第292話 激戦、覚醒の炎
「……一体、討ち取ったり」
レオナルドの静かな勝利宣言は、森の奥から湧き上がった割れんばかりの歓声にかき消された。
だが、その歓喜は一瞬で凍りつく。頭上から、同胞を討たれたことへの純粋な殺意と、激しい憎悪に満ちた咆哮が二重に降り注いだのだ。
ゴオオオオオオオッ!!
空に残された二体のワイバーンロードが、その巨大な瞳を血走らせ、俺たち――カイン、エルン、ルナの三人を捉えていた。
地上でちまちまと抵抗する戦士は、もはや奴らの眼中にはない。高い魔力を持つ魔術師たちに狙いを定めたのだ。
結界はすでに消失している。ここから先、考えている余裕などない。
「来るわ!」
エルンが叫ぶ。
彼女が咄嗟に展開した『風の障壁』に、二体の竜による時間差のブレス攻撃が続け様に激突した。障壁がみしみしと悲鳴を上げ、俺たちの乗る馬がその熱量と衝撃に怯えて嘶く。
「くそっ、連携してきやがった!」
俺は手綱を必死で引き絞り、暴れる馬を制御しながら上空を睨みつけた。一体がブレスでこちらの動きを封じ、もう一体が死角から爪で引き裂こうとする。その動きは単なる獣のものではなく、知性を持った狩人のそれだった。
「カイン、左のやつ、一瞬だけこっち向くよ!」
背後からルナの警告が飛ぶ。
彼女の『感知の魔眼』は敵の殺気から次の動作を正確に読み取っていた。
俺はその未来予測を信じ、馬を駆けさせながら、あえて隙だらけに見える位置へと移動する。
案の定、一体のワイバーンが俺を格好の獲物と判断し、翼を畳んで急降下してきた。
「――そこだ!」
俺は反転しながら魔力を収束させる。
「ウンディーヴァよ、ワイバーンの翼を穿て! ――蒼閃!」
放たれた蒼き水の刃は、ワイバーンの翼膜をわずかにかすめた。だが、敵は手練れだった。俺の攻撃を読んでいたかのように空中で身を捻り、最小限のダメージで攻撃を回避してみせたのだ。
「チッ、浅いか……!」
刃は鱗を数枚剥ぎ取ったのみ。俺が舌打ちした、その一瞬の隙。
もう一体のワイバーンが、エルンただ一人へと狙いを定めた。
それは、この場で最も強力な魔法の使い手を最初に潰そうという冷徹な戦術的判断。
「エルン!」
俺が叫ぶが、距離がある。間に合わない。
竜の巨体が、質量を持った隕石のような速度で彼女へと突っ込んでくる。
「……!」
エルンは覚悟を決めたようだった。
彼女は回避を捨て、その場で杖を構えている。その瞳には相打ちさえも覚悟した、揺るぎない光が宿っていた。切り札である『終光』を放つつもりだと俺は悟った。
だが、それはあまりに無謀だ。たとえ魔法が直撃したとしても、自分に向かって落ちてくる巨体の残骸に押し潰される。
絶体絶命。その光景を、ルナは見ていた。
スローモーションのように流れる時間の中で、エルンの優しい横顔が、死を覚悟した表情に変わっていくのが見えた。いつも自分を妹のように可愛がってくれた、大切な仲間。彼女が、今、目の前で、いなくなってしまう。
(いやだ)
心の底から、叫びが湧き上がった。
(いやだ、いやだ、いやだ! エルンが死んじゃうなんて、絶対にいやだ!)
(ルナが、エルンを守るんだ!)
その、あまりにも純粋で強大な「守る」という意思が、引き金となった。
ルナの魂の奥底で燻っていた火の精霊との契約が、その真の扉を開く。
彼女の小さな身体から、黄金の炎がまるで太陽フレアのように噴き上がった。
「――お願い! プロミネンス!」
彼女の魂の叫びに、高位精霊が応える。
ルナの瞳が燃えるような金色に輝きを増す。未来予測の力がこれまでにない精度で研ぎ澄まされ、竜の軌道をその数瞬先の未来まで完璧に映し出した。
彼女が意識を向けたのは竜がいる場所ではない。竜がこれから到達するであろう、今はまだ何もない空間。
そこへ、周囲の大気から高濃度の魔力が一点へと急速に集まっていく。陽炎のように空間が揺らめき、目に見えない燃料が極限まで圧縮される。
「お願い、届いて! ――燃え上がれ!」
ルナが叫び、引き金を引いた。
次の刹那、その空間の中心に一点の金色の火花が散り――空気を震わす轟音と共に、空間そのものが黄金の爆炎となって球状に炸裂した。
ドゴォォォォォォォォォンッ!! ギシャアアアアアアアアアアアッ!!
天地を揺るがす爆発音と、断末魔の絶叫が重なる。
突進していたワイバーンは、その爆発を顔面からまともに喰らった。
目に見えぬ巨人の鉄槌で殴りつけられたかのように、その巨体は後方へと大きく弾き飛ばされる。胸部から腹にかけての鱗は砕け散って黒く焦げ付き、自慢の翼も千切れかけていた。
これまでにない苦痛と驚愕。竜は必死に翼を羽ばたかせた。もはや攻撃のためではない。ただ、この規格外の「炎」から逃れるためだけに。一度、二度と高度を落としながらも、なんとか空気を掴み、力なく上空へと敗走していく。
「……え……?」
助かったエルンが、呆然とその光景を見つめている。
俺も、レオナルドも、そして森の民も、誰もが言葉を失っていた。
戦場に残された最後の一体のワイバーンロードが、そのありえない光景を前にして初めて動きを止めた。恐怖にその巨体を震わせ、生存本能に従ってさらに空高くへと舞い上がる。うかつには近づけないと悟ったのだ。
戦場の中心。
ルナは黄金の炎の残滓をその身にまといながら静かに立っていた。
その小さな背中は今、この森の誰よりも大きく、そして頼もしく見えた。




