第266話 蒼閃、天を穿つ
視力を失い、暴れ狂うマグナ・イグニス。
その巨体を前に、傷ついた二人の剣士が最後の陽動を仕掛ける。レオナルドの咆哮と、セリスの剣閃が、かろうじて竜の注意をひきつけていた。
その、命がけで稼いだ、ほんの数秒の隙。
俺は竜の懐、その巨大な影の真下へと、一直線に飛び込んでいた。
全ての神経を研ぎ澄ませる。
心臓の鼓動が、やけに大きく、そしてゆっくりと聞こえる。
「ルナ! 奴の弱点、逆鱗の位置を特定してくれ! 俺が撃つ瞬間に、その場所を教えて欲しいんだ!」
俺は、この最後の攻撃に全てを懸けるため、ルナに指示を飛ばした。
俺は、自らの残された魔力の全てを、そして、仲間たちの想いを、ただ一本の魔法へと、収束させていく。
「カイン! 今だよ!」
ルナの叫び声が、戦場の轟音を突き抜けて、俺の耳に届いた。彼女の《感知の魔眼》は、暴れ狂う竜の動きの、その僅かな未来を完璧に捉えている。
「狙うのは首の真下! 一枚だけ、色が違う鱗がある! そこが、きっと一番弱いところ!」
「――任せろッ!」
俺はルナが指し示した、竜の逆鱗、その一点に全神経を集中させた。
そして、水の精霊ウンディーヴァに、最後の願いを込めて、叫んだ。
「ウンディーヴァよ! 我が魔力の全てを乗せて、この一閃を放つ! ――《蒼閃》!」
渾身の力が、蒼き水の刃となって、俺の手から解き放たれる。
至近距離から放たれたその一撃は、寸分の狂いもなく、竜の逆鱗へと突き刺さった。
だが――。
貫き通せない――絶望的なほどに硬い感触。
俺の最強の一撃は、竜の強靭な鱗に阻まれ、その刃が、わずかに食い込んだだけに見えた。
「……嘘、だろ……」
これほどの仲間たちの犠牲と、覚悟を乗せた一撃が、それでも届かないというのか。
絶望が俺の心を黒く塗りつぶそうとした、その瞬間。
俺は、もはや、理屈も、術式も、何もかもをかなぐり捨てて、心の底から、無心で叫んでいた。
「ウンディーヴァァァッ! お前の水は、竜をも切り裂くと、ここで証明してくれぇぇッ!」
それは、賢者の詠唱ではなかった。
ただ、一人の男の、魂からの叫びだった。
その叫びが、奇跡を呼んだ。
俺の魂の叫びに呼応するかのように、逆鱗に食い込んだ《蒼閃》の性質が、一変した。
水の刃は、もはや刃ではなかった。それは、極限まで圧縮され、一点に収束した、音すら置き去りにするほどの超高圧の水流だった。その蒼き奔流は、竜の鱗を何の抵抗もなく、まるで柔らかな絹を貫くかのように、静かに、そして速やかに穿った。
逆鱗は砕け散ったのだ。
さらに、超高圧の水流は、その勢いのまま、竜の体内を駆け巡り、内側から、その強靭な肉体を、ずたずたに崩壊させていった。
確かな手応えが、俺の腕に、魂に、伝わってくる。
マグナ・イグニスの、山のような巨体が、一度だけ、大きく、天に向かってのけぞった。
その、あまりにも壮絶な光景を、俺は、ただ、見上げることしかできなかった。




