第40話 影の追跡者
ロルディアの市場はむせ返るような熱気と喧騒に満ちていた。
香辛料の刺激的な香り、焼けた肉の匂い、そして無数の人々の体臭が混じり合う。
行き交う商人たちは声を張り上げ、買い手たちは少しでも安く買おうと値切ることに余念がない。
平和そのものの光景。だが、俺たちはその中を慎重に歩いていた。
「エルフの失踪事件について情報を集めるなら市場が一番だと思ったけれど……意外と簡単にはいかないわね」
エルンがフードを目深に被り直しながら、疲れたようにつぶやいた。
市場には多くの人種がいたが、俺たちが「エルフ」という単語を出した瞬間、彼らの目には明らかな「怯え」が浮かぶのだ。
「ああ。まるで『関わったら死ぬ』と知っているかのような反応だ」
俺は周囲を警戒しながら小声で答える。
あからさまな拒絶。視線を逸らす者、そそくさと店を畳もうとする者。この街の裏側には一般市民が恐怖するほどの「何か」が根を張っている。
「……おい、あんた。知ってるんだろ?」
俺は市場の片隅で果物を売っていたエルフの老婆に声をかけた。同族なら、あるいはと思ったのだが――。
「ひっ……! あ、あっちへお行き! 私は何も知らない、何も見てないんだよ!」
彼女は俺たちの背後に「何か」を見たかのように震え上がり、籠を抱えて逃げるように去っていった。
残されたのは、やり場のない徒労感だけだ。
「……ここまで徹底されているとはな」
俺は腕を組み、雑踏の中に佇んだ。その時だった。
「ん……カイン、エルン……」
俺の足元で、ルナが低く唸った。彼女の耳がピクリと動き、鼻がひくついている。
「どうした?」
「……ずっと、ついてくる。……嫌なにおいのひと、いる」
「尾行か?」
ルナはこくりとうなずいた。
「うん。さっきから、何度も……人混みに隠れてるけど、においは誤魔化せない」
「なるほどな……」
俺はさりげなく視線を巡らせる。
活気ある人混みの中、決して目を合わせず、しかし一定の距離を保ってこちらを監視する視線。……いた。あそこの路地の陰だ。
「……なるほどな。嗅ぎ回るネズミを始末しに来たか、あるいは新たな獲物を見つけたか」
俺の言葉に、エルンの瞳がスッと冷たく細められた。
「対処は?」
「ここで騒ぎを起こすのは得策じゃない。……誘い込もう」
俺は口元をニヤリと歪めた。
「向こうが狩人のつもりなら、獲物が牙を剥く瞬間を教えてやる」
***
俺たちはわざと市場の大通りを外れ、人気の少ない路地裏へと足を向けた。
賑やかな喧騒が遠ざかり、薄暗い静寂が満ちていく。腐った野菜と汚水の臭いが漂う街の陰部。
俺たちは行き止まりの手前で立ち止まり、獲物がかかるのを待った。
ヒタ……ヒタ……。
忍ぶ足音が近づいてくる。尾行者は俺たちが袋小路に入ったと思い込み、油断して距離を詰めてきたのだ。
「……今だ」
俺が短く合図した瞬間、隠れていたルナが弾丸のように飛び出した。
「ガァッ!」
「うおっ!?」
突然目の前に現れた獣に男が悲鳴を上げて後ずさる。だが、その退路は既に塞がれている。背後には短剣を抜いた俺と、杖を構えたエルンが立っていた。
「俺たちに何の用だ?」
俺は男に短剣の切っ先を向けて、凄んでみせた。
男は薄汚れた革鎧を着た、いかにもゴロツキといった風貌だ。
「よ、用なんて、ないぞ。俺はただ、通りすがりの——」
「嘘ね」
エルンが氷のような声で切り捨てる。
「市場からずっと私たちの背中を見ていたわね。あの殺気、ただの通りすがりが出せるものじゃないわ」
「……ッ!」
尾行者の男は目を泳がせながら必死に言い訳を探しているようだった。
俺は短剣を向けたまま、男へと一歩踏み出し、プレッシャーをかける。
「正直に話せ。誰の命令で俺たちを嗅ぎ回っていた? エルフの失踪に関わっているな?」
「ぐっ……!」
男は唇を噛んで俺を睨んでいたが、結局は観念したようにため息をついた。
「俺はただ……エルフの情報を流せば金になるって聞いただけで……」
「金?」
「そうだ……市場の外れの酒場だよ……そこの裏口で、ある組織がエルフに関する情報を高値で買い取ってるって噂だ」
「組織の名は?」
「な、名無しの連中だ! ただ、黒いフードを被った奴らが……」
俺とエルンは顔を見合わせた。黒いフード。あの時、森で俺たちを襲った集団と一致する。
「で、お前はその情報を持っていくつもりだったんだな?」
「……まあ、そういうことだ」
「お前、もう俺たちをつけ回すなよ?」
「……わ、わかった……!」
男は転がるようにして路地裏から逃げ去っていった。
残された俺たちの間に張り詰めた空気が流れる。
「これからどうするの?」
エルンの問いに、俺の迷いはなかった。
「決まってる。準備を整えて、その酒場へ向かうんだ」
俺は短剣を鞘に納め、市場の方角を睨みつけた。
「向こうが情報を集めているなら好都合だ。俺たちが直接乗り込んで、その正体を暴いてやろう」
ルナが小さく鳴き、同意するように俺の足元に寄り添う。
「ええ。これ以上、コソコソされるのは御免だわ」
覚悟は決まった。
ロルディアの市場の裏で渦巻く巨大な陰謀。その尻尾を掴むため、俺たちは自ら虎穴へと足を踏み入れることを決めた。




