第270話 残された絆
セイオンが立ち去り、戦場には俺たち六人と、沈黙した古竜の亡骸だけが残された。
俺たちはまず、仲間を治療し、この死地から生きて帰還するために行動を開始した。
「エルン、もう一度、頼む」
「ええ……!」
俺の声に、エルンは再び、レオナルドとセリスへ向き合う。
エルンは二人の元に膝をつくと、今度はより深く、そして丁寧に、治癒の光を注ぎ込んでいった。
やはり、失われた腕そのものが再生することはなかったが、その周辺に刻まれた無数の裂傷や打撲、そしてセリスの焼け爛れた皮膚が、聖なる光の中でゆっくりと、再生していく。やがて、失われた腕の付け根は、痛々しさは残るものの、完全に、そして清浄に塞がれていた。
ルナは怖がりながらも、その様子を真剣な眼差しで見守っていた。
「……ここまでね」
エルンが治療を終えると、今度はカズエルが二人の前に進み出た。
「痛覚遮断の理式を、今、停止する。……感覚が戻るぞ」
彼がそう告げると、レオナルドとセリスの表情が、わずかに歪んだ。痛みはない。だが、そこにあるはずの腕が『ない』という、現実の感覚が、彼らの精神を苛む。
カズエルは、そんな二人の消耗しきった身体に、ゆっくりと手をかざした。
「――《天恵変換》」
彼の理式が発動し、周囲の魔力や光が、純粋な生命力となって、仲間たちの身体へと注ぎ込まれていく。疲労が和らぎ、どうにか自力で立ち上がれるだけの力が、彼らに戻ってきた。
「……すまない。助かった」
レオナルドが、片腕で体を支えながら、静かに礼を言う。
皆が動けるようになったところで、俺たちは改めて、目の前に横たわる、巨大な竜の亡骸を見つめた。
「……信じられんな。我々が、これを、討ち取ったとは」
「ええ。ですが、その代償は、あまりに……」
レオナルドとセリスの言葉に、誰もが俯く。
その重い沈黙を俺は断ち切った。
「俺は、ドラグハートを取りに行く」
俺の決意に、仲間たちが顔を上げる。
「セイオンの言葉だ。信憑性はない。だが、可能性があるなら、俺はそれに賭けてみる」
「……いや」
カズエルが、俺の言葉を静かに肯定した。
「奴の言葉を鵜呑みにするわけではないが、その可能性は、十分にある。アーカイメリアには世界最高峰の生命科学と錬金術の研究施設があり、神官クラスの権威もいる。竜の心臓ほどの触媒があれば、再生治療の可能性は十分にある」
その、論理的な裏付けが、俺たちの最後の希望を確かな目標へと変えた。
「レオナルド」
「……ああ。行こう」
俺とレオナルドは、竜の巨体へと向かった。
片腕を失ってもなお、彼の足取りに戦士としての揺らぎはない。
俺たちは、竜の硬い胸郭に手をかけ、こじ開けようと試みる。だが、その鱗は、死してなお、鋼鉄以上の硬度を保っていた。
「くそっ、硬すぎる……!」
「カイン、俺が支える。お前の《蒼閃》で、ここの継ぎ目を、わずかに削れ!」
レオナルドの的確な指示。俺は頷き、制御した水の刃で、胸郭の合わせ目に、わずかな亀裂を入れた。そこを起点に、俺とレオナルドは、渾身の力で、その胸をこじ開けた。
その奥にあったのは、神々しいほどの生命の輝きだった。
巨大な紅い宝石のようなドラグハートが、ドクン、ドクン、と、力強い脈動を続けている。その輝きは、周囲の氷獄を、まるで朝日が照らすかのように、温かい光で満たしていた。
俺は、その脈動する心臓から、生命力が凝縮された一片を、短剣で慎重に切り出した。
手のひらに乗せたそれは、ずしりと重く、そして、温かかった。
これが、今の俺たちの希望だ。
ドラグハートの欠片を、特別な革袋に収めると、俺たちは、その場を後にした。
振り返ることなく、俺たちは、グラムベルクへの帰還の途についた。
確かな絆と希望を胸に、俺たちは、新たな旅先を見据え、歩き出す。




