第267話 失われたもの
蒼き閃光が、竜の体を貫き、内部を崩壊させていく。
マグナ・イグニスは、天を仰いだまま、その巨体を大きく震わせた。もはや、声にならない、断末魔の咆哮が天地を揺るがす。
「ギ……シャアアアアア……ア……」
それは、神話の時代から生きてきた、絶対的な存在の最期の叫びだった。
やがて、その巨体から、ゆっくりと力が抜けていく。山と見紛うほどの体躯は、その重さに耐えきれず、轟音と共に大地へと倒れ伏した。
地響きが収まり、戦場には完全な静寂が訪れる。
古竜マグナ・イグニスは、その永い生の終わりを、ついに迎えたのだ。
俺は、その場に膝から崩れ落ち、荒い呼吸を繰り返した。仲間たちもまた、疲労困憊で、その場から一歩も動けずにいる。
ただ一人、筆頭神官セイオンだけが、まるで美しい劇の終幕を観劇したかのように佇んでいた。
「……素晴らしい結末だ」
彼は満足げにそう呟き、俺たちに一瞥をくれただけで、それ以上、何も言おうとはしなかった。
戦いは終わった。
だが、俺たちの心に勝利の歓喜はなかった。
「レオナルド! セリス!」
俺は、残された最後の力を振り絞り、倒れている二人の剣士へと駆け寄った。
その隣で、ルナが二人の無残な姿を見て、小さな悲鳴を上げた。
「そんな……腕が……ない……。セリスの腕も、真っ黒……」
ルナの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。彼女は震える声で、駆け寄ってきたエルンに必死に問いかけた。
「ねえ、エルン! 治せるよね? 魔法で、ちゃんと、元に戻るんだよね!?」
その、あまりにも純粋な願いに、エルンは強く唇を噛みしめた。
「エルン! 治癒魔法を!」
俺の叫びに、エルンが即座に反応する。
「ええ! 今すぐに!」
彼女は腰のポーチから、最後の非常用ポーションを取り出し、一気に飲み干す。わずかに回復させた魔力を、必死に杖へと注ぎ込んだ。そして、出血のひどい、レオナルドの治療に取り掛かる。
レオナルドは、失われた右腕の付け根を、ただ呆然と見つめていた。カズエルの理式が痛覚を完全に遮断しているため、そこに苦痛の色はない。だが、出血したまま動き回っていた彼の意識は、こと切れる寸前だった。
その隣では、カズエルがセリスの元に膝をつき、彼女の負傷を観察していた。
セリスの右腕……いや、そこにあったのは、もはや腕ではなかった。肩口から肘にかけては、鎧ごと黒く炭化し、かろうじて人の腕の形を留めている。だが、その肘から先は、マグマの超高熱によって、完全に蒸発し、消失していた。
「くそっ……! 俺の理式が、不完全だったから……!」
カズエルが自分を責めるように叫び、拳を地面に叩きつけた。
そんな彼に、朦朧としながらも、セリスは、か細い声で語りかけた。
「…あなたの指輪のおかげで、命は…守られました。ありがとう…」
その言葉に、カズエルは、ただ、彼女の無事な左手を強く握り返すことしかできなかった。彼の理知的な仮面は完全に剥がれ落ち、そこには、大切な人を守りきれなかった、一人の男の深い後悔と苦悩だけがあった。
二人の間には、この過酷な状況下で生まれた、より深く、そして切ない絆が、確かに結ばれようとしていた。
「エルン……頼む……!」
カズエルの絞り出すようなに応え、エルンがセリスに癒しの光を注ぐ。
二人の出血は止まり、傷口をふさぐことはできたが、腕の再生まではできなかった。
「いやだ……! 治らないなんて、そんなのって……」
ルナの悲痛な叫びが、氷獄の静寂に突き刺さった。
勝ったはずだった。だが、俺たちの目の前にあるのは、あまりにも大きな、取り返しのつかない代償だった。




