第240話 ドワーフの都へ、再び
英雄たちの気まずい食卓から一夜が明けた。
王都の屋敷の空気は、まだどこかぎこちないままだった。俺はほとんど眠れず、夜明けと共に一人、中庭の石のベンチに腰を下ろし、思考を巡らせていた。
(このままじゃ、ダメだ……)
昨夜の光景が、脳裏に焼き付いて離れない。エルンの悲しげな瞳、セリスの硬い表情、そして、俺たちと仲間たちの間に、くっきりと引かれた境界線。
混沌の使徒が仕掛けた「縁談」という名の罠は、確かに回避した。だが、その代償として、俺たちは、もっと厄介な問題を内側に抱え込んでしまった。
「偽りの関係、か……」
彼女が俺を救うために、自らの魂を差し出そうとまでした。その事実を知っているのに。俺が彼女に与えたのは、作戦という名だけの空虚な婚約。
これでは、あまりに不誠実すぎる。彼女が示してくれた覚悟に、俺は何一つ応えられていない。
「……よう」
不意に背後から声がした。
振り返るとカズエルが、俺と同じように寝不足気味の顔で立っていた。
「お前も眠れなかったクチか」
「まあな」
カズエルは俺の隣にどかりと腰を下ろした。俺たちは、しばらく無言で、朝の冷たい空気を吸い込む。
「……なあ、松尾」
俺は元の世界での呼び名で親友に語りかけた。
「俺、間違ってたと思う。このままじゃ、パーティがバラバラになる。俺のせいで」
「……お前のせいだけじゃない。俺にも責任の一端はある」
カズエルはセリスのことを思い浮かべているのだろう。彼もまた、本気で想う相手にどう接すればいいのか分からず、理屈という鎧で心を隠してしまっている。
「……俺は、けじめをつけたいと思う。言葉だけじゃなく、形で」
俺の言葉にカズエルが視線を向ける。
「形、ね。具体的にはどうするんだ?」
「特別な、ずっと身に着けていられるようなものがいい。……それなら、最高のものが作れる場所へ行くべきだ。ドワーフの都へ、もう一度行こうと思う」
俺の言葉にカズエルは一瞬考え込み、やがて合点がいったように頷いた。
「……なるほどな。ずっと身に着けられる、特別な証、か。……指輪、だな?」
「ああ。俺たちの世界でいう、『結婚指輪』を贈りたい」
俺の答えに、カズエルは「やはりか」と小さく息を吐いた。
俺とカズエルの間で新たな目的が共有された。
俺たちは早速、屋敷の談話室に、エルン、セリス、レオナルド、そしてルナを集めた。
俺がドワーフの都へ向かうと伝えると、エルンとセリスは不思議そうな顔で俺たちを見ている。
「ドワーフの都へ? 何か、急なご用ですか?」
エルンの問いに、俺は一度、深く息を吸い込んだ。そして、彼女たちの目を真っ直ぐに見つめた。
「君たちに贈りたいものがある。俺たちがいた世界の風習なんだが……『誓いの証』として、指輪を作りたいんだ」
「誓いの……指輪、ですか?」
セリスが戸惑ったように聞き返す。彼女たちの世界に指輪を特別な誓いの証とする文化はないのかもしれない。
俺は、できるだけ分かりやすいように言葉を選んだ。
「俺たちの世界では、『結婚指輪』というものがある。それは、結婚という、最も強い絆の誓いを象徴する指輪だ。夫婦の愛と絆を深めるための特別な品でな」
俺の説明に、二人はさらに、きょとんとしている。
「普通は結婚式でお互いの左手の薬指にはめて、日常的に身につけるんだ。そうすることで、自分たちが結婚していることを周りに示し、離れていても、いつでも相手を身近に感じられる……そういう、お守りのような意味合いを持つものなんだ」
その意味を、エルンとセリスは、ようやく理解したようだった。二人の頬が、わずかに赤く染まる。
「今回の『婚約』は作戦だった。だが、その言葉だけが宙に浮いているのは、あまりに不誠実だ。だから、せめてものけじめとして、そして、命を預け合う仲間としての敬意と感謝を込めて、この『誓いの証』を贈りたい。……受け取っては、もらえないだろうか?」
カズエルもまた、セリスに向き直り、不器用ながらも真剣な声で付け加えた。
「カインの言う通りだ。これは、俺たちなりの誠意の示し方だと思ってほしい」
二人の瞳には驚きと、戸惑いと、そして、かすかな喜びの色が浮かんでいた。
「王都のことは四人に任せる。俺とカズエル、二人で行ってくるよ」
「承知した」とレオナルドが頷く。
「お前たちが不在の間、この場所は俺が守ろう。……その指輪が、このパーティの亀裂を埋める、楔となることを期待する」
「カイン、カズエル! いってらっしゃーい!」
ルナが元気よく手を振る。
こうして方針は決まった。
俺とカズエルは、それぞれの想いを胸に、再び、あの鋼と炎の都へと向かう準備を始めた。
気まずい沈黙に支配されていた屋敷に、ようやく、新たな、温かい風が吹き始めたような気がした。




