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50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく  作者: かわさきはっく
最終章 零(ゼロ)の賢者

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306/312

第306話 腐敗の兆し

 二百年の平和。

 その言葉の響きは、甘く、そして心地よい。だが、その実態は、緩やかに進行する病に他ならなかった。俺が水晶球を通して見たロルディア王国は、その病巣そのものだった。


 そして、その光景には、見覚えがありすぎた。


 王都の貴族街は、二百年前とは比べ物にならないほど、その輝きを増していた。彼らが身にまとう絹の衣服は、一着で平民の数年分の生活費に相当するほどの価値を持つ。戦いの記憶はもはや遠い昔のおとぎ話となり、英雄たちの名は吟遊詩人が歌う叙事詩の中にしか存在しない。彼らは、先祖が築いた平和という名の遺産を、ただ食い潰すだけの存在へと成り下がっていた。


 その、きらびやかな世界のすぐ隣で、闇は静かに、そして深く広がっていた。

 平民街の空気は重く、淀んでいる。貴族たちの贅沢を支えるための重税は、民の暮らしを容赦なく圧迫し、その顔からは笑顔が消えて久しい。多くの人々は、硬いパンと薄いスープだけで、その日一日を生き延びるのが精一杯だった。


(……俺がいた世界と、何も変わらないじゃないか)


 俺の脳裏に、竹内悟志として生きた、あの灰色の時代の記憶が蘇る。

 生まれで、全てが決まる。親が裕福であれば子も裕福に。親が貧しければ、子は這い上がる機会すら与えられない。俺が生きた就職氷河期と呼ばれた時代。そこには、努力だけではどうにもならない、分厚く、冷たい壁があった。俺たちは、社会の都合で、そうやって切り捨てられた世代だった。


 そして、最も深刻な腐敗の兆しは、かつてレオンハルト王がその治世で完全に根絶したはずの、あの制度の復活だった。

 奴隷制度。

 それは、巧妙に法の抜け穴を利用する形で、再びこの国に根を張り始めていた。

 借金の形として、あるいは、些細な罪を犯した罰として。貧しい者たちは、その労働力だけでなく、尊厳すらも、富める者たちに買い叩かれる。一度その身分に落ちれば、二度と這い上がることはできない。それは、合法化された、緩やかな死刑宣告だった。


 かつて、世界を救うために固く結ばれた三国同盟も、今やその形を失っていた。

 エルフの森は外界との関わりを絶ち、ドワーフの都は自らの技術の探求にのみ没頭する。人間たちは、異種族への関心を失い、ただ自らの領地の中の、小さな権力争いに明け暮れていた。

 二百年の平和は、種族間の絆すらも、風化させてしまったのだ。


(俺は、この世界に、同じものを作ってしまったのか……?)


 俺は、その光景を、賢者の住居の観測室から、ただ、見つめていた。

 水晶に映る、腐敗した平和。

 それは、俺が守りたかった世界では、断じてなかった。

 争いをなくした代わりに、希望を奪ってしまったのではないか。

 その、拭い切れない後悔が、鉛のように重く、俺の心にのしかかる。


 俺の心は、この世界の緩やかな死と歩調を合わせるかのように、静かに、そして確実に、闇の中へと沈んでいこうとしていた。

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