第285話 双つの戦場
世界は、二つに分かたれた。
一つは、故郷の危機へとひた走る、俺たちの焦燥と決意の旅路。
もう一つは、敵地の中枢で孤立無援の防衛戦を強いられる、仲間たちの死闘。
セイオンが仕掛けた悪意の盤上で、俺たちはそれぞれの戦場へと、その身を投じていた。
――森へと急ぐ者たち
駆ける馬の蹄の音が、荒野に絶え間なく響き渡る。
アーカイメリアを後にしてから、俺たちは一刻も早く故郷にたどり着くため、ほとんど休息を取らずに馬を飛ばし続けていた。
「もっと速く! このままじゃ、間に合わない!」
俺は歯を食いしばりながら、手綱を握る手に血が滲むほど力を込めた。
エルンが展開する風の補助魔法『ウィンドブースト』が、馬ごと俺たちの身体を後押しし、ありえない速度で風景を後方へと置き去りにしていく。
だが、それでもなお、焦燥感だけが胸を焼き尽くし、心を蝕んでいった。
ルナが見た予知――燃え盛る森の光景が脳裏から離れないのだ。
「カイン、落ち着きなさい! 今、あなたの心が乱れたら、魔力も安定しないわ!」
エルンがすぐ隣を並走しながら、励ますように、そして戒めるように強い声で俺を制する。
「焦りで自滅してどうするの。私たちが万全でなければ、あの三体の竜には勝てない。……森を救うんでしょう?」
彼女の正論に俺はハッとして息を呑んだ。そうだ。俺が崩れれば、誰が森を守る。
俺は一度、深く息を吸い込み、冷たい風と共に思考をクリアにした。
「……すまん、エルン。お前の言う通りだ」
俺の返答に、彼女はわずかに表情を緩めた。
先頭を走るのはレオナルドだ。彼は戦士としての鋭い勘で、最短かつ最も安全なルートを迷うことなく選び続けている。その背中は何よりも頼もしかった。
俺たちは、ただひたすらに森を目指し、駆ける。
故郷を、仲間を、そして俺たちが帰るべきあの穏やかな日々をこの手で守り抜くために。
***
――都に残る者たち
一方、アーカイメリアの中央広場は、鋼と魔法が激突する混沌の戦場と化していた。
「くそっ、キリがない……!」
調査団の騎士の一人が、迫りくるゴーレムの腕を切り払いながら悪態をつく。
残された兵力は二十名弱。対するゴーレムは、都市の至る所から湧き出るように現れ、その数は減るどころか増え続けている。このままでは、力尽きて全滅するのは時間の問題だった。
「状況は最悪だな……。だが、盤面は見えている」
カズエルは戦況を冷静に見据え、即座に決断を下した。
この膠着を打破するには、自分が指揮に専念する「空白の時間」が必要だ。
「セリス!」
彼は、無数のゴーレムを相手に戦線を支えている、唯一無二の剣士の名を呼んだ。
「時間を稼いでくれ! ほんの数十秒でいい! その間、俺に近づくものを全て斬り捨ててほしい!」
「ええ、任せて!」
セリスは短く、しかし絶対的な信頼を込めて応じた。
彼女はカズエルの前に立ちはだかると、左腕にある「竜鱗の盾」を構え、右手には愛剣『風哭』を抜き放つ。
竜の盾があらゆる衝撃を無効化し、風の剣閃が近づく敵を瞬く間に解体していく。彼女はその身一つで、参謀を守るための完璧な城壁となった。
その背後で、カズエルは静かに目を閉じた。
周囲の喧騒も、迫りくる死の気配も、彼の意識からは完全に遮断される。
彼の頭脳は今、この混沌とした盤面を打開するための唯一の最適解を驚異的な速度で計算していた。
(……敵戦力、測定不能。だが、所詮は自律駆動のプログラムだ。動きは単調。こちらの兵力は二十。だが、門の外には二百七十の本隊がいる……)
彼の脳内で戦場の地図が将棋盤のように展開される。
(第一目標、生存。第二目標、本隊との合流。第三目標、敵動力源の破壊。……勝機はある。一点突破だ)
「よし、見えた」
カズエルは、カッと目を見開いた。
その瞳にはもはや混乱も焦りもない。あるのは全ての駒の動きを読み切った、絶対的な指揮官の光だけだ。
彼はセリスの背後から、戦場全体に響き渡る声で最初の号令を発した。
「全調査団員に告ぐ! 俺の指示を聞け! これより、反撃を開始する!」
その声は絶望に沈みかけていた兵士たちの心を再び奮い立たせた。
カズエルという「頭脳」を得て、セリスという「剣」を得て、残された者たちの逆転劇が幕を開ける。




