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50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく  作者: かわさきはっく
第四章 双冠の英雄

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第91話 時の谷より吹く風

 夜風が冷たくなりはじめた頃、俺はリゼリアに連れられて里の東側へと足を運んだ。


 高台に出ると、空が開け、星々がすでに光を帯びていた。

 山の向こうから吹く風は、昼間とは違う匂いを運んでくる。少し湿り気があり、どこか懐かしさを含んでいた。


 その場所には、一本の石碑があった。

 苔むした岩の表面には古代エルフ語が刻まれていて、淡い光が絶えず脈打っている。


「……これは?」


「記録石よ。この地の『理の歪み』を記録するために置かれたもの。数百年単位で変化する因果のたわみを観測し、記録してきた存在なの」


 リゼリアは静かにそう言い、石碑に手を当てた。


「この土地は、アルヴェントの中でも特異な場所。時間の流れが不安定で、空間と意識の層が曖昧になります。未来視や過去視、夢と現の境界が揺らぎやすくなるのも、そのせい」


「つまり、ここの空気は時間そのものが柔らかいってことか」


「正確に言えば、『理の網が緩い』というべきでしょうね。世界を縛る因果の糸が、ここではほどけやすい。だからこそ、外から来たあなたのような存在も……この地に馴染みやすかったのだと思います」


 リゼリアの言葉に、俺はわずかに目を伏せた。


 彼女が俺の出自を知っていることは、予想していた。

 エルンが話していたのだろう。俺が異世界から来たこと。

 そして、カイランという存在と融合し、今の俺になったことも。


「俺が特別だって意識は、できるだけ持たないようにしてる」


「わかっています。……だから、あなたはこの里に溶け込めるのです」


 リゼリアは風を受けながら、空を見上げた。


「この土地は、もともと特別な者の居場所ではありません。選ばれた力を持つ者が立つのではなく、選ばれなくても歩き続ける者が、根を張る場所」


「……それが、フェルシアか」


「ええ。だから、私はあなたにここで生きてほしいと思っている。賢者でも、英雄でもない。ひとりの住人として、この地に根ざしてほしい」


 その言葉が、深く沁みた。

 戦いに明け暮れた日々、称えられた名前、与えられた褒賞。

 それらが一瞬で消えるような、静けさとあたたかさが、ここにはあった。


「一つ、確認しておきたいんだけど」


「なんでしょう?」


「……俺がここに来て、こうして受け入れられてるのは、俺が誰であるかを知ってるからか? それとも、今の俺を見て判断してくれてるのか?」


 リゼリアは微笑んだ。けれど、その表情はどこまでも真剣だった。


「両方です。竹内悟志という記憶を持つ魂が、カイランという身体の軌跡と融合して、今ここにいる。その事実を、私は受け止めた上で、あなたの今を見ている。……私は、今のあなたを信じています」


「……ありがとう。そう言ってもらえて、救われるよ」


 風が一段と強くなり、木々の葉を揺らした。

 リゼリアはその音を聞きながら、ひとこと、呟く。


「風が変わりましたね。春の兆し……だけではない」


「……何か、来るのか?」


「理の歪みが大きくなる兆候があります。季節の変わり目に起きる自然の揺らぎとは、明らかに異なる。……まだ霧の中にいますが、その先にあるものは、決して小さくはない」


 俺は再び、石碑に目を向けた。

 その表面は微かに輝き、呼吸をしているようにゆらめいていた。


「この里のためにも、俺にできることをしていくつもりだ。俺は……もう、居場所を失いたくない」


「それで十分です。ここは、あなたを縛る場所ではありません。けれど、あなたが在りたいと願うなら、ここはあなたの根となります」


 静かな夜だった。

 だが、その静けさの中に、確かな始まりの予兆があった。


 俺は、ただの流れ者じゃない。

 けれど英雄でも、救世主でもない。

 ここでは、俺として在ればいい。


 その思いを胸に、俺は星の下で、ゆっくりと息を吐いた。

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