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50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく  作者: かわさきはっく
第十七章 灼熱の三頭竜

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第298話 二人の誓い

 セイオンは俺たちに静かに背を向け、森の奥――賢者の神殿へ、ゆっくりと歩き出した。

 その背中は、あまりにも無防備で、そして、あまりにも絶対的だった。

 俺たちは、ただ、その背中を見送ることしかできなかった。故郷の魂が、今、まさに、奪われようとしているのを、指をくわえて見ていることしか。


「カイン……」


 エルンの声が俺を現実に引き戻した。

 ルナが作ってくれた、ほんのわずかな時間。その間に、彼女は俺の砕けた肋骨に、魔力を振り絞って治癒の光を注ぎ続けてくれていた。激痛は和らぎ、身体は動く。だが、心は絶望の底に沈んだままだった。


(終わりだ……。もう、何もできない)


 仲間は倒れ、俺も疲弊しきっている。この状況で、あの男に抗う術など、どこにもない。諦めが、冷たい霧のように心を覆っていく。


 その、諦めかけた俺の瞳を、エルンは真っ直ぐに見つめ返した。


「カイン」


 彼女は俺の胸倉を、その震える手で強く掴んだ。


「まだ、終わっていません」


「だが、エルン……!」


「いいえ!」


 彼女の声は叫びにも似た、悲痛な響きを帯びていた。


「もし、ここで諦めて、あなたに生き永らえてもらっても、そこに何の意味があるのですか。あなたの誇りが失われ、あなたの故郷が奪われた世界で、私たちが生きていくことに、何の意味が……!」


 彼女の瞳から、一筋、涙がこぼれ落ちた。


「だから、行きましょう。たとえ、これが、永遠の別れになったとしても……。私は、あなたの隣で、共に戦いたい」


 その言葉が俺の心の霧を、一瞬で吹き飛ばした。

 彼女は俺の前に、その身を乗り出すと、自らの唇を、俺の唇に、そっと重ねた。

 それは、別れの覚悟と、共に死ぬという誓いを込めた、あまりにも悲しく、そして、あまりにも力強い口づけだった。


 温かい感触が、離れていく。

 俺はエルンの、その覚悟に満ちた瞳を見つめ返した。


(……そうか。俺は、また間違えるところだった)


 賢者として? 英雄として?

 違う。

 俺は、彼女に誇れる自分でいるために。この気高い魂を持つ女性の隣に、胸を張って立つために、戦うんだ。


「……セイオンッ!!」


 俺は、心の底から叫んだ。

 神殿へと向かっていたセイオンの足が、ぴたり、と止まる。

 彼は、ゆっくりと、面白いものを見つけたかのように、こちらを振り返った。


「まだ、何か?」


「ああ、言い忘れていたことがあってな」


 俺は、不敵な笑みを浮かべてみせた。それは、虚勢ではない。仲間と、そして愛する者がくれた、最後の覚悟だった。


「俺にはな、理式にやたら詳しい、親友がいるんだ。そいつが言ってたぜ。『どんなに完璧に見える理式でも、魔力や祈りみたいな、理屈の通じない『ごり押し』には、案外弱いもんだ』ってな」


 俺は、一歩前に出た。


「セイオン! お前のその理屈っぽい頭で、俺の、この『ごり押し』を、止めることができるかな!」


 俺は天に手を掲げた。

 森が、応える。風が渦を巻き、大地が唸り、精霊たちが、俺の魂の叫びに呼応するように、その力の全てを、俺一人へと注ぎ込んでくる。仲間たちの「生きて」という想いもまた、光となって俺の身に降り注ぐ。


「ウンディーヴァよ! 俺の魂を代償にしてもいい!この一閃に、俺の、俺たちの、全ての想いを乗せる!――」


 最大出力の《蒼閃》の詠唱が、始まった。

 世界そのものが、俺の意志に共鳴し、蒼き閃光が、その手に収束していく。


 その、ありえないほどの魔力の奔流を前にして、セイオンは、穏やかだった表情を不快そうに歪ませた。


「……君は、実に貴重な『触媒』だ。できれば、殺したくはないのだがね」


 彼が、指を鳴らした。

 パチン、と乾いた音が響いた瞬間、世界から、時間が消えた。


 風が止まり、魔力の渦が静止し、仲間たちの驚愕の表情が、その場で凍りつく。

 俺の詠唱もまた、その途中で、永遠に引き延ばされたかのように、停止した。

 セイオンが発動させた、時間遅延の理式。絶対的な時間の牢獄。


 だが――。

 その、完全に静止した世界の中で、ただ一人、動いている者がいた。


 エルンだった。

 彼女が握りしめる、愛用の杖。その杖に刻まれた紋様が、淡い光を放っていた。それは、カズエルと共に過ごした時間の中で、万が一のためにと彼女が密かに習得していた対抗策。精霊魔法の「流れ」と理式魔術の「構造」、二つの叡智を融合させた、セイオンの絶対的な理に唯一対抗しうる、カウンター魔術だった。


 セイオンの時間の牢獄に、彼女だけが、静かに抗っていた。

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