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50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく  作者: かわさきはっく
第十七章 灼熱の三頭竜

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第300話 混沌の終焉、そして…

 柔らかな光が、まぶたの裏を優しく照らす。

 微かに聞こえるのは、鳥のさえずりと、穏やかな風が木の葉を揺らす音。鼻腔をくすぐるのは、懐かしい薬草の香り。

 俺はゆっくりと、意識の浮上を感じていた。


「……ん……」


 重い瞼をこじ開けると、そこには見慣れた賢者の住居の木の天井があった。

 そして、その視界の端に、二つの影が映り込む。


「……カイン!」

「カイン、目が覚めたの!?」


 心配そうに俺の顔を覗き込む、エルンとルナの姿があった。その瞳は潤み、憔悴しきった彼女たちの顔には、安堵の色が浮かんでいる。


「……ああ。俺は……」


 横になったまま、俺は霞のかかった記憶を探る。

 確か、セイオンを倒して……森の民の歓声の中で、勝利を宣言したはずだ。だが、その後の記憶が、ぷつりと途切れている。


 俺がゆっくりと身体を起こそうとすると、ルナが嬉しそうに飛び跳ねた。


「わーい! 本当に起きた! ちょっと待ってて、カズエルたちを呼んでくる!」


 そう叫ぶと、彼女は小さな嵐のように部屋を飛び出していった。

 残された部屋で、エルンが俺の手にそっと自身の手を重ねた。その指先は、少しだけ冷たく、震えていた。


「……よかった。本当に……」


「エルン、俺は、どれくらい眠っていたんだ?」


一月ひとつきです」


 彼女は静かに告げた。


「あなたは、勝利の宣言をした直後に倒れました。まるで魂だけがどこかへ行ってしまったかのように、糸が切れた人形のように……。息も、脈も、ほとんど感じられず、まるで死人のように、ただ、動かなくなってしまった」


 その言葉に俺は息を呑んだ。

 あの時、俺の身体に何が起きていたのか。その答えを、部屋に飛び込んできた親友が、もたらしてくれた。


「カイン!」


 ルナに呼ばれ、カズエルがセリスと共に駆け込んできた。

 その二人が、無事な姿で、そこに立っている。アーカイメリアでの過酷な戦いを乗り越えた、頼もしい仲間たちの姿。


「カズエル、セリス……! よかった、無事で……」


 俺が安堵の笑みを浮かべた、その瞬間だった。


「――ふざけるな、竹内ッ!!」


 カズエルの、これまでに聞いたこともないほどの怒声が響き渡った。

 彼は俺の胸倉を掴み、その瞳は、怒りと、そして、心の底からの恐怖に、わなないていた。


「お前、自分が何をしたか、分かっているのか!? 魂を代償にする魔法なんて、禁術中の禁術だ! カイランの記憶にあったからといって、安易に手を出していいものじゃない!」


「……!」


「アーカイメリアから戻ってきて、お前の状態を見た時、血の気が引いたぞ。魂が肉体から乖離しかけていた。ただの魔力切れじゃない、魂そのものが消えかかっていたんだ! エルンの治癒魔法も、森の術師たちの力も、表層を撫でるだけで届かなかった!」


 彼の叱責は、俺の胸に深く、深く突き刺さった。

 そうだ、俺は確かに、魂を代償にした。

 脳裏に、カイランの最後の警告が蘇る。『二度と安易に使うな。次はないと思え』と。

 だが、俺は心の中で、静かに反論していた。


(安易に使ったんじゃない。あの瞬間、仲間を、エルンを守るためには、あれしか道はなかった。俺は、覚悟して使ったんだ)


 俺はカズエルの、親友の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。


「……ああ、分かってる。カイランにも止められてた。次はない、ともな」


 俺は一度、言葉を切った。そして、少しだけ、悪戯っぽく笑ってみせた。


「でもな、松尾。俺はどうしても、セイオンを倒したかった。それに……お前みたいな、優秀すぎる仲間がいるんだ。俺がどんな無茶をしたって、最後には、何とかしてくれるって、頭の隅にあったんだ」


