第四章:美食コンテストへの誘い(2)
コンテスト本番まで残り二週間。磯辺食堂では、閉店後になると静かに湯気が立ち始める。まるで町の片隅にある小さな実験室のように、厨房では真剣な眼差しが交差していた。
「炊き込みご飯にするなら、具材は三種までが限界だ。欲張ると味が分散する」
「でも、山菜だけじゃさみしくない? 魚も入れたいよね?」
「なら、鮭はやめろ。脂が強すぎる。代わりに……うぐいす鯛。白身で香りが出すぎない」
「うぐいす鯛って……地元にそんなに流通してたっけ?」
「漁協に確認した。旬を外さなければ安定供給できる。干物にすれば保存も効く」
「そこまで調べてるの!?」
「当然だ。私は趣味ではなく、戦略として料理を監修している」
泰成の眼差しは、まるで将棋の名人が盤面を読むようだった。その横で、結衣子が火加減を調整し、春佳が味見役として口を動かす。
「うん……でもちょっと味がまとまりすぎてる気がする。“はみ出し感”がないっていうか」
「“完成された味”に対して文句をつけるとは、贅沢な舌だな」
「だって、コンテストってさ、やっぱり“印象に残る味”が必要でしょ? 強引でもいいから、記憶に引っかかるっていうか……」
「……一理ある」
結衣子はふと思いついたように、冷蔵庫から柚子の皮を取り出した。
「これ、ちょっとすって入れてみようか。ほんの少しだけ」
香りが立った。白身魚の淡さに、柚子のきゅっとしたアクセントが加わる。それは主張しすぎず、でも確かに“記憶に残る一口”を作り上げた。
「……これだ」
泰成が呟く。その瞬間、全員が顔を見合わせて、ふっと笑った。
「ついに、できた?」
「完成ではない。だが、輪郭が見えた。これを軸に、構成を立て直す」
「ネーミングも考えなきゃね。『日縁の山海めし』とか、どう?」
「ベタだけど、悪くない」
「もう少しひねってもいいかも。“海と山の記憶ごはん”とか?」
「それだと詩的すぎて、食欲が湧かない」
「厳しっ!」
試作と議論を繰り返す日々。やがて町中の人々もそれに巻き込まれていく。
漁師の滝之介は魚の選別と保存方法のアドバイスを、旅館の玲海華は出汁に使える乾物や干し椎茸の情報を、薬局勤めの瀬麗奈は“お腹に優しい構成”の視点から献立を見直し、佑真は料理写真を撮ってSNSで試験的に発信していた。
「みんな……すごいなぁ……」
結衣子は、改めて思った。磯辺食堂はもう“食堂”ではなく、“町の集合場所”になっていた。
そして迎えた、美食フェス当日。
会場は南浜市の大きな屋外広場。色とりどりのブースが並び、各地の料理人や店主たちが腕を競い合っていた。横浜や神戸などの都市圏からも店が参加しており、そのどれもが華やかでプロフェッショナル。
磯辺食堂のブースはというと――
「……地味だな」
泰成は直球だった。白木の屋台に、布地の暖簾。「磯辺食堂」と墨文字が入ったその布は、結衣子が筆で丁寧に描いたものだった。
「いいの。目立たないぶん、香りで勝負するの」
「香り……なるほど。炊き込みご飯をその場で仕上げるか」
「うん。釜で炊くよ。木の香りと柚子の香り、あと、ちょっとだけ海苔の香りも混ぜる」
準備中にも、周囲から「あの店、釜で炊いてるよ」「和風で珍しいね」という声がちらほら聞こえてきた。
「よし。十分な“話題”は提供できた。あとは味だ」
ついに審査が始まった。
審査員の前に出されたのは、木製のお盆に乗せられた“山海めし定食”。香りと彩り、そして何よりも味のまとまりが、すべて計算された美しさだった。
「……これは」
年配の料理研究家が箸を止めた。
「噛むごとに、素材の記憶が広がるようだ。まるで、子供の頃に祖母の家で食べた昼食のようだな……」
別の審査員も、頷く。
「奇をてらっていない。それでいて、はっきりと記憶に残る。料理の原点を感じます」
控えブースの裏で、泰成はそっと目を閉じた。
(伝わった……)
結果発表。
準グランプリ――「磯辺食堂」
歓声が上がった。グランプリは都内の有名店が持っていったが、準グランプリの反響はそれ以上だった。取材の申し込み、SNSでの拡散、地元紙のトップページ。何より、審査員たちの記憶に、“この町の味”が刻まれたことが最大の成果だった。
帰りの車の中。
「悔しい?」
春佳が助手席から聞く。
「……少しな。だが、それ以上に」
泰成は振り返り、後部座席の結衣子を見た。
「君の料理が、“他人の記憶”に届いた。それが何より嬉しい」
「ありがとう、泰成さん」
「……何度も言うが、私は評論家だ」
「うん。でも、今日はすごく料理人だった」
「……うるさい」
日縁町の空は、もう初夏の色になっていた。
(第四章:終)




