第57話 ひとのすがた
エルンが演習場で光の矢を放ち、セリスが無音の空間を生み出す。
仲間たちが次々と新たな魔法を習得していく中、俺は木陰に腰を下ろし、湯を注いだ湯呑みを片手にぼんやりとその様子を見ていた。
その膝の上に、ふわりと軽い重みが乗る。
「……カイン、ねぇ」
ルナだった。相変わらずふさふさの尻尾を揺らしながら、俺の足に乗ってこちらを見上げてくる。
「なに?」
「ルナにも、教えてよ。カインが教えてる、すごい魔法」
その声は拗ねたような響きで、けれど真剣でもあった。
「ルナが使う魔法って、感知とか未来視とか、すでにすごいと思うけど……なにか覚えたいの?」
「うん。でも、それだけじゃ、たりない。エルンみたいに、びしーっ!ってやりたい」
その様子があまりに一生懸命で、俺は思わず笑いながら言った。
「そういえば、俺のいた世界ではな、キツネって言うと、人間に化けたり幻を見せたりするって言い伝えがあったんだ」
「……ほんと?」
ルナの耳がぴくんと動いた。瞳が、ぱっと輝く。
そして、声を潜めて、そっと言った。
「じゃあ……内緒ね、カインにだけ教える」
「ん?」
「ルナたち、魔法キツネはね。大人になると、人の姿になれるの」
唐突な告白に、俺は少し目を見開いた。
「えっ、ほんとに?」
「ほんと。でも、誰にも言っちゃだめなの。ルナたち、むかしから、人間にまぎれて生きるために、この力を使ってきた。冬に食べ物がなくなったときとか、人間に捕まりそうになったとき」
「……なるほど、そういう種族的な理由があるのか」
ルナはこくりと頷くと、続けた。
「だから、ルナが変身したって知られたら困るの。でも……カインが教えてくれたから変身できたってことにしてくれたら、きっと大丈夫」
俺は小さく笑った。彼女なりに真剣で、なおかつ俺を頼ってくれているのが、うれしかった。
「いいよ。じゃあ、教えたってことにしよう。……でも、どんな姿になるんだ?」
すると、ルナがちょこんと座り直して、俺を見つめる。
「ねえ、カイン。どんな姿がいい?」
「え?」
「カインの知ってる人間の女の子とか?」
「女の子か……。うーん……そうだな」
少し悩んでから、冗談めかして言ってみた。
「じゃあ、娘ができたみたいでいいかもな。小さくて元気な子だったら、旅がちょっと楽しくなりそうだ」
「わかった!」
ルナが跳ねるように言った次の瞬間——
眩しい光が彼女の身体を包み込んだ。
その光が収まったとき、そこには、見慣れた小さなキツネではなく、淡い金色の髪と青の瞳を持った、人間の少女が立っていた。月明かりを受けたその髪は、どこかキツネの毛並みの面影を残して輝いていた。
年の頃は十歳ほど。肩にかかる髪はやわらかく、耳元には名残のように小さな獣耳がぴくりと揺れる。
「……できた!」
彼女はそう叫び、ぴょんと跳ねた。
「カイン、これで、もっといっしょに歩けるよ! 剣も使うし、魔法も練習する!」
その口調は、これまでのたどたどしい言葉遣いとは違い、滑らかで流暢だった。
俺が少し驚いていると、ルナは得意げに胸を張る。
「口がね、もう動かしやすいの。キツネのときは言葉、ぜんぶ難しかった。でも今は、人間の形だから、ちゃんと話せるの」
「そっか。なるほど、構造的な問題か……」
俺は納得すると同時に、少し感慨深さを覚えた。
いつの間にか、ルナはこんなにも成長していたのだ。
「じゃあ、これからは人の姿でも一緒に旅をして、時々キツネにもどって休めばいいよ」
「うん!ルナ、これからは、まほうつかい!エルンたちといっしょに、がんばる!」
変身後のルナは満面の笑みで拳を握って見せる。
が、その姿をよく見て、俺はようやく重大なことに気がついた。
——服を着ていない。
「……あの、ルナ。ちょ、ちょっと待って!今、完全に……その、素っ裸だぞ……!」
「え?うん。そうだよ?」
ルナはきょとんとした顔で自分の体を見下ろし、何が問題なのか分からないという様子で首をかしげた。
「毛、ないけど……ふつうじゃないの?キツネのときも、なにも着てなかったよ?」
「いや、まぁ、そうなんだけど……今は、人の姿だろ!?こう、いろいろと、常識的に……!」
「カインは、へんなこと気にするねぇ」
ルナはにっこりと笑い、ぴょんと一回転してみせる。
「これで、ぜんぜんへいき。軽いし、うごきやすいし」
「だめだ、やっぱり服を着せよう……!」
俺は顔を手で覆いながら、自分の外套を脱ぎ、彼女に渡した。
「これでいいから、せめて今は羽織ってくれ……頼む……」
「カイン、たいへんだねぇ」
ルナはくすくす笑いながら外套を羽織り、フードをかぶって得意げにポーズをとった。
「でもね、ルナのこと、もっと見てほしいの。ちゃんと、仲間なんだって。いっしょに戦えるんだって」
「ああ、もちろんさ。これからは、魔法キツネのルナじゃなくて、人間の仲間ルナとしても、よろしく頼むよ」
俺は思わず笑いながら、ルナの頭に手を置いた。
「それにしても……エルンやセリスが見たら、絶対びっくりするぞ」
「ふふっ、ぜったいおどろくね!」
ルナは楽しそうに笑って、金色の髪をふわりとなびかせた。
——小さな魔法キツネが、人として、仲間として、新たな一歩を踏み出した。




