第259話 初撃と絶望
神と見紛うほどの存在。
古竜マグナ・イグニス。その巨大な瞳が、俺たちを、まるで取るに足らない塵芥のように、静かに捉えていた。
空気が鉛のように重く、息が詰まる。パーティーの誰もが、その圧倒的な存在感を前に、指一本動かせずにいた。
「……レオナルド、セリス!」
俺は喉の奥から絞り出すように叫んだ。
「威力偵察だ! 奴の動きと鱗の硬さを探る!」
その言葉が、凍りついた仲間たちの覚悟に再び火を灯した。
二人の剣士は弾かれたように同時に地を蹴る。レオナルドは右から、セリスは左から。異なる軌道を描きながら、竜の巨体へと肉薄していく。
だが、マグナ・イグニスは、その二人を意にも介さなかった。
その視線は後方に控える俺たち――魔法の使い手へと、静かに向けられていた。
空気が一点へと吸い込まれていく。奴の巨大な顎が開かれ、その奥に、世界の終わりを思わせるほどの、眩い光が収束していく。
「まずい、ブレスが来るぞ!」
カズエルが叫ぶのと、俺が防御魔法を展開しようとするのは、ほぼ同時だった。
「理式障壁、最大展開!」
「ウンディーヴァよ、我が魔力を代償に、大いなる水の壁をここに築け――、《大水壁》!」
理式障壁と、水壁が、俺たちの前に、かろうじて二重の防御を形成する。
次の瞬間、世界が白と赤に染まった。
マグナ・イグニスが放った広範囲のマグマブレスが、全てを薙ぎ払ったのだ。
轟音。
俺の水壁は一瞬で蒸発し、カズエルの理式障壁にも、蜘蛛の巣のような亀裂が走る。障壁がみしみしと軋む音を立て、俺たちの身体は、その衝撃波だけで、数メートルも後方へと吹き飛ばされた。
「ぐっ……ぁ……!」
地面に叩きつけられ、肺から空気が絞り出される。パーティーは文字通り半壊状態だった。
「まだよ……!」
煙の中から、エルンが立ち上がった。彼女の杖の先には、紫色の終わりの光が宿っている。
「これなら……! 《終光》!」
彼女の放った不可視の光線が竜の巨体に着弾する。だが、その硬い黒曜鱗は、光の魔力すらも、まるで受け付けない。術は鱗の表面で虚しく霧散した。
「嘘……私の最強の魔法が……」
エルンが絶望に目を見開く。その横をセリスの剣が風を切って走った。
彼女は竜の巨体の側面へと滑り込むように回り込み、その巨大な足首目掛けて、《風哭》を渾身の力で叩き込む。
だが、甲高い金属音と共に刃は硬い黒曜鱗に弾かれ、火花を散らして鱗の表面をわずかに削っただけだった。
「……なんて、硬さ……」
セリスの手が衝撃に痺れて震えている。
最強の剣も、最強の魔法も、この絶対的な存在の前では、ほとんど意味をなさなかった。
「……撤退する!」
俺は叫んだ。これ以上は無駄死にするだけだ。
「ここから離れるぞ! 総員、退却だ!」
俺たちは、負傷した仲間を庇いながら、必死に、その場から離脱した。
マグナ・イグニスは、そんな俺たちを追おうともしない。ただ、その巨大な瞳で、静かに、俺たちの無様な姿を見下ろしているだけだった。
圧倒的な力の差。抗うことすら許されない、絶対的な絶望。
賢者として、英雄として、数々の死線を乗り越えてきたはずの俺の心に、初めて、完全な「敗北」の二文字が、重く、刻み込まれていた。




