四日目
明かされるドクターの秘密
そして、目が合う。
たかが擦り傷されど擦り傷だと思い、翌朝も包帯のまま外に出た。昨日の褒美のペンチを尻ポケットに突っ込み、針は置いてきた。
隣の部屋をノックする。男は人がいなくなった俺の隣室に引っ越し、俺のノックで出てくる約束だ。
はーいという間延びした声が聞こえ束の間うんざりしたが、仕方なくドアを開け中に入った。
混乱を収めるように詰めよって昨日の次第を説明して連れ出しだ。
これあと何回必要なんだろう。未知な男を気兼ねしながら歩く。
グランドに下り立つと後ろの男がそわそわし始めた。
「みんな見てくるっ」
だろうな。今のもじもじお人好しが俺に付いてるんだから。しかもお前は一つの武器も持っていない。昨日あるだけの武器を見せろと言ったが一つも出てこなかった。つまり一人もやっていないということだ。取り敢えず放っておく。
歩くといつものようにうんざりする道があく、が__5m先、開かない。
「離れるなよ」
後ろに言い置いてスピードを落とさずに突っ込んでいく。やはり動かない。
だから…やってやるよ。
目の前の外人面がにやりと火糞笑む。何が面白い、そうか、楽しみで笑ってんのか。
「Kill」
わざわざえいごで言ってやる。
案の定逆上して無闇になぐりかかってくる。狙いどおりだ。俺は隙をつくのが巧い。
無鉄砲で軸ブレブレの拳を絡めとり遠慮なく投げる。この投げも計算され尽くしており、柔道とは真逆の精神に特化している。つまり、殺人のための投げ。頭の要を打たせるのが目的だ。
直接対決に陥ってしまうようなヘマはあまりやらなかったため、投げをやったことは少ない。出来るかなと半信半疑だったが、即死だった。ピクリとも動かない。
見届ける間もなく何人も団子のように襲いかかってくる。息苦しい雑多に飲み込まれた。
その中でもドクターは背中に付いていた。
「いいぞ、ドクター。自分からは動かなくていい」
荒れる団子の中心で一人だけ華麗に殺陣を繰り出す。所詮勢いだけの奴らだ。努力してここに来たわけではあるまい。敵うと思うな。俺には歪んだプライドがある。
小さい穴が広がるように、俺はドクターの周りを殺陣で広げていく。倒されたやつは新たなやつの踏み場になって泥にまみれていく。
回し蹴り、空中横転、裏拳、飛び蹴り、飛び手刀落とし。繰り出す技は多岐にわたる。どれもが洗練され、無駄のない最小限の動きで確実に相手を仕留める。
乱舞のように殺陣で舞いながら壁を薄くしていく。もう1周、2周、空いた!
「行くぞ!」
後ろに声をかけて走り出す。振り切られたらそれまでだ。そこをわざわざ手繋いでやる義理はない。それでもなんとか食らい付いてきているらしいので俺は手加減せず全力で円から走り抜けた。
計った記憶はないが50m6秒は切れる自信がある。一分一秒でも速くその場から遠ざかる逃げ足で鍛えられた。しかし外側で無傷だったやつらが何人か追いすがってきた。なかなか足が立つ者もいる。
くっ。さっと周囲を確認して逃道を組み立てる。
「ちょっときついかもしんない」
一応忠告して目の前の低い障害物に飛び乗る。勢いそのまま飛び石のように障害物と壁を軽々駆け抜けていく。はたからみるとまるで整備されたトラックを走っているようなスピード感だ。追いすがってきたやつらが少しずつ脱落していく。余裕が出てきて振り向く。
「ドクター、生きてるか」
「なんとかっ」
息切れの合間に吐き出した声が返ってきた。
「もう少しだ。最後は腹括れ」
それだけ言ってすぐに前に向き直る。
後は全力でふりきるのみ。走りながら慎重に耳を澄ませ足音を数える。
障害物が幅1,5メートル間隔に置かれた段階的な高さの壁に変わった。飛び乗っていくとどんどん高所になっていく。怖くはない。高層ビルの外壁にしがみついて夜をしのんだことがある。摂理に任せてそこで寝そうになったくらいだ。
お、後ろからの足音が一人分になった。ドクターかは分からないが10センチ程度の足場で後方を確認することは出来ない。声を出せばいいが、別にドクターでなくても俺は困らないからいちいち確認しない。
俺は三段階駆け登って次の壁との間に身を投げた。10mはあるだろうか。一瞬浮いた体は即座に強い引力に引かれた。空中でほとんど直立の体を捻って横を向く。緩和回転のスペースをとるためだ。
