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50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく  作者: かわさきはっく
最終章 零(ゼロ)の賢者

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303/313

第303話 森に吹く新しい風

 カズエルが永い眠りについてから、季節が一つ巡った。

 王都の喧騒を背に、セリスは息子アルヴィンの小さな手を引き、故郷であるエルフェンリートの森への帰路についていた。彼女の心にあったのは、夫を失った悲しみだけではない。残された息子を、父の故郷ではない、母の故郷で育てるという、揺るぎない決意だった。


 森の入り口に、二人の姿が現れた時、見張りのエルフたちは息を呑んだ。

 一人は、かつて《百閃ひゃくせん》と謳われ、森を救った英雄の一人、セリス。そして、その隣に立つ、人間とエルフの特徴を併せ持つ、見慣れぬ少年。


「セリス様……! それに、そのお子は……」


 報せは風のように森を駆け巡った。

 俺たちが住む賢者の屋敷にその一報が届いた時、俺はエルンと共に、庭で薬草の手入れをしていたところだった。


「……そうか。帰ってきたんだな」


 俺は立ち上がり、森の中心部へと向かう。

 広場には、すでに多くの民が集まっていた。彼らは、久しぶりに見る英雄の姿と、その隣に立つ、カズエルの面影を宿した少年に、温かい、そして少しだけ好奇の入り混じった視線を向けている。


「おかえりなさい、セリス」


 ミラネが民を代表するように、穏やかな笑みで二人を迎えた。

 セリスは深く一礼すると、息子の背中をそっと押した。


「アルヴィン。ご挨拶なさい」


「……はじめまして。アルヴィンと申します」


 少年――アルヴィンは、物怖じすることなく、集まったエルフたちに、流暢なエルフ語で挨拶をした。

 父カズエル譲りの理知的な黒い瞳。母セリスから受け継いだ、意志の強さを感じさせる栗色の髪。そして、人間よりは長く、しかしエルフよりは短い、先端の尖った耳。彼が二つの世界の間に立つ存在であることを、その姿が雄弁に物語っていた。


 その、あまりにも健気で、そして聡明な佇まいに、森の民たちの間に、温かいどよめきが広がった。


「まあ、カズエル様にそっくり……」

「でも、あの瞳の奥の光は、セリス様譲りね」


 その時だった。

 人々の輪をかき分けるように、一つの影が、風のように駆け込んできた。


「セリス! アルヴィン!」


 黄金の髪を太陽の光に輝かせながら現れたのは、ルナだった。五十年の歳月は、彼女を天真爛漫な少女から、森の守護者として頼られる、凛とした美しい女性へと成長させていた。だが、その太陽のような笑顔だけは、昔と少しも変わらない。


「あなたがアルヴィンね! 私はルナ! あなたのお父さんとは、すっごく仲良しだったんだから!」


 ルナはアルヴィンの前にしゃがみ込むと、その顔を覗き込んだ。アルヴィンは、初対面の相手の、あまりの勢いに少しだけ驚いたようだったが、それでも、落ち着いた声で答えた。


「……父から、よくお話は伺っていました。炎の魔法の使い手で、未来を見通す力を持つ、カイン様の最高のパートナーだって」


「えへへ、そうかな? まあ、そうかも!」


 ルナは嬉しそうに笑うと、アルヴィンの手をぐいと引いた。


「さあ、こっちへ来て! この森の素敵な場所、私が全部案内してあげる!」


「あ、あの……」


「大丈夫、大丈夫! お母さんは、カインたちがちゃんと見てるからさ!」


 戸惑うアルヴィンをよそに、ルナは彼を連れて、広場を駆け出していく。その姿は、まるで年の離れた姉弟のようだった。

 俺は、その光景を、賢者の屋敷の縁側から、エルンと共に、ただ静かに眺めていた。


「……本当に、そっくりだな」


 俺の口から、思わず、声が漏れた。

 アルヴィンが、ルナに何かを問いかける時の、わずかに首を傾げる仕草。物事を深く思考する時の、真剣な眼差し。その一つ一つが、今はもういない親友、松尾和浩の姿と、痛いほどに重なって見えた。


 胸の奥が、ちくりと痛む。

 嬉しいはずなのに。親友の息子が、こうして元気に、俺たちの故郷へ来てくれた。それは、紛れもなく喜ばしいことのはずだ。

 だが、その喜びと同時に、どうしようもないほどの寂しさが、波のように押し寄せてくる。

 アルヴィンの姿は、俺が失ってしまったものの大きさを、あまりにも鮮明に、俺に突きつけてくるのだ。


「カイン……」


 隣でエルンが、俺の心の揺らぎを察したように、そっと、俺の腕に手を置いた。

 彼女の温かい感触が、凍てつきそうだった俺の心を、わずかに溶かしてくれる。


「……ああ、大丈夫だ」


 俺は、無理に笑みを作って見せた。

 森に吹き始めた、新しい風。それは、次代の希望を運んでくると同時に、俺のような、永い時を生きる者にとっては、過去の喪失を思い出させる、少しだけ、もの悲しい風でもあった。


 俺は、ルナに手を引かれて森の奥へと消えていく、小さな背中を見つめながら、これから始まる、永すぎる時間との静かな戦いを、予感せずにはいられなかった。

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