 その、あまりにも俺らしい不器用な信頼の言葉。

 カズエルは、一瞬だけ呆気に取られたような顔をしたが、やがて、その目から怒りの色が消え、深々と、大きな溜息をついた。


「……そういう、とこだよ、お前は……」


 彼は、俺の胸倉を掴んでいた手を、そっと放した。そして、その手で、俺の肩を、一度だけ、強く叩いた。

 その無言の感触が、親友の、心の底からの安堵を、何よりも雄弁に物語っていた。


 俺は隣で泣きじゃくっているルナと、静かに涙を流すエルンを、そっと両腕で抱きしめた。


「……ただいま」


 その一言に、二人は嗚咽を漏らしながら、強く頷いた。


 数日後、完全に回復した俺は、森の民が集まる議事堂の前に立っていた。

 俺は自らの回復を報告し、そして、改めて、この森と共に生きていくことを、高らかに宣言した。

 その言葉に、長老会の面々も、森の民たちも、これまでにないほどの、温かい拍手を送ってくれた。


 レオナルド、ヴィンドール、ミラネは、それぞれの務めに戻っていた。セイオンに受けた傷は深く、森の治癒術師たちの手を焼かせたが、皆、無事に治療を終えていた。彼らは今、森の復興のために力強く動き始めている。


 混沌のない日常。それが、ようやく、この森に訪れた。


 アーカイメリアの顛末は、後にカズエルから聞いた。

 セイオンが暴走させたゴーレムによって、都市は大きなダメージを受けたらしい。彼の所有施設は、約束通り三国同盟に明け渡されたが、その全てが、ゴーレムによって破壊し尽くされた後だったという。

 今、アーカイメリアはヴァレリウスを中心に、混沌の使徒を排斥し、知の殿堂としての誇りを取り戻すため、再建の道を歩んでいるとのことだった。


 そして、俺たちの仲間にも、一つの、大きな転機が訪れた。

 夕暮れの光の中、カズエルとセリスは、少し照れくさそうに、しかし、晴れやかな顔で、俺たちに告げた。


「俺たちは、二人で、ロルディアに住もうと思う」


「えっ!?」とルナが驚きの声を上げる。


「まあ、なんだ」カズエルは頭を掻いた。


「俺は人間だし、エルフだらけの森では、正直、少し浮いている。それに、俺もセリスも、王都では英雄として求められている。あっちで、俺たちの新しい生活を始めてみたいんだ」


 その決断を、俺たちは寂しさを感じながらも、心から祝福した。


 森の入り口で、俺とエルン、ルナの三人は、旅立つ二人を見送った。


「また、いつでも会えるからな」


 カズエルとセリスは、手を振りながら、夕陽の中へと消えていく。

 その背中を見送りながら、俺は隣に立つエルンへと、そっと、向き直った。


「エルン」

「はい」

「俺も、約束する。この森で、お前と二人、手を取り合って、生きていこう」


 その言葉にエルンは、幸せそうに涙を浮かべて、静かに頷いた。

 二人の間に、温かい空気が流れる。

 その、甘い雰囲気を、ルナの元気な声が盛大に割り込んだ。


「もっちろん、ルナも一緒だからねっ!」


 彼女は、俺とエルンの間に、えいっ、と飛び込んでくる。

 俺たちは顔を見合わせ、そして、腹の底から笑い合った。


 この森から始まって、本当に、色々あった。

 追放され、仲間と出会い、世界を揺るがす敵と戦い、多くのものを失い、そして、それ以上に多くのものを得た。

 元の世界で、何者でもなかった俺が、今、ここにいる。


 俺は大切な二人の仲間を、その腕で強く抱きしめた。

 今なら、自信を持って言える。


 これが、幸せだ、と。


第十七章・完

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