三日目
続く殺し合い。
新たな出会い。
今だろう。そう思う瞬間の重ねで人と対峙してきた。今だっ、と思って気付いたら人が倒れている。
身につけた感覚はここで、少しだけ形を変えて生かされている。物理的な突きの瞬間ではなく、心理的な、今が一番だろうなという瞬間を今だと思う。
また今日も、人が倒れた。恐らくの先で一番の幸福の中で。
日が陰り始めたグランドで多少呼気を荒くしながら佇んでいる。
今日も朝から何人もやった。早くにやったやつはもう石のように固くなっている。
ハッ
見覚えのある顔に振り向いた。
ー同業者だ、俺が落とした。向こうは知らないだろうが。
こんなことになるならやらなきゃ良かったと一度はコイツも思っただろうか。いや、思わなかっただろう。俺と同じで。義務のように役目のように植えられていただろうから。違うのは後ろ楯だけだ。
そういえばここにこいつを呼び込んだのも俺になるわけか。やらない苦を選んで与えたのだ。苦しんだか、後悔したか。底までしていたらここでこんな目をしないだろう。
夕陽がやつの右頬に当たった。眩しすぎるように顔を背けたやつと目があった。
その時、やつの目が変わった。ずいぶん窶れた瞼と隈が開かれ、沈んだ。
「下手な変装しやがって」
低くしゃがれた呟きに身がすくんだ。只者ではなかった驚きと、恨みで焦がされそうな視線に。
気付かれたんだ。あの日、人の顔を変装に騙されずに覚えていたのだ。
恐ろしい。他の人は大丈夫だろうか。面を知られてはいないだろうか。
一人心配事を繰り広げているうちにやつが飛びかかってきた。
逃げろ。本能が悟る。
少し構えが遅かったら無理に手を出すと致命的だ。脚も鍛えてきたから逃げきれるはずだ。
オレンジが黒くなっていくグランドを走る。
ところどころ障害物又は盾のように低い壁や台があるグランドは、急転回、跳躍、着陸、身軽さを持っていないと全力疾走できない。しかしもっと疾走しにくい場所で動いてきた俺にとっては障害物など単なる遊具だ。十階建てビルの外壁にへばりついて横移動した日も懐かしい。
ん?
落ち着かない思いがして耳を澄ます。後ろで砂を踏む音量が変わらない。
食らいついてきやがる…!
咄嗟に目についた階段の手すりを掴み、飛び越えた勢いのまま階段を駆け上がる。数秒の後、律動的な足音が聞こえてきた。
上がれ、上がれ、上まで。
自分を追い詰めるが同時に相手も追い詰める。
規則正しい靴音がぐるぐると上る。相変わらず後ろからの音量は変わらない。
階段が途切れた。手すりを軸にして右に旋回する。通路を真っ直ぐ駆ける。夜だが足音は気にしない。ここはそういう場所だ。
ちょうど真ん中ぐらいまできた時、俺は地面を勿体つけて蹴って、宙で身体を捻った。勿体つけが効を為し、回した右足がやつにクリーンヒットする。そのままやつの腹の辺りを柵の向こうへ蹴りあげる。
簡単に、縁に置かれた植木鉢みたいに、人が落ちていった。
ようやく足音が消え、辺りが静まった。
これは見るべきではない。本来はしっかりトドメを見届けるべきだがそれは殺し屋に必要な行為であって、今は違う。今は、見たくないという本能に従う。
踵を返して部屋に戻ろうとしたところ、
「大丈夫ですか?!」
下から信じがたい言葉が聞こえてきた。思わず柵に駆けよって身を乗り出す。見下ろすと関節がぐちゃぐちゃでうつぶせになっているやつをひょろい男が介抱していた。
「何してる!」
何十年ぶりかの大声が出た。
意味が分からない。なら、どうしてここに来たんだ。
男は答えなかった。いや、きっと耳に入っていない。男は必死にやつを仰向けにし、顔に耳を当てて呼吸を確認している。
その勢いを止めようと俺は階段を駆け降りた。転がるようにグランドを駆け、心臓マッサージをしている男を体当たりで引き剥がす。
