第70話 迫る戦火、ギルドの決断
〈鉄壁の輪〉の作戦室には、緊張した空気が漂っていた。
木製の巨大な円卓を囲むように、ギルド幹部とベテラン戦士たちが揃っていた。部屋の中央には、周囲の地形を模した立体地図が設置されている。俺たちも、ヴェルナーの隣でその様子を静かに見守っていた。
「敵軍は現在、南の岩尾峠を越えてこちらに接近中。数はおよそ五百。先頭にはグロム・ザルガスと思しき大型個体が確認されている」
報告を受けた幹部たちの表情が引き締まる。ギルドマスター代行を務める壮年の戦士、ドラン・ブレイザーが声を張り上げた。髭を編んだドワーフの男で、現役時代は『守壁の斧』と呼ばれた歴戦の戦士である。
本来なら、この場にはギルドマスターであるヴォルグ・グラントハンマーが立つはずだった。しかし、先のヴァルディス討伐作戦に参加して深手を負い、今なお療養中である。都市に残った戦士たちも、同様に負傷者が多く、今回は動ける者だけをかき集めての急造の部隊編成となっていた。
だからこそ、今この場を仕切るドランにかかる重圧は大きかった。それでも彼は、強い眼差しで前を見据え、戦士たちをまとめようとしていた。
「迎撃地点は、都市の南端にある峡谷。狭くて見通しは悪いが、こちらが地の利を得られるはずだ。魔法障壁と弓兵でまず敵の先頭を削る」
俺は立体地図を見ながら口を開いた。
「魔力を感知できる結界を張って、奇襲に備えるのも手だな。遮蔽物の陰に潜んだ敵がいれば、あぶり出せる」
「ほう、なるほど……賢者の知見か。さすがは、ヴァルディス・ノクターンを討ち果たした男だ」
幹部のひとりが唸るように言った。
セリスも一歩前に出る。
「剣士たちの前衛部隊を三つに分けて、突撃のタイミングをずらせば敵の勢いを止めやすいかと。風の動きで合図を送るのはどうでしょう」
「風の魔法を用いた信号……面白い。君が指揮するのか?」
「はい、新たに鍛えた剣《風哭》もあります。必ず突破口を作れるはずです」
その言葉に、場の空気が一瞬で変わる。周囲の戦士たちがざわめき、俺たちに視線を向ける。討伐隊に加わる者たちの間にも、期待と尊敬の混じった視線が走った。
作戦会議が終わる頃には、都市を守るための陣形と役割がほぼ固まりつつあった。
——その夜
俺たちは宿に戻り、それぞれが支給された作戦資料を広げて確認していた。
「この班編成、うまく連携できればかなりの力になるはずよ」
エルンが地図を指しながら言った。
「でも、敵の数は多いし、グロムという相手の性質を考えれば、油断できないわ」
「うん……明日には、もう戦いが始まるかもしれないんだね」
ルナがソファの上で膝を抱えながら呟いた。
「みんなで無事に帰ってこようね、カイン」
「ああ、もちろんだ。俺たちは、ここで終わるつもりはない」
そう言いながら、俺は手元の短剣をひとつ取り上げた。グレンダが鍛えたあの一振りが、明日の戦場で試されることになる。
「まったく……作ったばかりだってのに、もう実戦投入とはな」
苦笑しつつも、俺の目は真剣になっていく。
その頃、グラムベルクの南方にある原野では——。
ざっ、ざっ、と大地を踏みしめる音が暗闇に響く。
数百の獣魔族たちが静かに前進していた。鬣のある獣人、角を生やした巨漢、爪の伸びた戦士。どの顔も、戦いを求める本能に満ちている。
その先頭に立つのは、全身を黒鉄の鎧で包んだ巨影——グロム・ザルガス。
「もうすぐか」
唸るような声が、静寂を切り裂いた。
後方から近づいたダークエルフのネフィラが、膝をついて報告する。
「間違いなく、都市は目前です。守備陣形が構築されつつありますが、まだ動揺も多いようです」
「斬って、潰す。ただそれだけだ」
グロムは笑う。感情というより、本能が戦いを欲しているかのようだった。
ネフィラはその様子を横目に、そっと口元を緩めた。
「……愚かな民衆がどれほど抗おうとも、牙を向けた獣は止まらない。ヴィンドール様の道が、着実に拓かれているわ」
その瞳には、黒い思惑がにじみ出ていた。




