー」
こういう奴だよ。さらに縄に重みがかかる。
細身なやつが歯を食い縛りながら顔を出した。これくらいはしてやるかと左手だけに縄を持ちかえて右手で腕ごと引き上げてやる。膝に手をついてゼエゼエいうやつを押しやって次のやつをひきあげる。
なかなか登ってくるじゃないか。脱落するやつは今のところいない。それほど飢えているのだ。いや、気付いていないだけか。
二十人ほどを引き上げて初めて脱落者が出た。贅肉を揺らした巨体だ。
「ム,無理です」
「そ」
俺も男も優しくない。容赦なく戻る方向へ押しやって次のやつに移る。
その後も数人脱落したが結局二十五人は登りきった。
最後に男が軽々素早く縄をよじ登ってきた。
縄を離さなかったのは理性なのかわざとなのか自分でも分からなかった。
「よし」
男が縄を固定し終え目配せをしてきた。まったく無意味だ。意思は固まっているし、今更変えることはない。
「並べ」
所々力で一列に並ばせる。
「命綱つくってくからじっとしててねー」
俺と男でやつらを後ろから縄で繰っていく。
二人で手際よく繰りながら、いつからこんな結び方覚えてしまったのだろう、そしてなんでこんなにてきぱきと出来るようになってしまったのだろうと考える。
隣で全く同じ方法とダミーアレンジで縄を繰る男を見て、結局こいつと同じじゃないかと思う。
堕ちかけた思考を降って飛ばす。
「はい、できた」
男が最後の一人を縛り終えた。
「おい、これでどうすんだ。ここの首んとこ痒いんだけど」
「あー動かないで、ちょっと待って。みんなでもう一本の縄で降りるから」
「お前ら命綱ないじゃんか」
「俺達は要らないよ」
男がとりなしているうちに俺は命綱を固定した結び目のほうへ向かい、縄を掴んで結び目との間を擦るように蹴った。
並ばされて正面を向いてるやつらからは後ろで見えない。握って振動が伝わらないようにしているから気付くこともない。
三発蹴って少し表面がほつれたところで箇所を両手で掴んで引き裂く。擦った掌に再び血が滲んだ。大きく二つに裂いてから束を細かくしていく。毛羽立ったところを確実に一本づつプツンと摘まんで切る。もとの十分の一の束しかなくなり、時間は一分も経っていない。
俺は男の横に戻った。男は小さく頷いて最後に縛ったやつに近づいた。
「まず君からいこうね」
その瞬間はこの世にあるまじきものだった。軽く上がった口角は空虚で、突き飛ばされた背中もまた空虚だった。
空に向かった背は重力で下に落ちていった。その背が見えなくなる前に横の背も同じように末路を辿っていく。
まるでシンクロナイズドスイミングで順番にプールへ飛び込んでいくようだった。飛び込んでいくのはプールでも、実は地面でもない。
宙ぶらりん。
耳をすんざめく雄叫びが響いた。首に集中した負荷に悶えているのだ。命綱のダミーで通した脇の綱はなんの意味もなく、ただきつくほどけない綱が首もとを縛りあげていく。
巧すぎる程巧かった。縄の結び、ダミーの入れ方、そして、
頃合いの読み。
雄叫びに覇気がなくなり物理的に声量も落ちてきた頃、最後の束の限界が訪れた。
切れたとき、俺は反射的に目を逸らした。しかし逸らした先にいた男は…
覗き込んだ。
ああやっぱりお前はお前だ。質が染み付いた行動は俺とは違った。
俺はまだ一歩踏み出していなかった。俺はくるりと振り向いて歩き出した。
「あっ、キラー昼食食べた?」
ドクターと宮良は胡座で握り飯を頬張っていた。
さっきの今で宮良とは絶妙な空気感がある。しかし鈍感を絵に描いたようなドクターの屈託なさに助けられる。
「食ってない」
「じゃ食べよー」
園児は扱いが難しいがあしらえる程度ではある。二人の間の壁側に腰をおろし、外套からラップで包まれた握り飯を取り出す。
「…薪野さんでもお米で栄養補給するんですね」
「は?宮良さんは俺のことなんだと思ってんの」
「人間らしくない人だと。少ない栄養で何日も動けちゃうような」
何日も人間離れの動きを繰り返すことはあったが栄養を怠ったことはない。宮良の中での俺は化け物か。
二人の阿呆な会話をもぐもぐ聴いていたドクターが、てかさとつなぐ。
「宮良さんはキラーのこと薪野さんって呼ぶけど、それ本名?」
「違いますよね」
なぜか宮良の方が即答する。
「偽名その3くらいじゃないですか」
まったくその通りだった。
「えーなんで偽名なの、あとその3って何」
無邪気な問いを宮良と俺は苦笑いでかわす。俺のそうせざるを得ない状況を少し理解してくれているらしい。
「じゃあ本名は?」
訊かれて一瞬迷った自分がいたことに驚いた。どっちを、なんてとっくに捨てただろ。
結局は染み付いたさがが答えさせなかった。俺が黙るとドクターは興味を失い話を逸らした。
「てかまた掌けがしてんじゃん。あとで処置してあげる」
大したけがではなかったがまあいいか。軽く礼をいう。
「僕は今夜一旦部屋に戻って調達してきます」
やはり野宿は続ける気か。もう決めたことなら口は出さない。
「気をつけてねー」
ドクターが本心か取りにくいだるさで忠告した。
ドクターはまた昼寝と言って夕方まで眠り、俺はときたまふらりと外に出てはすれ違ったやつを仕留めた。
夜になりドクターを送ってから夕飯を食べ、迷ったが男の所へ行くのはやめた。なんとなく気がついていかなかった。
昼間の覗き込んだ顔がまだ脳裏に張り付いていて眠るときも何度ものっぺり浮かんできた。その目が表すに「無」だったことがまた気味悪く、いつも余裕を示しているような微笑も恐怖を煽る。
ここに来てから気持ちよく眠れた日がない。体力は削っているのに。いや、それもそうかといえる環境だった。こんなところで快眠できるやつは人間じゃない。というか俺に心から安心して眠れる場があったか。駄目だ。そういう思考にいくとあいつが浮かんできてしまう。
きっと結局は皆こうして布団で自分を抱き締めて寝るんだ。