地面に着くかのところで体を柔らかく曲げ、着いた衝撃を感じる前にでんぐり返しする。2転ほどですくっと立ち上がり、自分の落下点に戻る。
と、上が僅かに陰り人が落ちてきた。
おいおいその体勢じゃ怪我するよ。
やりたくないな、本能で思うがやはり本能で手が出てしまう。仕方ない___お姫様抱っこ。
「地上だ。おりてくれよ、ドクター」
俺はぎゅっと目を瞑って固くなっている色白のドクターをのぞく。
「いっ生きてたっ」
恐る恐る目を開けたドクターが安堵の表情を浮かべる。
「いいからおりろ!」
「重い??」
「そういう問題じゃねえっ。てめえ軽すぎて怖いくらいだ!」
「じゃあこのままで」
「女々しくなってんじゃねぇよ!四十近いおっさんが!」
「ちがう!足挫いたんだよ、さっきの壁飛びで!」
「っ……」
言い返せない。無理をさせた自覚はある。
俺は不満をはっきり顔に出しつつ、完全に死角となり人の気配のない壁の間にドクターを運んだ。
「ドクター、俺は部屋に置いてきたんだが救急セットは持ってるか?」
「もちろん、僕はそのための要員でしょ、ほら」
ドクターが肩に掛けていた手製のカバンから必要最低限にまとめた医務用品を取り出した。
「どうしたんだ、そのカバン」
「これ?タオルで作ったんだよ。救急箱に入ってた小さい鋏で穴開けて包帯で縫った。こう見えて僕、器用なんだよ」
それに、とドクターが加える。
「これ掛けてキラーに付いていくのが僕の役目かと思ってさ」
「…キラーってのは。」
「君だよ。僕がドクターなら君はキラーかと思ったんだけど。ルーキーの方がいい?」
「やっ」
「嫌なの?だって君若いじゃん。やっとこさ三十か未満でしょ」
っ。今のこいつと話してると苦手な子供、それも妙に聡く大人を嘲るような子供を相手にしているみたいだ。やりにくいことこの上ない。昨夜の一時のように愛想が薄く声が低い男になってくれないか。
そんな俺の様子を見てか男が苦笑する。
「ごめんね、やりにくいでしょ、」
その次に出てきた言葉に耳を疑った。
「多重人格」
「おまっ自分で分かって…っ!?」
衝撃に言葉を失った俺をドクターは無邪気に笑って流す。
「一応このときの僕が一番頭良いんだ。医学部入った時も国家資格受けた時もこの僕だよ。お人好しで困っている人を助けたいって感じの僕ね」
「…自分で何人把握してる」
「うーん、僕もいれて三人かな」
「なんで分かった」
「一人はぶっちゃけ微妙なんだけど、もう一人は確実に分かった」
だって
「目の前に覚えのない死体があったから」
そうだ。こいつもここに来るだけの人だった。今更のように思い出した。
「しかも何体も。怖かったね。駆けよって心臓マッサージしようと思ったら手に血塗れの包丁握ってた。周りに人の気配はなくて立っているのは自分だけだった。そのとき気づいたんだ。これはもう一人の自分の責だって。ーでさ、そこから記憶がないんだよね。檻に入るまで。裁判だか尋問だか受けてたのは今の僕じゃないんだ。多分、人殺しの僕でもない。したらもう一人、感情をシャットダウンできる大人っぽい僕が変わってくれてたのかなって。どう?僕の推察当たってる?」
俺は無言で頷く。
「やっぱり。ごめんねー、キラーは知った上で組んでくれたと思うけど正直やりにくいでしょ」
どちらにも首を動かせず仏頂面で一点を見つめる。ドクターは束の間残念そうに見えたが、気にした様子もなく話を変える。
「ねぇ、氷はなくても水かなんか持ってない?ちょっと冷やしたくてさ」
「待ってろ」
ここには日中部屋に戻れない分、至るところに給水用の水道がある。俺はすぐ近くの水道に行き、持ち歩いているハンカチを濡らした。絞りは甘くして、ついでに水を飲んで戻る。
「大丈夫か」
「だいじょぶ、レベル1の捻挫だから」
その日はドクターを気遣って、降りかかった火の粉は払う戦法で終えた。
ドクターを送り届け夕飯を掻き込んでから一人また外に出た。しばらく目の前を見据えて待つがやはり100メートル向かいの男は帰ってこなかった。
そのかわり、凝視していた向かい側を通った男と目があった。体全体が拒否するが目を離せなかった。向こうは変わった様子もなく見つめ返し興味が逸れたように向き直って歩いていった。
ー覚えていないみたいな。
俺は覚悟を決めた。




