第37話 本命の牙
森の中の野営地。
爆ぜる焚き火の音が、やけに大きく響く。
俺たちは炎を囲みながら、昼間の襲撃について言葉を交わしていたが、その空気は鉛のように重かった。
「あれは、偵察だったと思う」
俺は枝で地面を突きながら、自分の中でくすぶる不安を言語化する。
「戦う気なら、もっと深く踏み込んできていたはずだ。奴らは、こちらの戦力と、俺たちエルフが魔法を使えるかどうかを見極めていたんだ」
「……そして、次が来る」
エルンが火を見つめたまま、独り言のように呟いた。その横顔は炎に照らされているのに、どこか蒼ざめている。
ルナは会話に入ろうとせず、ずっと耳をピクピクと動かし続けていた。夜の闇に潜む、遠くの気配を探るように。
***
夜明け、再び街道を進み始めた時――。
「それ」は昨日の盗賊のような派手な名乗りもなく、音もなく始まった。
「っ……ルナ!」
俺が呼ぶより早く、ルナが牙を剥き出しにして叫んだ。
「きた! たくさんくる!」
直後、森の左右から黒装束の男たちが、影のように飛び出してきた。
殺気がない。いや、殺気を完全に殺している。昨日のゴロツキとは次元が違う。
「動きが違う。訓練されてる……!」
俺は即座に短剣を抜き、恐怖で固まりかけている馬車の従者に怒号を浴びせた。
「車輪を止めろ! 戦闘になるぞ!」
敵は一言も発しない。沈黙を保ったまま、流れるような動作で俺たちを包囲していく。まるで熟練の狩人が、確実に獲物を追い詰めるような無機質な動き。
「疾風の精霊シルフィードよ! 我が魔力を代償とし敵を切り裂け——《烈風の刃》!」
エルンの詠唱と共に、不可視の風の刃が唸りを上げた。先頭の男の肩口が裂け、鮮血が舞う。
だが――男は悲鳴一つ上げず、体勢を崩しただけで、すぐにまた前進を再開した。
「構わず来るだと……ッ!?」
痛みへの恐怖すら去勢されているのか。
俺は背筋が凍るのを感じながら、迫りくる刃を紙一重で回避した。
鋭い剣閃。躱した先から、さらに別の刃が襲いかかる。
俺はとっさに肘打ちを叩き込み、距離を取るが、手応えが薄い。相手はダメージを意に介さず、機械のように反撃してくる。
「カイン、左から二人!」
「くそっ、キリがない!」
エルンの援護射撃に合わせて動くが、数が多い上に連携が完璧だ。じりじりと包囲網が狭まっていく。
その時、敵集団の中から、低く、冷徹な声が響いた。
「――エルフ確保が優先だ。間違って殺すなよ」
その言葉が俺の思考を殴りつけた。
強盗じゃない。こいつらの目的は最初から――。
「……確定だな。こいつらは俺たちを攫うためにここに来た!」
俺は後退しながらルナに視線を飛ばす。正面突破は不可能だ。
「ルナ、逃げ道は!?」
「あっちの木のうしろ! まだ、とおれる!」
「エルン、撤退しよう! 命が最優先だ!」
「わ、わかったわ!」
俺たちは敵の攻撃を必死にいなしながら、ルナが指し示した斜面へと走った。
数名の敵が即座に追ってくる。森の密度が増し、足場が悪くなる中でも、奴らの追跡速度は落ちない。
息が切れる。心臓が早鐘を打つ。このままでは追いつかれる――そう覚悟した時だった。
――ピィィィィィッ!
鋭い笛の音が森の空気を切り裂いた。鳥の声とも獣の声とも違う、人工的な命令の響き。
その瞬間、黒装束たちの動きがピタリと止まった。
あんなに執拗だった追跡が嘘のように停止する。彼らは何も言わず、互いにうなずき合うことすらせず、ただ踵を返して森の闇へと溶けていった。
「な、なんだ今の……」
俺は斜面の木に背中を預け、荒い呼吸を整えた。
助かった、というより、見逃されたという感覚に近い。
「命令で動いてる。やっぱり、現場の判断じゃないわ」
エルンも膝に手をつき、青ざめた顔で森の方角を見つめている。
「こわい……ひと、たくさん。でも、みんな……においが同じ」
ルナが身震いしながらつぶやいた。
個性のない、統率された集団。
組織だ。明確な指揮系統があり、目的のためなら自らの命すら駒として扱う、巨大な組織の影。
「——エルフを確保せよ」
あの言葉が呪いのように耳に残っている。俺たちは今、その対象として的にされたのだ。
理由は分からない。だが、これは偶発的なトラブルではない。仕組まれた「狩り」だ。
「……次はもっと本気で来るぞ」
俺は短剣を鞘に納めたが、手の震えは止まらなかった。
笛の音一つで退いたということは、さらに上位の「何か」が動き出した証拠かもしれない。
戦いは終わっていない。ここからが本当の地獄の始まりなのだと、全身の細胞が警鐘を鳴らしていた。




