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磯辺食堂へようこそ!毒舌グルメ評論家が胃袋掴まれ、ド田舎食堂の味に人生を捧げる話  作者: 乾為天女


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第五章:人間関係のほころびと絆(2)

 それから三日後。湿度を含んだ南風が町を撫でる中、磯辺食堂に一台の白い車が静かに止まった。ドアが開き、きれいに整えられたスーツ姿の男と、華やかなスカーフを巻いた若い女性が降りてくる。都会の空気をまとった二人の姿は、日縁町の風景にどこか異質だった。

「こちらが磯辺食堂、ですね。見た目は……素朴そのもの」

「うん、でもその“素朴さ”が、売りになるの。素敵じゃない」

 二人は揃って暖簾をくぐった。タイミング悪く、ちょうど泰成と滝之介と春佳がカウンターに並んで冷やしうどんをすすっているところだった。無言の時間が、ぴたりと止まる。

「こんにちは。突然の訪問、失礼します。私たち、食のプロデュース会社『クルック・フードデザイン』の者です。町役場を通じて、ご連絡させていただいた件で参りました」

「あー、あの“コラボメニュー開発”ってやつ?」

 春佳が無遠慮に口を挟んだ。女性社員がにこやかにうなずく。

「はい。今回、日縁町の伝統料理を現代風にアレンジして、都市部向けの冷凍食品や百貨店コーナー展開を企画しています。そこで、ぜひ御食堂と協力を……と」

「冷凍食品……?」

 泰成の声がわずかに低くなる。だが彼はそれ以上何も言わず、ただじっと二人を見つめていた。

 結衣子が厨房から出てきた。エプロン姿のまま、少し汗をにじませながら。

「すみません、お待たせしました。お話、聞かせていただきます」

「ありがとうございます!」

 スーツの男は、すかさずアタッシュケースを開いて企画書を出した。そこには、いかにも都会的なフォントで洗練された資料が整然と並んでいた。ブランド名、パッケージ案、味の方向性、想定ターゲット層、そして価格設定まで――完璧に仕上げられている。

「たとえば、こういった“味噌焼きおにぎりのパック”です。磯辺食堂さんの味を再現しつつ、よりユニバーサルな味覚設計に変える案でして……」

「ちょっと待って」

 結衣子の声が静かに遮った。

「“変える”って、どれくらい?」

「はい? ええと……たとえば、ご飯の水分量や塩分比を調整して、冷凍に強い仕様に変えるんです。それと、焼きの香りは人工香料で再現します」

「香料?」

 彼女の眉が、微かに動いた。

「はい、それがいまの冷食業界ではスタンダードですし、衛生管理の観点からも……」

「でも、それじゃあ……この味噌、いらないですよね?」

「……?」

「この味噌は、火山灰の混じった土地で育てた大豆を、地元の井戸水で炊いて、佐井さんが毎年手で混ぜて熟成させて、ようやく出来るものなんです。香料で“再現”したら、それはもう佐井さんの味じゃない」

 部屋に、短い沈黙が落ちた。

 春佳が息を呑み、滝之介が椅子から腰を浮かせた。泰成は、目を閉じたまま静かに聞いていた。

「……ごめんなさい。たしかに今のお話、とっても魅力的だし、町のためになる可能性もあると思います。でも、今のままでは、協力はできません」

 女性社員が目を伏せ、スーツの男は少し顔をしかめた。

「……残念ですが、わかりました。ご辞退ということで承ります」

 二人が立ち去ると、食堂の空気が少しだけ軽くなった気がした。

「……結衣子、よく言った」

 春佳がぽつりとつぶやいた。

「ありがとう。でも……怖かった」

「なんで?」

「断るって……なんだか、“未来の可能性”を自分で閉ざすような気がして。でも……あの人たちの話を聞いてると、私、ずっと考えてたことがあるの」

「考えてたこと?」

「“自分の料理を誰のために作るか”って。そしたら、答えが見えたの。“誰かの思い出を守りたい”って」

 その瞬間、泰成が立ち上がった。

「厨房に入る」

「えっ?」

「この話があったことで、君は“守るべきもの”を確認した。ならば、私は“伝える方法”を考える。妥協ではなく、“翻訳”として、伝える」

「翻訳……?」

「香料で再現するのではない。現場の素材に近づけて、技術で補う。料理は言語だ。方言は残しつつ、伝わる表現にすれば、きっと届く。君の味は、消えない」

 結衣子は、涙をこらえるように目を細めた。

「……うん。お願い」

「引き受けた。君の料理を、“他所の舌”にも届くように、私が考える。いや、“設計”する」

「なんでそんなに熱くなってるの、あんた」

 春佳がやや呆れたように言った。

「……知らん」

 泰成はそっぽを向いた。だがその頬は、かすかに赤い。

 その夜。厨房には三人の姿があった。

 結衣子は包丁で野菜を切る。泰成は火加減を見て、ノートに走り書きをする。春佳は、そのふたりを小突きながら味見をする。

「こうやって、また一歩ずつ作っていけたらいいね」

「一歩ずつ?」

「うん。料理って、いつも“一人分ずつ”じゃん」

「……なるほど。いいこと言うな、春佳」

「でしょ? ほめていいよ?」

「それはない」

 厨房の外では、セミの鳴き声が深まっていた。夏は、もうすぐそこまで来ている。

(第五章:終)



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