第263話 絶望の淵に差す光
レオナルドとセリス。俺たちの誇るべき二人の剣士が同時に地に伏した。
その光景が俺たちの心を、思考を、一瞬にして凍りつかせる。勝利への道筋が完全に断たれた。残されたのは、絶対的な力の差という、あまりにも残酷な現実だけだった。
「そんな……嘘でしょう……」
エルンが、か細い声で呟く。
だが、マグナ・イグニスは、俺たちに絶望を噛みしめる時間すら与えてはくれなかった。
その巨大な瞳が、今度は、負傷し動けないレオナルドへと無慈悲に向けられる。追撃の牙が彼に迫ろうとしていた。
「させるものですか!」
最初に動いたのは、エルンだった。彼女は、レオナルドの前に立ちはだかるように杖を構え、風の魔力を解放する。
「《風の壁》!」
荒れ狂う風が、竜の追撃を防ぐ、か弱い、しかし確かな壁となった。
「カズエル!」
「わかっている!」
焼け落ちたセリスの腕を見て、普段の冷静さを失いかけていた彼は、自分を叱咤するようにして、気持ちを切り替え、理式の展開を始めた。
「理式展開――《絶対防御陣》!」
彼の前に、論理で構築された光の障壁が出現し、セリスを追撃から守る。
「うぅ……どうしよう……どうすればいいの……」
ルナは倒れた仲間たちと、圧倒的な竜の姿を交互に見つめ、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
俺たちの必死の防御を前にして、マグナ・イグニスは、初めて、心からの怒りをその身に宿したようだった。矮小な存在に、二度も抵抗された。その事実が、古の竜王のプライドを傷つけたのだ。
ゴオオオオオオオオッ!!
これまでのどの咆哮よりも、重く、そして破壊的な怒りに満ちた声が、氷獄全体を揺るがす。
奴は、その巨大な口を、ゆっくりと、大きく開いた。その奥に、全てを終わらせる、最後のマグマの熱が収束していく。とどめのブレスだ。
万策、尽きた。
俺たちが、その絶望的な光景を前に死を覚悟した、その瞬間だった。
戦場から少し離れた、凍てついた崖の上。
一つの影が、静かにその惨状を見下ろしていた。
(さすがは古竜と言うべきか。私の理式だけでは、勝ち目が無いだろうな。だが、カイン……。君のその力は、混沌の触媒として実に興味深い。今回も、利用させてもらうとしよう)
セイオンが指を鳴らすと、理式の光がマグナ・イグニスを包み込んだ。
次の瞬間、俺たちの目の前に、信じがたい光景が広がる。
――ぴたり、と。
竜の動きが、まるで粘性の高い液体の中を動くかのように、極端に鈍化していく。放たれる寸前だったブレスの熱量も、その勢いを失い、揺らめくだけだ。
「……なんだ……?」
その、あまりにも異様な静寂の中、一つの声が、響いた。
凍てついた崖の上から、淡々としたセイオンの言葉だ。
「さあ、賢者カイン。そして、その仲間たちよ」
彼は、もはや脅威ではなくなった竜を指し示した。
「君たちに、千載一遇の好機を与えた。動きの鈍った竜を前にして、どのような答えを出すのか。新たな『可能性』に期待している。ただし、この時を維持できるのは、そう長くはない」
それは、救いの手ではなかった。
ただの気まぐれ。自らの実験が、より面白くなるようにと加えられた、悪趣味な演出。
偽りの共闘。
俺たちは最大の敵によって、生かされ、そして、試されている。




