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50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく  作者: かわさきはっく
第十七章 灼熱の三頭竜

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第297話 小さな覚悟、混沌の戯れ

「さあ、賢者カイン。君は、どうする?」


 セイオンの冷たい声が、静まり返った戦場に響き渡った。

 その圧倒的な力の前に、森の民の歓声は絶望の悲鳴へと変わり、今はただ、誰もが息を殺して成り行きを見守っている。

 レオナルドが倒れ、ヴィンドールとミラネも地に伏した。俺は砕けた肋骨の痛みに耐えながら、どうにか立ち上がろうとするが、身体が鉛のように重く、言うことを聞かない。


(くそっ……! 動け……!)


 焦りだけが心を蝕んでいく。

 俺が迷っている、この一瞬一瞬にも、仲間たちが、森が、危機に晒されている。

 指揮官として、リーダーとして、俺が指示を出さねばならない。

 だが、どんな策も、この絶対的な怪物を前では無意味に思えた。


「カイン……」


 俺の側で、エルンの瞳が揺れていた。

 無防備になってでも治療を続けるべきか、それとも、玉砕を覚悟でセイオンに一矢報いるべきか。彼女もまた、決断を下せずにいた。

 パーティは完全に機能不全に陥っていたのだ。


 その、濃密な絶望の空気を、一つの小さな声が切り裂いた。


「エルンはカインを治してあげて!」


 ルナだった。

 彼女は涙を浮かべながらも、エルンの背中をぽん、と叩いた。そして、俺たちを守るように、たった一人で、セイオンの前に立ちはだかる。

 その小さな身体からは想像もできないほどの、燃え盛るような敵意が放たれていた。


「……ほう」


 セイオンはその光景を心底面白そうに眺めた。


「次は、その小さな娘が私に挑むというのか。実に興味深い。いいだろう、賢者カインよ。彼女が私の相手をしてくれるそうだ。君は存分に治療を受けるがいい。痛みが気になっては、正しい『答え』は出せないだろうからね」


 その、あまりにも傲慢で見下しきった物言い。まるで、俺たちの必死の抵抗を、ただの余興として、盤上の駒の動きとしてしか見ていない。


「待つんだ、ルナ!」


 俺は、血の味のする口を開き、叫んだ。


「そいつは、お前が敵う相手じゃない! 逃げろ!」


「でもっ!」


 ルナが涙声で振り返る。


「でも、カインやみんなを、あんなふうに苦しめる奴なんて、絶対に許せないんだもん!」


 彼女の魂の叫びに呼応するように、その身に宿る精霊プロミネンスの力が、黄金の炎となって小さな身体から噴き上がった。


「お前なんか……ルナがやっつけてやる!」


 覚醒した炎の魔法が彼女の手の中に収束していく。それは、もはや火球などという生易しいものではない。太陽そのものを凝縮したかのような、圧倒的な熱量の塊だった。だが、セイオンはその光景を前にしても、眉一つ動かさなかった。


「……やれやれ。道理を解さぬ子供は、いつの時代も手に負えんな」


「いっけえぇぇぇぇっ!!」


 ルナの全力の一撃が、セイオン目掛けて放たれる。黄金の炎が、空間を焼き尽くさんばかりの勢いで彼へと殺到した。竜王すら退けた、必殺の一撃。


 セイオンは、その圧倒的な破壊を前にして、ただ静かに右手を掲げただけだった。

 その薬指にはめられた、シンプルな銀の指輪が淡い光を放つ。

 次の瞬間、彼の前に幾何学模様の光の障壁が出現した。


 ジュッ――


 そんな、呆気ない音がしただけだった。

 ルナの放った灼熱の炎は、そのあまりにも薄い壁に触れた瞬間、いとも容易く、完全に無力化されてしまった。

 炎は光の壁に吸い込まれるように消え、後には魔力が霧散する微かな揺らめきだけが残された。


「そ……そんな……」


 ルナが、信じられないといったように、その場にへたり込む。

 セイオンは自らの指輪を、まるで埃でも払うかのように軽く指でなぞると、嘲笑うかのように告げた。


「なかなか良い輝きだろう? 君のお友達が身に着けているものと、お揃いさ」


 彼の視線が、俺とエルンの指にある指輪に向けられる。


「もっとも、そこに込められた『力』の桁が、違うようだがね。想いだけで守れるほど、世界は甘くはないよ」


 その言葉は、俺たちが誓い合った絆を明確に嘲笑っていた。俺たちの想いも、覚悟も、彼の「力」の前では児戯に等しいと。


 セイオンは、もはや戦意すら失いかけた俺たちに、完全に興味を失ったようだった。


「……ふむ。その口から言わせるのは、無粋だったかな」


 彼はそうつぶやくと、俺たちに静かに背を向け、森の奥――賢者の神殿へ、ゆっくりと歩き出した。

 その背中はあまりにも無防備で、そして、あまりにも絶対的だった。

 俺たちは、ただその背中を見送ることしかできなかった。

 故郷の魂が、今まさに奪われようとしているのを、指をくわえて見ていることしか。

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