第272話 旅立ちへ向けて
鍛冶王バルグラスから与えられた、職人街の一画に佇む立派な石造りの家。
古竜との死闘を終えた俺たちは、その静かな屋敷で次なる目的地、学術都市への旅の準備を進めていた。
だが、俺たちの前には一つの大きな問題が残されていた。
あの戦いで、セリスの愛剣・風哭とレオナルドの短剣はひどく傷み、刃こぼれを起こしてしまっていたのだ。
「……これでは次の戦いには臨めんな」
レオナルドが片手で器用に短剣を磨きながら悔しそうにつぶやく。
俺は立ち上がると、二人の剣士に向き直った。
「グレンダの所へ行こう。彼女ならきっと、この剣を蘇らせてくれる。そして、今の二人に最も適した形に調整してくれるはずだ」
俺、セリス、レオナルドの三人は武器を直すため、再びあの鋼と炎の匂いが満ちるグレンダの元へ向かった。
工房の主グレンダは、俺たちの姿と、そして二人の失われた腕を認めると、その顔を深い悲しみに歪ませた。
「……そうかい。……そんな無茶な戦いをしてきたのかい……」
だが、彼女はすぐにその悲しみを職人としての誇りの炎へと変えた。
「だが、あんたたち、まだその目に光があるね。……戦うつもりなんだろ?」
その言葉にレオナルドとセリスは力強くうなずいた。
グレンダは腕を失った今もなお、剣を必要とする二人の生き様に心を打たれ、にやりと、いつもの不敵な笑みを浮かべた。
「片腕となった二人でも扱いやすいよう、最高のバランスに仕上げてやる。カイン、あんたも手伝いな!」
炉に再び火が入り、俺たちは力を合わせて二対の牙を蘇らせていく。
数刻の後、さらに鋭さを増して蘇った剣を二人は振るい、その感触を確かめる。
グレンダは「何があっても負けるんじゃないよ」と俺たちを励まし、一行は鍛冶屋を後にした。
その頃、屋敷ではエルンとカズエルが書斎で向き合っていた。
テーブルの上には二人がそれぞれ構築した防御術式の設計図が広げられている。
竜のブレスを防ぎきるほどの防御魔法、そして、セイオンが使っていた時間に干渉する理式に対する対抗策を編み出すために。
「精霊魔法では竜のブレスのような純粋なエネルギーの奔流を完全に防ぐことは難しいわ。けれど、カズエルのその理式障壁と組み合わせれば――」
「ああ。君の結界でエネルギーを拡散させ、俺の理式でその拡散したエネルギーを無効化すれば、あるいは――」
精霊魔術と理式、互いの強みを掛け合わせ、最強の防御魔術を作り出す。二人はその目標に向かって知恵を出し合っていた。
その二人の瞳には同じ想いが宿っていた。大切なパートナーを二度と傷つけさせはしないという強い想いが。
皆がそれぞれの目的に進む中、ルナは屋敷の庭の隅で小さな膝を抱えていた。彼女は自分の無力さを悔しんでいた。
大切な仲間の取り返しのつかない負傷を目の当たりにしたこと。たとえそれが、竜という強大な相手と対峙したことによるものだとしても、ルナは自分の力が足りなかったせいだと悔しがっていたのだ。
(もっと、もっと……。みんなを守れるくらいの力が欲しい!)
その、あまりにも純粋な彼女の願い。
その魂の叫びに、あの霊峰からついてきていた見えざる存在が静かに呼応した。
『……力を欲するか?』
ルナの心に直接、声が響いた。
それは温かく、そして計り知れないほどに強大な炎の気配だった。
その問いにルナは心の底から叫んだ。
「力……? くれるなら、欲しい! もっと、みんなを守れる強い力が……欲しい!」
『契約は成された』
それはあの霊峰に満ちていた強大な火の精霊の声だった。
精霊の名はプロミネンス。マグナ・イグニスを倒すに至ったカインたちの強い意志。その中でも、純粋な願いを放っていた魔法キツネの少女に精霊は惹かれていたのだ。
『古の竜を討ち滅ぼすほどの強い意志を持つ者よ。そなたの願い、聞き届けた。我が炎、そなたに授けよう』
契約が結ばれた瞬間、強大な魔力がルナの小さな身体に流れ込み、彼女は心地よい眠りに誘われるように、その場で意識を手放した。
***
夕刻、工房での作業を終えた俺たちが屋敷に戻ると、出迎えたエルンとカズエルの様子がどこかおかしいことに気づいた。
「どうした?」
「ルナの姿が見えないのです。食事の時間になっても部屋から出てこなくて……」
エルンの心配そうな声に、俺たちは顔を見合わせた。そして、彼女が庭の隅で魔法キツネの姿に戻り、すやすやと眠るように倒れているのを発見したのだ。
皆を呼び集め、ルナの様子を見守る。
エルンが彼女の体にそっと手を触れると、驚きに目を見開いた。
「……彼女の内に強大な火の精霊が寄り添っている……? まるで、彼女の魂を守り、育んでいるかのようです」
エルンがそう告げた瞬間、ルナが小さく身じろぎし、ゆっくりと目を覚ました。そして、人の姿に戻ると、不思議そうに首をかしげる。
「あれ……? みんなどうしたの? ルナ、なんだか、すごく気持ちよく寝てたみたい」
「ルナ、大丈夫なのか?」
俺が駆け寄ると、彼女はきょとんとした顔で、そしてすぐに満面の笑みで言った。
「うん! なんだか夢の中でね、すっごく温かい声がしたんだ」
「火の精霊、プロミネンスが言ってた。これからはルナに力を貸してあげるって。なんだか、すっごく元気になった気がする!」
その言葉と彼女から放たれる以前とは明らかに違う、力強く温かい魔力の気配。
俺たちは彼女が新たな可能性の扉を開いたことを悟った。
それはまだ小さな萌芽かもしれない。だが、この契約がいつか俺たちの力となる日が来ることを確信せずにはいられなかった。




