第257話 霊峰の灼熱
グラムベルクの喧騒を背に、俺たち六人は北の霊峰を目指していた。
鍛冶王バルグラスとの、友としての、そして王との鋼の誓い。それは、この世界の命運を左右する古竜マグナ・イグニス討伐という、あまりにも重い使命を俺たちの双肩に託すものだった。
「……ここから先は地図にも載っていない。俺の感覚と、古の伝承だけが頼りだ」
街道を外れ、険しい山道へと入る頃、先頭を歩くレオナルドが、低い声で俺たちに告げた。彼の背中からは、これまでにないほどの緊張感が伝わってくる。
「ああ、頼んだ」
俺も短く応え、後に続く仲間たちの顔を見回した。エルン、セリス、カズエル、そしてルナ。誰もが、この旅の本当の過酷さを理解し、覚悟を決めた目をしていた。
山道を進むにつれて、周囲の風景は一変していった。
生命力に満ちていた森の木々は次第にその数を減らし、代わりに、ごつごつとした赤茶色の岩肌が剥き出しになる。そして、肌を刺すような熱気が、じりじりと俺たちの体力を奪い始めた。
「あつーい……。なんだか、地面がずっと、ぶるぶる震えてるみたい……」
ルナが額の汗を拭いながら、不安そうに足元を見た。
彼女の言う通り、大地は常に微かに、だが確実に振動していた 。まるで、巨大な心臓が、この山の奥深くで、ゆっくりと鼓動を再開したかのように。
「尋常ではないわね……」
エルンが杖を握りしめ、周囲の空気に意識を集中させる。
「土と火の精霊たちが、異常なほど活発化しています 。歓喜でも、怒りでもない……まるで、何かに怯え、暴れ出しているかのようです」
その言葉を裏付けるかのように、俺たちの目の前で、道端の岩が何の前触れもなく赤熱し、ぼろぼろと崩れ落ちた。空気は陽炎のように揺らめき、呼吸をするだけで、喉が焼けるような感覚に陥る 。
「くそっ、このままじゃ、進むだけで消耗する……」
俺は舌打ちし、一歩前に出た。
「俺がやる。――水の精霊ウンディーヴァよ、我が魔力を代償に、清涼なる風を送り、この灼熱を和らげたまえ――《水精のヴェール(アクアヴェール)》!」
俺が詠唱を終えると、その手の中に集まった水の魔力が、冷たい霧となってふわりと広がり、俺たちの周囲を包み込んだ。肌を焼く熱気が和らぎ、仲間たちの表情から、わずかに苦痛の色が消える。
「助かる、カイン。だが、魔力の無駄遣いはするな。本番は、まだ先だ」
レオナルドは俺の魔法に感謝を示しつつも、鋭い視線で前方の道筋を探り続ける。彼は岩の裂け目や、風の流れを読みながら、最も安全なルートを慎重に選んで進んでいく 。彼の卓越したレンジャーとしての技術がなければ、俺たちはこの灼熱地獄の中で、とっくに立ち往生していただろう。
カズエルは、そんな俺たちの様子を冷静に観察しながら、時折、携帯式の理式観測器で、この地域のエネルギーの流れを記録している。セリスは黙々とレオナルドのすぐ後ろにつき、彼の死角を完璧にカバーしていた。
俺たちのパーティは、それぞれの役割を、ただ、黙々と果たしていた。
どれほどの時間を歩いただろうか。
やがて、レオナルドが、切り立った崖の上で足を止めた。
「……着いたぞ。あれが古竜の巣だ」
彼の指差す先、眼下に広がる光景に俺たちは言葉を失った。
そこは、もはや死の大地と呼ぶにふさわしい場所だった。
広大な盆地全体が黒く焼け焦げ、大地には無数の亀裂が走り、その裂け目からは、どろりとした溶岩が、川のように、ゆっくりと流れている 。
そして、その盆地の中心から、天を突くほどの熱気と、圧倒的な魔力が、巨大な渦となって立ち上っていた。
ゴオオオオオッ……!
地平線の果てまで響き渡るかのような巨大な咆哮。
それは、山の振動などではなかった。
永い眠りから目覚めようとしている、古の竜王、マグナ・イグニスの紛れもない産声だった 。
俺たちは、そのあまりにも巨大な存在を前にして、ただ、立ち尽くすことしかできなかった。