「何してる!」
弾かれた男は少しのたうってからまたやつに覆い被さった。さっきよりいくらか落ち着いて見る。
もしかしてコイツ…いや、だとしても
「やめろ」
男はやめない。俺は声を張った。
「無駄だって分かるだろ、…医者なら」
男がはたと止まった。
「知ってるよ」
俺は企むように笑う。
「人殺しのお医者さん」
男の動揺が高まる。
「ぼっ僕はこの人を助けたくて」
意味が分からないことを言う。
「今更罪滅ぼしか、この無知が」
「違う、ちがう、チガウ」
男が狂ったようにちがうと繰り返す。そんな言い分はなにも生まない。[外科医 13人無差別殺人]その記事の方がよっぽどコイツを生む。
「ち、ち」
男がガウをつけなくなった。
「あ?ち?」
男が俺の右手を指差した。
「血、血」
見ると掌に血が滲んでいる。
「ああ」
手すりを掴んだときに摩擦で擦れたのだろう。
すると男がずかずかと近づいてきた。なんだ。身構えたが男は俺の左腕を絡め有無も言わせず俺を引きずりだした。
後ろ向きで引かれながらなんだよっと抵抗しようとする。しかし思いの外強く、なかなか振り払えない。いや、いざとなれば足技でねじ伏せられるが、どうもコイツの目的が殺ではない気がしてこちらもやる気になれない。好奇心に負けているのだ。
男は階段を上り始めた。
後ろ向き、しかも腕を絡められた状態だと足が縺れそうになる。なんとか男に体重をかけながら引かれて上る。
平坦になっても男は無言だった。やがて後ろでドアの開く音がした。
放って閉じ込められるっ!
感が悟って慌てて抵抗を強めるが男の方が早かった。俺をむんと押さえてもろとも中に転がり込む。男がすぐに立ってドアを閉める。
打開策がない訳じゃないが半分終わったかもしれない。
男が転げた俺を見下ろす。警戒心剥き出しの俺と対比的に男は穏やかな声を出した。
「部屋に入ってよ」
出れないな。直感で思った。
「先に行け」
さすがに背中を取られて部屋の奥に入るのは許せない。
男は格段戸惑った様子もなく素直に俺に背中を見せた。余計に分からない。
「てきとーに座って」
この殺風景の部屋で合わない台詞だ。どこに座ってもてきとうになる。俺は壁にもたれて座る。男が常備されている救急箱を持ってきて目の前に腰を下ろした。
「手、出して」
断る理由もないので右手を差し出す。男は手首を掴んで掌に遠慮なく消毒液をかけた。
瞬間、感じていなかった痛みが一気に覚醒した。だが声はあげない。慣れで。2cm強の刺し傷に自分で消毒を垂らすこともあった。
男がティッシュで消毒を拭き、ガーゼをあててから包帯を巻いていく。
「なんで医者だって分かった」
本当に訊きたいのはもう三語付くだろうと汲んで答える。というか訊くまでもない。
「あのむごい形の人体に躊躇せず近寄ったから。あと対応。多分救急だろ。記憶粗ったら出てきたよ、外科医無…」
「もういい」
もうひとつ根拠があったが遮られたので黙る。舌足らずな言葉と低く端的な言葉の混じりから今は中間だと勝手に思っている。
そうしているうちにも、速く的確に処置は続き、右手はいっそ綺麗なほどの包帯手となった。その手を眺め、ふとある一つの考えが浮かんだ。
「お前、俺と組まないか」
「は?」
腰を上げかけていた男が止まる。
「お前は使える」
なら間違いだろと苦笑しながら男がしっかりと立つ。
「組む、じゃなくて利用させろ、違うか?」
「そうともいう。だが俺と組んでる間のお前の命は保証する」
「それは嬉しい」
清々しく男は言った。
「俺には戦闘能力はない。どうしてここにいるのかも分からない。あんたと組めれば最高だよ」
男が配慮して差し出した手を俺は左手で掴み立ち上がった。




