第262話 巣穴の死闘、失われる牙
カズエルの理式が完成し、竜の巣穴は灼熱地獄から一転、絶対的な冷気が支配する氷獄へと変貌した。
盆地の中心、凍てついた大地の上で、マグナ・イグニスの巨体が、その動きを明らかに鈍らせていた。全身を覆う黒曜鱗には白い霜が降り、吐き出す息は、もはや炎ではなく、白い凍てついた霧となっている。
「……今だ!」
俺は叫んだ。この好機を逃すわけにはいかない。
「突入するぞ!」
俺の号令と共に、六つの影が氷獄と化した巣穴へと、一斉に駆け出した。
だが、弱体化したとはいえ、古竜の力は絶大だった。巣穴は竜にとって最大の力場であり、その闘志は極寒の空気の中で、むしろ、より鋭く研ぎ澄まされていた。
「ギシャアアアアアッ!!」
咆哮と共に、竜の強靭な尻尾が薙ぎ払われる。俺たちは散開してそれを回避するが、凍てついた地面が、その一撃で、まるでガラスのように砕け散った。
狭い巣穴の中での戦闘は、互いの距離が近く、熾烈を極めた。
「俺が前に出る!」
レオナルドが、その双剣を構え、先陣を切る。彼の剣技は竜の巨体を相手にしても、一切引けを取らない。爪による攻撃をいなし、ブレスを吐く前の予備動作を的確に潰していく。
その後方から、セリスの《風哭》が、竜の脚や関節部を狙い、的確に傷を重ねていった。
だが、その時だった。
俺が《蒼閃》を放つために、一瞬、魔力の集中に入った、その隙。
竜の視線が俺を捉えた。その巨大な顎が、俺を噛み砕かんと、開かれる。
「カイン!」
エルンが悲鳴を上げた。
間に合わない――俺がそう覚悟した、その瞬間。
「させるかぁっ!」
レオナルドが、俺の体を左手で力任せに突き飛ばした。
「下がれ、カイン!」
俺のいた空間を、竜の巨大な牙が薙ぎ払う。そして、俺を庇ったことで、完全な無防備となった彼の右腕に――その牙が迫っていた。彼は、最後の抵抗とばかりに、右手の双剣の一振りを、竜の顎へと突き立てようとした。だが――
ガキンッ、と。鋼鉄が紙のように捻じ切れる音と、骨が砕ける鈍い音が、同時に響いた。彼の右腕が、竜の強靭な牙によって、肩口から無残に噛み砕かれたのだ。
「レオナルドォォッ!」
俺の絶叫が氷獄に響き渡る。
レオナルドは血を噴き出しながら、力なく地面へと崩れ落ちる。
「よくも……!」
その光景に激昂したセリスが、憎悪を込めて竜の顔面へと斬りかかった。
だが、怒りに我を忘れたその一撃は、あまりにも隙が大きかった。
「セリス、危ない!」
竜は至近距離で、セリスに向かって、狙いを定めたように、マグマブレスを放った。
灼熱の奔流が、彼女の全身を呑み込もうとする。誰もが彼女の死を覚悟した。
――その時、セリスが身に着けていた指輪が、眩いほどの光を放った。
カズエルが彼女に贈った、守りの理式が刻まれた、あの指輪だ。障壁が展開され、ブレスの直撃は、かろうじて免れた。
だが、その守りも完璧ではなかった。障壁を突き抜けた熱波が、彼女の右腕を、無残に焼き尽くしていた。
「ああ……っ!」
セリスもまた、焼け焦げた腕を押さえながら、地面に倒れ伏す。
前衛二人が、同時に戦闘不能。
俺たちは、一瞬にして、絶望的な状況に追い込まれた。
勝利への道が、完全に閉ざされたように思えた。




